神さまは芸術家
みなさんは、自然を見るとき、何を感じられますでしょうか?
世界中に自然が溢れていますが、特に日本では、春夏秋冬があり、四季折々の景色を見ることができます。
刻一刻と表情を変える空。
太陽、星、山や川や滝、松の木、桜、紅葉など
さまざま、存在しています。
自然を見るだけでも、とても癒されますし、自然の在り方から、宇宙の在り方を学ぶことができます。
また、そのエネルギーに触れることで
勇気や、癒しなど、いろいろな力を与えられます。
自然の在り方から得る気づきや学び
草花や木は、強風にあおられても、決して逆らわず、しなやかに曲がり、風が止めば、また元に戻り、何事もなかったかのように、ただ在り続けます。
崖の縁ギリギリの場所に根付いたたんぽぽは
その過酷な場所にも関わらず、他のたんぽぽとなんら変わりなく、美しく咲いています。
朝日が昇るのを見て、また新たな気持ちで進んでいこうと思える。
大空を悠然と飛ぶ鳥の姿を見て、自分が何かに囚われていたことに気がついて、ふっと心が軽くなる。
みなさんも、自然とふれあうときいろいろなことを感じ、気づきを得たご経験もあるかと思います。
芸術家にとっての自然
芸術家の方々も、各々の感性で自然を表現されてきたのだと思います。
例えば、「睡蓮」で有名なモネは、刹那的な自然の美しさと光の変化を捉えて繊細な色彩で表現し続けました。
「睡蓮」をテーマにした絵だけで250枚も描かれていますが、一つとして同じ場面はありません。
水面に映る太陽から降り注ぐ光や水草、風によってできるさざ波などが細やかに描かれていて、モネの感性が伺うことができます。
わたしはモネの絵を見ると、その風景の中に自分がいるかような感覚になります。
光の画家とも言われるモネにとって、水面に映る光を描くことは、自然の本質に迫ろうとした生涯の中で、大きなテーマだったことがわかります。
他にも、ゴッホの「種まく人」と「刈り入れ」という絵は、どちらもゴッホが入院した病院の裏にあった麦畑を描いたもので、対極にあるこの2つの作品は、「種まきは誕生を意味し、刈り入れは死を意味する」というゴッホの考え方が表現されています。
ゴッホにとっての種まきも収穫も、大自然の輪廻の中の一つの場面であり、生も死も、それと同じ意味を持っていた、ということになります。
収穫は次のサイクルへのはじまりでもある、というように、終わりは同時にはじまりであるということをゴッホは知っていたのだと思います。
このように自然とは芸術であり、それを創った神さまは、芸術家ということなんですね。
天氣とは神さまの氣
そして、毎日の天気というのは「天の氣」ということです。
お出かけの予定や、お洗濯や農作業などで、特別に天気を気にしない日常では、ただ、晴れた、雨が降った、というように、いつも何気なく過ごしていますが、常に天の氣をいただいています。
氣とは、エネルギーです。
晴れも、雨も、雷も、強い風も、すべてが恵みであり、いただきものです。
常にすべてを無条件に与えてくださっています。
天氣も自然も、神さまの愛、宇宙の愛そのものだなと思います。
自然のはただ歓喜している
天氣が神さまの愛、宇宙の愛そのものということわ、自然はわかっているので、それぞれの存在が
それぞれとして、ただ在ることで、それぞれが歓喜しています。
枯れて落ちる葉すらも、歓喜しています。
それぞれが歓喜をし、また、全体も歓喜しています。
わたしたちも、その大きな和の中の一つの存在です。
そもそも日本人は、「人間も、森羅万象の一部である」という感性を持っています。
自然の中の人間の役割とは?
この森羅万象の和の中で、「人間」としての本当の役割とはなんでしょうか?
人間が、この地球で絶滅せず存在し続けて来れたのはなぜでしょうか?
今、わたしたちは、このような在り方、感性、本当の役割を思い出し
「個」として、また「全体」としての生き方に
変化するタイミングを迎えているのだと思います。
このように自分も在ることができるように、瞬間瞬間と向き合い、深く、自分を見つめて、成長していきたいと思います。
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