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続けての…。

毎回、続けて親とのワーワー口喧嘩の始まりです。親に言われても、中々頭に全部受け容れる事が私にとっては難しすぎる。
辞めた某ケアハウスの事がまだ、残っている。これまで溜まっていた事が、どんどん膨らんで来て、介護職員とワーワーなった事があったのだ。ずっとずっと、私はその介護職員達にやられて来たのが辛かったのだ。
それが多分、5年目で来てしまったのだろう。上の者も話しにならなかったし、何かあれば必ずと言って言いほど介護職員の肩を持つばかりだったから。ばっくれて辞めた後輩の事も全て私のせいにもされたから。

全部、根も葉もない噂も立てられ続け、私でもないのに全て私のせいにされ続け、それはそれで辛かった。自業自得かもしれないが。

自分で物凄く後悔している所もある。それは年配の女性にいらぬ口を言ってしまったことだ。それを全て介護職員に言いふらしたのだ。その年配女性が。

その年配女性の事は、はっきり言って私は苦手な存在だった。苦手だけど、どこかで私の事を分かってもらいたいと思うことがあった。 病気(発達障害)のこともそうだが。

私が、発達障害でもありADHD持ちだと伝えてもその年配女性は「そんな事言うな」と言ってきたのであった。 すごくその年配女性は、私から見ると、自分は自信家だとか、自分は立派だとかいう風に見えた。
なので、その年配女性の事を認めたくはないのだけど、どこかで引っ掛かる事がよくある。辞めた現在でも。

その年配女性にも私は、嫌われていた。挨拶をしても無視するのみだった。上の者も。大体の介護職員達もだ。 大体の者がその年配女性寄りだった。

多分、きっと私の事恨んでいるだろうな。

小学校の時の元同級生男子Yのように。そのYの事は、一生消せない。そのYは,私をよくいじめて来たものだった。教師によくチクリを入れていた私の事を気に入らずいじめて来たのだ。 それとか私が言い返しも出来ず、暗い性格でもあり、よく泣いたりする者だったから。

詩を書くことが趣味だと書いた事が小6の頃あった。それを見て、そのYが、「嘘書いてんじゃねえよ」と言ってきて、どんどん書くことが怖くなっていった。

元から私は自信がないのだが、さらにさらに駄目になっていった。現在も文章は下手くそだが、その頃は自分でさえ書けない人間だった。

そのYの事も一生消せれない。だいっきらいだけど‥。

現在、振り返ると、Yも自分の父親みたいな性格であったな。頭ごなしに怒鳴ったり、暴言吐いたり、説教したり、考えを押しつけたりするところが、自分の父親にそっくりだった。

 
私の事なんてもう覚えていないだろう。Yは。

まだ投稿したい事もありましたけど、ここで終了します。 読んで下さった皆さん、ありがとうございました!!