だって、隣の芝生が青いから


助けて〜しんどいよ〜
自分以外のすべてが羨ましいんだ
そんで苦しいんだ


なんか最近、見るものすべてに同じこと思っててさあ
「いいな~」
「私も〇〇になりたかった」
「私も〇〇をやりたかった」って

そんなんなれないのに、やれないのに
んで、なれないから、やれないから、苦しいの

分かる?私って、一生懸命ないものねだりして1人で悲しんでんの
自業自得もいいとこ



うん、いやそう、
私って、私以外のひとものことにはなれないの

「私以外私じゃないの」なんて歌った人がいるように、自分以外のすべては自分じゃない

私は"それ"になれない
私は"それ"が見ている世界が見れない
私は"それ"の気持ちも分からない
私以外のすべては、私には絶対手の届かないもの、

その事実を認めるたびに苦しくなって、心がすり減るような感覚がするんだ


これは、幸せそうな他人が羨ましいというだけじゃない
苦しそうな他人も等しく羨ましい
なぜなら、私はその人と全く同じ苦しみを味わうことは一生できないから
私がその人と同じ行動をしたって、同じ結果・同じ感情になるとは限らないんだから
その人の感情はその人だけのもので、私には理解し得ない
そうなったら、その人の苦しみさえ羨ましいと思ってしまうんだ その人は私にできないことをやってるから


それに、羨む対象は人に限らない
その他の生物も物もなんでも、私が"それ"でないという1点だけで十分すぎるくらい羨ましい

乾いたアスファルトの上で干からびてるミミズ、
ギリギリ人に踏まれず風に待ってる落ち葉、
今私の部屋で便利に使われてるカラーボックス、

これらみんな、今どんな気持ちでいるんだろう
いや、感情なんかないかもしれない
でも私にはそれすら分からないし、今後分かることもない
"私がそれじゃない"というだけで、こんなにも分かんない
それが悔しくて、羨ましくて、恨めしい




あのさあ、私、人生には無限の可能性があると思ってたんだ
無数の選択肢があって、その中から自ら選び取って、未来を切り拓いていくものだと思ってた

でも、私は私にできることしかできないし、私というフィルターを通してしか物事を認識できないし、私の持ってる感情以外味わうことができない


したっけ全然無限じゃないじゃんさ、
私の手の届く範囲にしか世界はない
こんな身近に私じゃない他人が大勢いて、私と違う世界がそれぞれあるのに、私はその世界のどれにも触れることさえできない
これの何が自由で無限大なんだ、



……とか言って、
本当に万物を理解できる能力が手に入って、私の世界が"世界"になった時、私はそれらのすべてを等しく認識して正しく理解できるのか
そう考えると、結局神様は私に身の丈にあったものしか与えなかったんだろうなとも思う
どうせ足元しか見ないんだから、足元しか見えない目で良かった そゆことか





うーん
話が散らかったまま片付けられなかった
いつにも増して何を言ってるのか分からんな


いやさ、
先日某Jアイドルさんのインスタライブで「〇〇歳になったのをきっかけに、人を恨むのをやめた」なんて言葉を聞いて、
私ももうその年齢になるのに全然みんなのこと恨んでるな〜と思ったら、こうなった


いつになったら私は人を恨むのを辞められるんでしょうか
何歳になればその境地に辿り着けるんでしょうか
なにかを恨んで生きるのってつらいんだ
羨む気持ちを抑えて、すべてを諦めて生きるのもつらいんだ
自分が自分であるだけで良いと思えるようになるには、どうしたらいいんでしょうね


……長くなりました
あと、なんか、気持ちが暗くなりました
本日はここまでにします
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました


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