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業 (前編)

雨に濡れた庭の草木を眺めながら
数年前のある日の出来事について考えていた。
しとしとと悲しげな雨の音、時折聞こえてくるカエルの鳴き声、車が通ると荒ぶる水しぶきの音
今はそれらの全てがちゃんと耳に入ってくるようになったのに気付く。
この数年の間、私は無音の世界にいた。


その日も朝から小雨が降っていた。
天気予報で梅雨入りはまだ発表されてはいない。
母の死から半年が過ぎようとしていて
母宅には30年近く同居していた内縁の夫(以下おじさん)が独りで住んでいた。

体調を崩したおじさんの入院の手配を進めてくれた訪問介護事業所へお礼を兼ねて今後についての話し合いに行く。
管理者の女性(以下Kさん)は母と同年代の友人だ。
かつて母と同じ会社で勤務していた同僚でもあり、お互い独立してからも娘の私に介護ソフトの使い方がわからないからとヘルプされることもあった。
母の通夜にも駆けつけてくれ、久しぶりに言葉を交わしたのだった。

おじさんの事も昔からよく気心が知れた間柄であり、お線香をあげついでに食事の差し入れもしてくれた事もあった。

今回、直接Kさんに連絡したのはおじさんからだった。
「サービスの相談したいんだが。ちょっと来てくれないか」と。
独りあの家に残されたおじさんは末期の癌だった。
今回入院をし検査結果でそれが判明した。
勿論Kさんも母から聞いて知ってはいたがそこまで病状が進んでいるとは知らなかったようだ。
しかしおじさんは積極的な治療は頑なに拒否していた。
いつもより弱々しい声だったので嫌な予感がし駆けつけると尋常でない様子を確認することになる。
そしてKさんが貴重品と必要な物を荷物にまとめ病院に連れて行ってくれた。
それから私にも連絡をしてくれたというわけだ。
その後、ヘルパーさんを呼び家の掃除やゴミ捨て、洗濯などを1日で終わらせてくれ、いつ帰って来ても良い状態にしてくれたそうだ。
経験を積んだ訪問介護事業所のKさんでなければできなかった事だ。
母に任されたと思って、ケアマネも手配し責任を持っておじさんを支援していくと言ってくれ、何も手出しが出来ない私からしたらすがる思いだった。
感染症予防の為私は病院での面会が出来なかったが、Kさんと連絡を取り合う事でおじさんの病状を知る事ができた。

介護サービスを受けるにあたり、夫が身元引受人となるのを希望した。
妹や弟にされたことを思い出し、また何かいわれもない攻撃をしてくるかもと、おじさんやあの家に近づく事を躊躇していた私は
「何の意味があって俺たちはこんな仕事してるのか。おじさんには散々お世話になっただろう?」と説得される。
もっともだった。

手土産を持ち事業所を訪れる。
Kさんと、丁度掃除などに関わってくれたヘルパーさんが待機されており二人が出迎えてくれた。
身元引受人になってくれて本当に感謝してたのよと安堵していた。
そして時間があるなら、これからの事も話し合いましょうということになった。

私も母宅に近寄ることが出来ない理由を話しておかなければいけない。
これから訪問介護サービスを利用する際に既に弟名義になっている家での事なので承諾も必要だろうし、今の私にはそれを弟に伝える事はできないのでお願いしようと思っていた。
Kさん側からも介護申請の件やサービスの内容を一応私にも伝えておきたいということだった。

まず、生前の母から聞いていた範囲のおじさんの病状、普段の生活状況などを説明する。
そして私が母宅に入る事も許されなかった訳、実の父親ではないといえ、癌を患う高齢者の支援を何故できなかったのか経緯を話した。

まず全てのきっかけの母の行動に驚く。
同じ経営者としてしてはいけない事をしたねと呆れていた。 特に妹と弟に会社から流れていた金額に。
そして「私VS妹&弟」との相続問題。
2人と疎遠になろうとしている現在の事の流れの全てを話した。

Kさん
「なんて酷い‥!遺品をお母さんが可愛がってた部下にあげたくらいで何故あなたがそこまで責められないといけないの?!それを返せと?はあ?
バッグに保険?!
何百万もする骨董品なら分かるけど、そんなものに保険かけるなんてよくそんな嘘がつけたわね。
責められるは向こうでしょ?お母さんが生きてる時からお金をせびるだけせびって相続まで揉めてるなんて信じられない。
他所に住んで何も出来ない人間は、本当なら地元に住んでるあなたに色々とお願いしますと頭下げるべきなんじゃないの?
会社に迷惑かけてすみませんと謝るのが本当でしょ?
一体どんな人達なの?!
草場の陰でお母さん泣いてるわ‥会社の事は全てあなた達夫婦に任せてるからこれから安心だと私にも言ってたのに。そんなことになってたとは‥!
それにおじさんも最初はサービスを受けたくないと言ってたもんね。もうあの家の名義は弟さんなの?もう気軽にお線香をあげに行くなんてできないわね‥」と。

少々言いたい事をはっきり言う性格の人だが、この年齢になると皆こうなんだなと思った。
私はむしろ同情してくれて少し安心した。

妹と弟の話をすると皆顔が歪む。
金が絡むと人間こうなってしまうのかと呆れ、田舎の人間を馬鹿にしていると、二度と田舎に帰ってきて欲しくないと口を揃え言う。


「なので私はおじさんに電話で体調確認をする事しかできなくて。何かあったらいつでも連絡してと言ってはいたんですが、いつもお前に迷惑はかけられないから、買い物も自分で行ける。わしは大丈夫だから。と言われてました…。」


Kさん
「実の娘じゃないし、仕事していたあなたに迷惑かけまいと遠慮してたのね。あの人らしいわ。
大丈夫。遠方に住む(おじさんの実の)息子さんと連絡がついたそうだからケアマネが経過を連絡してくれるそうよ。介護認定の時はケアマネと認定士と悪いけどあなたも同席して欲しいんだけどいいかな?
全く関係無い妹と弟が首突っ込んできてもする事無いからね無視無視。
もし何か言ってきたら、その時は私も一言言わせてもらうから。
サービスの保証人(身元引受人)は近場に住んでいる、介護保険の仕組みも当然理解してる(血の繋がっていない)あなた達でよかったの。
ほんとに引き受けてくれて感謝してるのよ、私達も助かるわ、ありがとうね。
弟が万が一ヘルパーに家に入って欲しくないと言えば、その時は施設を考えないとね。
入院もいつまでなのか分からないし‥。
これからの事は任せてね。

で…こんな事あなたに言うのは筋違いだとは思うんだけど…」

私は姿勢を正し身構えた。やはりいくら実の父親ではないとはいえ、私の仕事は高齢者の支援という目的を主としているものだ。
率先して動くのは当たり前の事なのに。
闘病中であり突然独りになったおじさんの様子をこまめに見てあげられなかった私は、何をどんなに責められてもしょうがないことだった。
電話することしか出来ない毎日。
食事は摂れているのだろうか、病状の具合はどうだろうか、夜は眠れているのか…
聞いても「大丈夫」としか答えてくれない。
血の繋がった本当の父親には迷惑ばかりかけられていた私に実の娘のように優しくしてくれ、全くの他人である夫とも会うとよく楽しそうに雑談をしていたおじさん。
私達に頼りたいのに頼れなかったのは、私のせいだ…

「お前はガラス細工みたいに繊細過ぎる。でもそこが良いとこなんだ」

いつだったか私が何かに悩んでいた時に言われた言葉だ。
少し頑固なところもあるが、優しくて真面目で我慢強くまっすぐな人だった。
なのにだ。
家に入るな、カメラを仕掛けたぞ!と妹と弟に言われただけでおじさんの様子を見に行けなかった私は
情けなくて弱いどうしようもない人間だったのだ。
悔しくて悔しくて、そしておじさんへの罪悪感で押し潰されそうな毎日だったのだ。

きっと母は怒っている。
人として優しさのかけらも無い!近くに住むお前がちゃんとしてくれていれば!
と私を恨んでいるに違いない。
そう思い込んでいた。


Kさん
「え!カメラなんて無かったわよ?
見守りサービス?電球?あんなもの普段元気な独居のお年寄りの家につけるものよ?
緊急時には何の頼りにもならんでしょう?
ほんとに口ばっかりの…ああもう気分が悪いきょうだいね。
まあ…
実は…ごめんね、おじさんから電話をもらって家に行った時、お母さんの祭壇を見て愕然としたのよ。
果物にはカビが、水もご飯もいつのものか分からない。花は枯れ…おじさんは男だからそういうの分からなかったんでしょうけどね…
ほんとごめんなさいね、実の娘でもないあなたに言うことじゃないんだけど、あまりにもお母さんが不憫になってしまって‥」

おじさんは母が亡くなった事を受け入れられないでいたのだとKさんの言葉で気付いた。
祭壇のある部屋にいる場面を私は見たことが無かったのだ。
毎日毎日いつものソファーに腰掛け日常的に母の帰りを待っていたのだろう。
どんな気持ちで朝や夕方を迎え、待っても帰って来ない母を思っていたのか‥。
遺影やお線香を見たらそれを認めざるを得なくなる。
おじさんにはそれが出来なかった。
何も出来ないでいたのは当たり前の事だった。
「何かして欲しいことない?」と聞くと
「○○(母の名前)を連れてきてほしい」と苦笑いしていたのを私は思い出していた。

胸が締め付けられた。

「ぁあ…やっぱりそうでしたか‥。あんな事を妹と弟に言われるまでは私もお線香をあげに行ったついでに、祭壇を片付けたりお供えしたりできたんですけど、お供えしたらすぐにおじさんと一時同居していた妹の息子に食べられて無くなるし。
二人共あれ以来帰省していないのか、そのままだったんでしょうね。
悔やんでます。おじさんには可哀想なことをしてしまいました。
私は妹に勝手に家に入るなと言われたので、母から何かあった時にと預かっていた鍵もおじさんに返しました。
弟は週一でも無理をすれば帰省できる距離にいるのに、弟はおじさんの事も良く思ってなかったようなので。
病状など気にも留めて無かったと思います。
おじさんはサービスを勧めても頑なに拒否し、心配するなと言うのでそれ以上無理を言えなくて…どうしても遠慮があって‥電話しかできなくて…」


Kさん
「いやいや‥おじさんはそういう人よ。頑固なのは知ってる。
だけど、お母さんとあなたもなのよね?
ごめんなさいね…血の繋がりが無いのに祭壇がどうだとか扱いが酷いとかこんな事言って。
あなたばっかり後始末させられて‥血が繋がってないのにほんと可哀想よ。
許してね、私は古い人間だから気になっていらぬお世話を言ってしまうのよ。本来ならあなたじゃなくて実際の子供である妹と弟に言うべき事なのにね。何しろ面識も無いし‥」


「いや、何もできていなかった私が全部悪いんです…

ってえっ?

誰と誰が血が繋がってないと?
おじさんとですよ、ね?」   

Kさん「え、いやいや、違う違う、そこも勿論そうだけど‥あなたとお母さんも本当の親子じゃ無いんでしょ?」

「ちょ、ちょっと待ってください?
私と‥お母さんが親子じゃない??」

Kさん
「え!?知らなかったの?えええっ?!…」

見る見る間にKさんの顔色が真っ青になっていった。

「お母さんに聞いてなかったの?!うそっ!!!!」

絶叫に近かったKさん。
彼女の人生でこれほどまでに驚いた事はあったのだろうか。
そんな顔をしていた。

「今…初めて知りました。
 誰から聞いたんですか?母ですか?まあ、そういう冗談をよく言う人ではあったけれど…私を年の離れた妹とか…」

「いや…冗談ではなくて…
あんただけに告白するね。誰にも言わないでね。って、お母さんは私に教えてくれたのよ‥」

Kさんの声には既に力が入っていない。

私の胸の中央で太鼓の様な大きな音が鳴っている。
BPMでいうところの140くらいか。速すぎる。
さっきまで私の目から流れていた涙も止まる。
そして頭の中は真っ白だ。
彼女の声は耳に入ってきているのに、脳が理解しようとする力を失っていた。完全に思考が停止していた。

人間心底驚いた時には声も出ないって本当なんだな。
母が救急搬送されたと連絡が来て以来、それから半年間私は何度こんな思いをしているのだろうか。
前はいつだったか?ああそうだ、私に内緒で母が二人に遺言書を見せていたと葬儀後に弟から聞いた時だ。
それとアレとアレと‥
今回はこれか。
50半ばにして出生の秘密を全くの他人から聞くことになろうとは。

目の前で女性が2人号泣している。この人達は何故泣いてるのだろう…。
いや泣きたいのはこっちだがあまりに驚き過ぎて唾さえ飲み込めない。


この人は今、何を私に言ったの?
「告白」の意味を一生懸命に理解しようとした。


Kさんは私にいきなり抱きついてきて泣きながら言う。
「ごめんなさいごめんなさい…私はてっきりあなたもいい歳だから、とっくに聞いてるものだと思ってた…!
ほら、よくある結婚する時に戸籍とか見る前に言っておかなければってやつで…
お母さんはいつもここに来てお茶飲みながらあなたの話もしてた。

実の娘じゃないけど仕事を手伝ってくれてるんだと。

すっかり本当の母娘みたいねえ。って。最近はそんな話も忘れていたくらいよ…。
ほんとに、ほんとに知らなかったの?!私はなんてことを‥!」と。

はあ?
戸籍はちゃんと「子」と記されているのだが。

Kさんの絶叫の中やっと現実に戻される。
冷静になろうとしている自分がいる。
とりあえず自分を保つことに必死だ。
今此処で取り乱しても起こっている現実は変わらない。

あの人は墓まで持って行くつもりがなかったから、今こうやってKさんの口を通して私に伝えてきたのだろうか。
このタイミングで。
なんという母親。いや、母じゃない他人か。
どうせ橋の下で拾ってきたとでも言うのだろう。
小さな頃から、私の頭を殴りながら何度も聞かされてきた話だ。
「お前は私の子じゃない。」
どこにでもいる所謂「毒親」が口にするありきたりの台詞を吐きながら、他人の子を育てている自分の情けなさを誤魔化していたのだろうか。

草場の陰で泣くどころか、今ショックを受けている私の顔を見てほくそ笑んでいるに違いない。

「ざまあ見ろ、お前が邪魔だったんだよ。だからわずかな餌でお前を利用して、会社から私の本当の子供には金を流してきたんだ。
その事にいい加減気づけ!お前は育ててもらったことだけに感謝しろ!長女は最初からいなかった。これがお前の業なんだ!」

頭の中で母の声がした。
あの聞き慣れた声で死んでまでも私を責めている。

一瞬のうちに私の全身の血は凍り、肌は無感覚になり、そして一滴の涙も出なかった。

ただ、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを持つ手だけが
小刻みに震えていたのは記憶の片隅に刻まれている。


(続きはまたいつか)



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