命の値段1
【 生命の価値や人権は等価ではない ・1】
感情的にどうこうという話を捨ててみるならば「生命の価値」はまったく等しくありません。
先進国では人の生命はとても大切にされます。
ところが途上国、とりわけ失敗国家では、人の生命は限りなく軽いものになっています。
これはなぜか?
すごくすごく簡単な話です。
国民の「生命の価値」を生み出すのは国家だからです。
だから国によって国民の生命の価値が違うのです。
日本ではいま、交通事故などで人が死んだら、だいたい一人1億円くらいですかね?
ところがシナでは都市住民で700万ほど。
農村戸籍だったらその半額以下です。
なんとシナでは都市住民か農民かで、
生命の値段が倍以上も違うようです。
これは別に誰に強制されたわけでもない。
シナ人が自分らでやっていることです。
彼らはそんなふうに自分らの命の値段をつけたのです。
では日本人の一人1億円は誰が決めたのか?
この値段を作り出したのは日本そのものです。
日本国家、日本という社会、その経済力、軍事力、文化・歴史・その他もろもろ。
すべてが渾然一体となって、日本人の価値を決めます。
そこから生命の値段が決まるのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
日本人の人権や、生命の価値は、
アメリカや英国が保証してくれるものではない。
それを生み出して国民に与えることができるのは、この世界の中で日本国家だけです。
アメリカで日本人の人権が認められるのは、日本という国家と、アメリカという国家の、
おつきあいがあるからお互いに認めあっているだけです。
日本という国家がなくなれば、
日本人の生命の値段は紙切れよりも軽くなります。
まあ日本人は真面目で優秀だから、
どこの国でも、その国に帰化することで、新たな価値を得ると思いますけどね。
生命の価値とか人権とかは、天然自然に、生まれながらにあるわけではない。
生命の値段を決めるのは自分たちなのです。
今回のテロで、パリの犠牲者たちは
世界的に哀悼の対象になります。
一方でシリアでは毎日のように人が死んでいます。
しかしこちらは哀悼の対象になりません。
なぜかといえば、生命の価値が違うからです。
シリアという国家は、自国民に、人権どころか生存権さえ与えられない失敗国家です。
そのシリアという国家を作り出しているのは、他ならぬシリアの民です。
シリアの民は、自分たちで、自分たちの生命の値段を決めたのです。
そうとしか言いようがありません。
「米国の陰謀のせいだ」なんて言っても無意味です。
国家同士の陰謀など、その昔から日常茶飯事です。
日本だって特亜をはじめ無数の侵略を受けています。
陰謀があるのは当然。
国家にはそれをはね返す力が必要なのです。
不公平ですか?
いやこれほど公平な話はないと思いますよ。
誰もが自由競争で、自分らの価値を決めるのですから。
日本人の生命の価値は、欧米諸国と同等です。
それは私たちのご先祖が作り出した力です。
私はそれに感謝し、より強く大きくして、次の世代の日本人にお渡ししたいと考えます。
生命の価値が国によって違うのは当たり前。
その価値を作り出すのは私たちです。
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