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いくぞ新作⁈ (1)

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系
                                                                         イラスト・式 隆   


*新年にむけて長編小説の助走をします。仮のタイトルは〈  ミンダナオの情念・ダバオからの風 〉といったところでしょうか。ハードボイルド・サスペンを意識しております。引かないで読んでくだっせ~                                    

      

一章     芋づる式のコネクション

 紫織は、苛立ちがわきあがっていた。胸の中からふき出す激憤のマグマをどうすることもできなかった。建築指導課の窓口で暴発してしまったのだ。
 またも確認審査の申請書類が受け付けられずに、見直しをしてくださいと返された。
三メートルほどの長さの取り付け道路の間口幅が規定のニメートに達しないので、新築立て直しは不可能だという。
「でも、実際に家が立っていて住んでいるんですから、古くなって改築するというのは、当然、住んでいる人の権利でしょう」
「いや、決まりはキマリですから、あと三十センチほどを買いとって道路幅を広げてもらえれば問題ないんです」
「それが簡単にできないから、相談に来ているのではないですか。お隣さんと話し合って、将来は三十センチ拡大しますからと、一筆入れますから、それで何とかしてくださいよ!」
シオリは声を荒げた。七十二センチの身の丈で、女性にしては割とボリュームのある肢体である。大声も押しが強くけっこう響くのだが、受付カウンターの若い職員は、能面顔で、すまして答える。
「私どもとしても何とか、住民のみなさまのお役に立ちたいとは思うのですが、規則ですので私一存の判断ではどうしょうもないのです。以前も同様の問題があり話し合ったのですが、結論としては、広げてもらうしかないな、となったのです」
他人事のように、いけしゃあしゃあとおっしゃる。内心、キーッとなった。
「でもいままで家は建ってたんでしょう。それを後付けで規則ができましたでは、それは、オタク、行政の勝手で、納得しろと言っても無理でしょう」
「そのへんは、前例を作ることにもなり、なんとも申し訳ないとしか……市の方針ですので、なんとかご了承を……」
「わかりました! もういいです!」
 もん切りを荒く投げると書類をおもむろにバッグに投げ込み、肩にかけクルリと背を向けた。四階の階段から二階のフロアーへ憤懣やるかたなくて降りて行った。固定資産税課課の窓口へ向かう。
「この土地に隣接するかたの資産税台帳の写しをください」
申請書に記入したが、隣りの地番や正確な所有者などは、皆目わからない。
「隣りの方の名前と地番を教えていただけませんか」
 窓口の二十代とおぼしき女の子へ問いかけた。
「それは、個人情報ですので、ハイそうですかというわけにはいきません」
 女の子は、またもや役所特有の能面顔をしてすましの回答が返ってきた。
「まず、台帳の写しが必要な理由と、お客様の身分証明をしてください」
「隣地との境界を確認したいので、所有者や地籍を知りたいし、私は隣の方から、家の立て直しを依頼されている一級建築士です」
「では、その依頼主からの今述べた理由を書いた委任状をもらってきてください」
「以前は、この資格証明書だけで仕事の関係として交付してもらったのだけど」 
「それが、個人情報の保護ということが、ことのほか厳しくなってきまして、昨年から証拠として委任状を添えていただくことになりました。なにとぞご理解をお願いいたします」 
 いちいち職員のいうことが、カンにさわる。が、慇懃無礼ながら、申し訳なさそうな彼女の表情を見ると、こちらも戸惑った。
 ムカついてはいたが、ふたたび声を荒げる気分ではなかった。
しかし、 ――ボクは、いや私は、あなたの年収ほどの税金を払っているの、納税者にもっと便宜をはかりなさいよ! ―― と、やはり言いたくなってくる。
 ――私は能率よく仕事をして稼がねばならばならないのだ。時間が貴重だ。だが、稼げば稼ぐほど、莫大な税金をもっていかれる。どう考えても割に合わない―― 憤懣やるかたなかった。

なんとなくポルテージのあがったままの一日だったが、夕方七時には食事の約束があった。
こじんまりとしたイタリアン料理店のカウンターで、ワイングラスをかたむけながら、
簡易裁判所の書記をしている同年代の女史が、つぶやくようにシオリにささやいた。
「あなたの中城設計は、業界で一番高額な設計料を取るとウワサされてるわよ」
隣に腰かけて、ワインを味わっていたシオリは、この手の忠告めいたウワサを何度か聞かされていたが、またかと思い、またもやカチンときた。だが、ああそう、そうかもねと、なんとか受け流した。
はじめてこれを聞いたときは憤ったが、しだいに耐性がつきつつあったのだ。おそらく、アイ・コーポレーションの本社ビルを請け負ってから、業界に広まったと思っている。
「まえ話したでしょう。アイ・コーポレーションビルの建設を企画し、設計管理を請け負って完成させたって。メロデイで設計する私のポリシーを発揮し、一階から七階までを貫くパテイオ空間を取り入れて天井から青空が見えようにした。当時は、けっこう斬新なアイデアだったので、西南日報が六段抜き顔写真入りで紹介してくれた。その反動だと思っているの。同業者などから広告料をいくら出したんだとか、なにか裏があるのだろうと結構シビアな中傷が広がっていった」
 ワインはマスターのすすめてくれたイタリアの白である。軽くてキレがあるという。なるほどすきとおった味だと、久しぶりに、さわやかなテンポで味わっている。生野菜とベーコンチーズのサラダ、ミニトマトのアヒージョ、さらにカマンベールチーズとリンゴのカナッペなどのオードブルが、一定のリズでもって次々にカウンターに並べられる。
「アイコビルは、バリアフリーの考えも入れて働く人にやさしいビルをめざし、市街地促進事業の奨励補助金をもらったの。設計管理料が三パーセントだから二千万、自慢の仕事となったわ。キックバックなんかありえない。ところで坂元弁護士は、どうしている?」
「そうね、相変わらず南海島へ通っているようよ」
 仕事がら人のつながりが、しだいに増幅して育っていく。時とともに枝わかれして広がっていった対人関係が、偶然の出会いをきっかけにして絡み合っていった。アイ・コーポレーションがそのきっかけの核であったのかと、シオリはグラスのなかの琥珀色をしばし見すえ、数奇な出会いの思いにひたった。
「今度また、ダバオに行くつもりよ」さりげなくとなりの女史に伝えた。

数年前、アイ・コーポレーションは、フィリピン・ミンダナオ島の中心都市であるダバオに支店を開設した。そして本社の創業六十周年を記念して、本格的に海外事業に乗り出すとしてダバオ市に水道管設備を進呈し給水事業に貢献したいと申し出たのである。この案件は快諾された。折衝をしたダバオ支店の天羽隆一店長は、アイコの副社長とは高校時代の同級生であるといったつながりがあった。
シオリは、完成した本社ビルの再点検をしているときに、ダバオから業務連絡で帰ってきていた天羽と顔をあわせた。身長百七十センチ中ほどで中肉中背、日に焼けて精悍なイメージがあり、彼女よりきもち高いぐらいだが、歳はちょうど一回り半ほど上であった。初対面のあいさつを交わしたのち、社屋の二階ベランダで、備え付けのコーヒーメーカーからそれぞれが、ホットのブラックをいれて談笑した。
「フィリピンは面白いですよ、通信社の取材でいってから病みつきになって、その時に通訳の現地女性と親密になってね、可愛くて、それで結婚して永住することにした」
「フィリピンからの出稼ぎや国際結婚も年々増えてきていますね」
 シオリは、フィリピンパブを想像した。学習塾を経営していた同窓生がパブ嬢にはまってしまい妻子をのこしてマニラへ渡ったと聞いていた。
「だけど、フィリピンの珍しさもだんだん下火になったのでは。パブ嬢もウクライナあたりから若い女性がなだれ込んできているようよ」
「確かにそうだけど、亜熱帯の自然に生きる野性的エネルギーをもった人々には目を見張るものがある。素朴な力強さ、生き抜くしたたかさ、日本が失ったものがある」
 天羽はジャーナリストとして、フィリピンで、カブトムシの生態を取材・研究する目的であったが、戦前、フィリピン南部のダバオに移住した日本人の戦中、戦後の窮状を知るにあたって、このことは書かなければと、義憤にかられたという。それで移住者の子孫から聞き取りをおこない、克明に取材した。
コーヒーを片手にして、天羽はフィリピンと日本の関係は戦前にはじまったのだと、とうとうと、ダバオの講釈を始めた。
――高山都市バギオとマニラを結ぶ道路工事を契機としたものだった。山岳地帯に道路を通すという難工事となったために、日本への要請があり、沖縄を中心にした工夫が千八百名ほど入植し見事に完成させた。が、その後、職にあぶれた工夫がダバオをたより、ミンダナオの地の山林を開墾して日本人街が発展していった。戦前のダバオには、ラワン材やマニラ麻で富を成した日本人が二万人ほどに増えて、日本の植民地といわれるほどになった。それが、ダバオも満州のようになるのではないかと、アメリカはじめ当事者であるフィリピン政府も危惧しはじめた。
それが太平洋戦争がはじまったことによって、ダバオの日本人は自由が奪われ軟禁状態になったのだ――
そして、敗戦により日本人街をつくるまでに成功した人々が、どん底におとされたのである。敗戦国民の烙印を押され、苦悩を背負った移民の二世、三世の困窮した生き様はすさまじかった。そのやるせなき状況は日本国の棄民とよばざるを得ないありさまだった。
天羽は、歴史の悲惨さに義憤を感じて取材をかさね証言を本にまとめた。その『ダバオの日本国』は、芥川賞作家の強力な押しもありノンフィクション新人賞を受賞したのだと述べる。
彼は、さらに復興し繁栄しつつあったダバオ日本人会の中心となり、ダバオの日本領事館へも出入りするようになった。そこで当時の総領事であった安東博史と知り合い、意気投合し酒をくみかわすまでになった。
こういう芋づる式のいきさつから、シオリはダバオへかかわることになったのだ。

「そろそろパスタをつくっていいですか?」
カウンターの中にいたマスターの声で、シオリはイタリア料理店のカウンターに引き戻された。となりの女史を向いて、そうだねもういいかもね、と返事した。さらに言葉をついだ。
「……ところで、書記さまに聞きたいんだけど、今度、新設した特別養護老人ホームの完成検査でね、当局の検査官が指摘するには、通路に支柱が二十センチほど飛び出ており、一部で通路の基準である一・八メートルを満たしてないっていう指摘をうけてね。設計図を事前に出して許可をもらっているのだから、その段階でチエックしてくれればいいのに、いまさらって頭に来てね、支柱の強度にもかかわることだし、いまさら、柱を削るわけにもいかなくて、どうしょうもなくてね。腹の立つことこのうえないの」
憤慨をこめて述べた。
「そういうことなのね、本日の議題は」
女史はボトルに残っている白ワインをみずからのグラスにそそいだ。
「次は赤ワインをもらおうか……そうだね、検査官は、法律の規定からは一歩も譲れないから、ケンカしたらいけないと思う。現実的な対応は……入居者の日々の生活などに支障がないよう十分につとめますのでとか、何かあったらこちらの責任で対処しますので、などと一応指摘を受け入れ、責任はこちらにあること、今後についてもすべて責任をもつことを鮮明にするべきだと思う。そのことで、実害がほとんどないことも理由にして」
「なるほどね、そういう対応もありか、それでやってみようか」
「監査官の方から、柱を後退させなさいとか、削りなさいとか、具体的な指示はしないはずよ。それで、非難や問題が起こったら、具体的指示をした検査官の責任になるから」
 マスターが、できたよ、と大皿の真ん中にもったパスタをカウンターにおいた。
「ほうれん草のクリームパスタにしたよ」
 さらに赤ワインの栓を抜いて注いでくれた。
 わーおいしそう! 小皿に取り分けて出来立てのパスタをほおばった。なめらかさが広がっていくなかで、硬めのパスタがおどりゆく心地がする。赤ワインの渋さが、クリーム味をさっぱりにしてくれるので、ふたたび、パスタの濃厚さを新鮮に味わえる。
 最後にデザートが出てきた。アイスクリームにブルーベリーと安納芋ようかんを散らしてあった。スプーンを運ぶたびに甘さに酸っぱさが交互にからまっていく。
デザートも終わるとほど良い酔いと時間になっていた。懸案についてのサゼスチョンももらって、酔いの穏やかさとともに身心にうるおいが戻ってきた。
「久しぶりにシオリさんと食事して楽しかった。何かあったらまた連絡ちょうだい。これ、私の支払い分ね」
女史は仕事柄、完全割り勘を励行していた。
「こちらこそ楽しかったわ。時間を空けてくれてありがとう。またよろしくね」
二人してレストランを出ると別々の方向へ分かれていった。
シオリは、ネオンのきらめく街をあるきながら、私はまだまだ、稼がねばならないのだと強く念じた。

六月にはいった。
午前十時にシオリは、中城ビルの一階にある中城設計工房の駐車場に紅いワーゲンの車を止めて事務所にはいった。
まずは、パソコンのスイッテをいれて立ち上げ、とくに急ぎのメールは入っていないことを確認すると、次に、立ち上がったキャドを使って一般住宅の戸建ての図面をひきだし、プリントアウトしていたときであった。
玄関のガラスドア越に来客の気配を感じた。中押しのドアがひらき、ごめん下さい、失礼します、と中年の男がひとり入ってきた。その姿を見て、シオリは若干引いてしまった。
制服姿の警官だったのだ。
シオリより背も高く肩幅がガッシリとして、夏服の青いシャツに紺ズボン、腰のベルトに重々しい拳銃を装着している。
「中城シオリさんでいらっしゃいますか?」ハイと返答する。
「実は、外務省から県警へ連絡がありまして、そのためにおうかがいしました」
「外務省からですか?」 意味が分からなかった。
「中城竜也さんは、シオリさんの息子さんですね。実は、息子さんがゲリラに拘束されたという情報が現地の警察から外務省へはいったのです」
 えっ、さすがに声が出た。
「まず、そのことを連絡せねばとうかがった次第です。ですが、なぜ息子さんは、渡航注意というダバオヘ行かれたんですか。とくに南部は渡航禁止にされているんです」
「そんなに危険なところとは聞いてませんでしたし、ダバオには、アイコーポレーションの支店もあるので、そのつてで海外勉強のために行ったのです」
警官の腰にある威圧感のある拳銃を見ながら、小声で答えた。
「今、現地の警察が対応していますが、こちらへ身代金の要求とかはきてませんか」
「いえ、今初めて聞いて、驚いています」
 警官は、丁寧であったが鋭かった。手帳を取り出してメモを取り出した。
「シオリさんが、独自でダバオへ商品や荷物といったものを送ったことはありませんか」
「いえ、通常の連絡しかしておりません」
 内々では、いろいろあるのだが、ここで言うべきではない。
「ダバオの店長さんの天羽さんですが、以前は、学生運動の闘士だったことをご存じでしたか?」
 シオリのなかで、何かが、〈きたーっ〉と叫んだようだ。そういうことなのかと……制服の警官を装ってはいるのだが、いわゆる公安警察ではないかと、脳裏でひらめきが起こって、しずかなふるえが走った
「そのようなことを、チラと聞いたようではありますが、よくは覚えておりません」
「そうですか、では、何か進展があったら、また、ご連絡いたしますが、何か思い出したことや相談したいことがあったら、ご連絡ください」 警官は連絡用の名刺を出した。
「で、タツヤは無事なんでしょうか」
「それが、海外のことで今話した以上のことは、皆目わからないんです。それで、連絡方々おうかがいしたわけです」
 中年警官はきっぱりというと、お時間を取らせましたと、踵を返した。
 シオリの胸には、暗雲が立ち込めて破裂しそうになった。

                                                    ( つづく )

*新年にむけて、長編小説の連載をはじめます。場合によっては間にエッセ  
 イをはさみます。なにとぞヨロピク!


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