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いくぞ新作⁈ (10)

アナログ作家の創作・読書ノート     おおくぼ系

*長編連載小説の10回目です。〈 はるかなるミンダナオ・ダバオの風〉といったところでしょうか。ハードボイルド・サスペンを意識しております。引かないで読んでくだっせ~


            〈あらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。彼女はダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で混乱しているが、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオにたどり着いた運命にひたった。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本人たち〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓して、互いに文士であった。ダバオの市長選は、ドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いになれる必要があると、部下のアンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所から半生を振り返っていた。その日は、チエコ大使館を訪問する予定で、チエコ時代のデモビラなどを書記官にあずける。シオリは、警察庁からのメールを受け取る。またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉という内容だった。
シオリは、偽メールに対し締まりのない時代へなったと嘆く。アンガスは、訓練場でタツヤに射撃訓練を行う。
天羽は、ドウタテイの市庁舎を訪問する。パトカーの寄付が欲しいと言われ、安東やシオリに相談をする。


 シオリは、天羽からの電話を受けていた。
「パトカーを贈呈してくれるところはないかって? それ、どういうこと」
「ドウタテイからの要望だよ。安東さんへも相談したんだが、国支援としてはあらゆる可能性をあたって、要望としてまとまったものを上げてほしいということだ」
「それはそうだけど、経済支援や協力はボクたちの範囲だけど、治安維持への協力は、ちょっと違う気がしない」、
「ダバオは、まだ麻薬や不正、暴力がはびこっているのを見過ごせないのだろう。無くなるまでは、チャレンジをやめないようだ」
 シオリもわかるような気もするが……街をきれいにするとは、家をきれいに清掃し、ゴキブリを許さないという心情に通じるかと。でも、悪人といえども人間であり、家族もいるのだ。
「サツマーダバオ交流会には、サツマ・ビークルなど車の販売会社も参加しているだろう、その辺にあたってもらえないだろうか」
「いきさつはわかったけど、ボクは、出来るだけの協力は惜しまないつもりだけど、それって、事務局の仕事じゃないの」
「いや、それは、いつものことで申しわけない。協議会は発足したのだが、専従の事務局職員は一人もいないのは知っているだろう。シオリさんの協力を仰ぐしかないんだ。それに、私がサツマに居ればいいのだが、ダバオからだと、なかなか緊密な話はしにくくてね」
「それはわかる。天羽さんの壮大な夢に共感を覚えたから、協力はしてるつもりよ。だけどボクの仕事もけっこう忙しい。今ね、環境関連で屋上緑化の思案中なの。サツマ開発さんと共同で、コンクリート天井に芝生を植えつけることに試行錯誤してるんだ」
 タツヤの時もそうだったが、天羽からは、いつも突然な依頼があり驚かされる。
「まあ、一応、ひまを見てあたってみるけど、期待しないで……そうだ、こんなのどう? 中古車の程度の良いものを十台くらい送るから、覆面パトにするか、または、パトカー仕様に塗装しなおして、当面それを使うってのは、新車一台だと四百万かかるところを、百万以下ですむじゃない。あとは、日本政府の支援を仰ぐとしたら、それは安東さんの仕事よ、安東さんは、政策秘書、日本フィリピン協会の理事、元ダバオ総領事、これだけの肩書がある立場なのだから、もっと働いてもらわなければ」
「なるほど、中古車か、それも一案だ。安東さんへも相談したのだけど、あの立場になると、案件が山のように押してくるらしい。だから、パトカーの要望を最重要事項であげるには、理由や国益など、しっかりとした考えをまとめたうえで、上げてくれっていうことさ」
 シオリは、以前サツマに来た安東博史のことを思い出した。天羽ほど親密ではなく、どちらかと言えば、作家江夏和史のイメージが強い。
「そうだね、だけど、天羽さん、ダバオ、東京、サツマと、いろいろと密な相談をするには、離れすぎているし、それぞれの仕事も忙しい。それぞれの立ち位置も随分違う、それだけに今回の件は難問に思えるよ」シオリは消極的に考えざるを得なかった。
「仮にデイーラーが一台提供してくれても、運搬費や塗装費は結構かかるし、その費用をどこが負担してくれるか、基本的には財源不足なのだ。そうそう、シオリさん、前にも言ったけど中古車を十台ほど送ってくれないか、売って浮いた金で、今後の活動費をまかないたいし、タツヤの生活にも金が必要だ」
「それはいいけど、こちらの購入原価にいくぶん乗せて返してもらわないと、利益の全額を寄付するわけにはいけないわ。利益の一部を寄付することよ」
「それは、分かっている。少しでもそちらのコストに上乗せできるようには、考えている。今度のドウタテイは、駄々っ子がそのまま大人になったようなものだからな。彼は、不良少年であったけど狂人ではない。一人で革命をなそうとしている、驚くべき人間だ。何かの縁だろうと、この先をドキドキしながらも眺めている。私は、シンシアとも結婚し、ダバオの住民として人々の役に立ちたい。歳からしてここに骨を埋める気持ちだから」
 その純粋な気持ちにほだされると、大変なことになるのでは、とシオリは考え出している。
「わかったわ、中古車も早いうちに送るようにするから。他に何かある?」
「ひとつだけ、急ぐものがある。日本フィリピン協会が、今度、ミンダナオに国際大学を創設する予定だから、サツマの方で協力できるものを、何か出してほしいということだ。これも至急に案を出して次回の総会で決めたいのだが……まだ、いろいろあるが、こんなところだ」
「なかなか忙しいわね。ボクでできることは、やってみるよ。タツヤをくれぐれもよろしくね」
 けっこうな長電話を、やっと締めくくった。乗りかかった舟だから、致し方ないかと思いつつも、ボクももの好きだ。当初は、天羽と安東のエネルギーに圧倒され、面白そうだと興味を持ったが、理想を追うことがいかに大変であるかが、わかってきた。
 天羽とは同郷のヨシミみたいな心かようものがあるのだが、安東秘書は、東都の殿上人となり、だいぶ距離があるように感じる。
 以前、安東秘書・いや江夏作家(?)が、サツマーダバオ交流会議の準備会議で来鹿したときであった。
 昼前に突然、シオリの携帯が鳴りだした。
「シオリさん、これはいったいどういうことですか? 」
安東からご機嫌ななめの電話があったのだ。
「はあ、それって、どういうことですか、くわしく話してもらえねば、ボクは、わけがわかりません」
「いやね、本日、私が来鹿するってことは、事前に言ってあったはずですが、今、空港についても、だれも迎えに来てないんですよ。それで、天羽さんへ電話したら、彼は車がないからシオリさんへ、お願いするってことですよ」
 なぬ、そんな話は天羽から聞いていなかったし、なんで、秘書様であれば出迎えがいるのだ、リムジンに乗れば県都まで楽にこれるじゃないかと、一瞬ムッとした。そうでありながら、不機嫌を悟られないようにしばし沈黙して、対応に頭をめぐらせた。
「……ああ……会議は二時からでしょう。ちょっとバタバタして遅くなりそうですから、空港で昼食をすませていただけませんか。十二時半すぎには、そちらにうかがえますので」
 なんとか、つじつまを合わせてやった。
「そうですか、では、そのように。まってます」
 むこうさんは、まってます、で終わったのだが、こちらは皆目知らなかった話である。至急、天羽へ電話をいれ、迎えに行くとなった旨を伝えると、〈まことに申し訳ない、迎えはできないとは言えなかったから、シオリさんなら対処してくれると思ったから、……ご対応に感謝であまりあります〉と、いけシャアシャアとのたまう。よくぞ、こっちに断りもなく勝手に振ってくれたなと、キーッとなった。が、彼も本日の段どりを一人でバタバタし、おそらく失念していたのであろう、憤懣やるかたないが、いたしかたないか。なにせ、協議会も何もかもが急ごしらえで、彼は一人で奮闘していた。
 シオリは、ゆっくり昼食をとる暇はないと感じた。事務所の冷蔵庫から、今朝買い置いたサンドイッチとハーフパックの牛乳を取り出すと、事務所の端においてある赤いセダンに乗り込んだ。
 事務所から街中を十分ほど走り高速にのる。運転しながらトレーボックスにおいたサンドイッチをほおばり、牛乳を飲みだした。四十分ほどで空港へつくはずだ。
 考えようによっては、ボクに安東秘書の出迎えを頼み、秘書の昼食の接待役まで考えていたのではないか? あれこれと……疑念がわき起こってくる……言い出せずに失念されていた……ありえる話ではあるが、考え出すと、さざ波から大荒れの波しぶきが立つ。
 天羽の熱に取り込まれたのが、そもそもの発端なのだが、天羽プロジェクト自体が行き当たりバッタリで、一人で孤軍奮闘、行く先は見えずに漂流している。
まあ、事業を始めるというのはこんなものであろうが、夢を追いすぎる姿勢と彼のやさしさが、どうなるかだ。吉と出るか、それとも。
 空港インターンをおりると、安東へ携帯を入れた。
「もう着きます。時間も余裕がないので一般乗車場のところに出てもらえますか、こちらは赤のセダンです。昼食はすまされましたか」
 スピードをおとして、ゆっくりと空港ゲートへ入っていくと、先にスーツ姿の安東がアタッシュケースを持ってまっているのが見えた。そこへ滑り込んでいって、ブレーキを踏むと左のウインドをスライドさせた。
「お待たせしました。どうぞ」
 安東は、やや戸惑ったように、空いた窓から声をかけた。
「どこに乗ればいいの。助手席、それとも後部座席?」
「…………」 アホか、こいつは。ボクとあなたの関係はそんな関係じゃないだろう。
「お偉方は、後ろだろう」ボソッとつぶやいた。
「では、失礼して」安東は後ろのドアを開けて、乗り込んだ。
 走り出したが、いくぶんマズイ沈黙が流れる。
「いや、失礼した。欧州など海外生活が長かったため、車に乗せてもらうのは隣席が一般的だったものだからね」
「ここは日本だし、なかでもサツマだ。東都のスマートな生き方とは幾分違ってるんだ」
「なるほど、そういうことですか、郷にしたがえですな」
 高速に乗り、百二十キロほどで飛ばしていくと、感覚がウキたってきて景色の流れにしびれてくる。お世辞の一つも披露するかと、心もいくぶん上向いた。
「先生の、〈雪解けのプラハ〉は、楽しく読みましたよ。傑作ですね」
「ああ、そうですか。あのころは、大変な中でも、青春でしたね」
「ドイツの方と結婚というのは、すごい情熱ですね、熱く燃えたっていう」
「まあね、主人公はひとつの分身ですからね。若い時に一度は結婚をしてみるもんですね。今になって思うには、ですが」
「そうですね。一度してしまうと、こんなもんかと思っちゃう」
 お互いバツイチの経験があるのだと、いくぶん親密感を覚える。
「若い時は、ガムシャラだったけど、この歳になり、やっと安定を望むようになった。環境の変化もあるのだろうが」
「今だにガムシャラな人もいて、今日も振り回されてるけどね。フフ、けど、ガムシャラというのも意外と可愛いもんよ」
 ちぐはぐな会話に思えたが、なんとかとりつくろえた。
「今度出す予定の〈はるかなるダバオ〉の主人公は、ダバオで育った日本人孤児が、自分探しの旅に出る物語でね。恋愛ものでは無くて、親子の絆の話ですよ。思えば遠くへ来たものだと、年がわかりますね」
 安東も、いや作家江夏和史も年ごとに重いものを背負って生きてきたのだろう。

*     *    *

 タツヤは、約半年たって、日々のダバオの生活に慣れてきたが、ラルク、アンガス、天羽をはじめとして現地の人々と知り合うことで、この地の実情を知りつつあった。
 ダバオは、日本人の入植で、戦前に栄えた都市であったことや、裕福になった日本人が戦争により敵国民となり、いったんは日本が占領したものの敗戦により、どん底におとされたこと、その子孫というべき日本人や二世が、いかに弾圧地獄の中を生きのびて来たか……その実状を憤慨とともに、ノンフィクション〈ダバオの日本国〉に書きあらわしたのが、天羽であり、彼は、ここを楽園に代えたい強い決意をもって移住していることなどが、わかってきた。
 さらに、敗戦後、敵国の日本人はフィリピンからの退去を命ぜられて帰国した者が多数いた。事情により帰国できずに残った日系人は、学校にも行けず、三度の食事にも事欠く極貧の生活をしいられ、隠れてなんとか命を保っていた。それを支援しようというキッカケとなったのは、戦後帰国して復興に伴い仕事にめぐまれて裕福になった人々が、1980年代になり、先祖の墓があるダバオ市のミンタル地区をとずれた。ダバオ会として団結していた日系人から、子供たちに夢を持たせたいし、日本語も学ばせたいので、学校をつくってくれとの強い要望により、〈ダバオ日系人の社会的地位の向上、生活の自立を目指す〉として、フィリピン日系人友好協会が設立され、今日の日本フィリピン協会へと発展し、支援活動が続いている。
 1990年代になると、高度成長期の高波に乗って、青年海外協力隊の活発化に伴いフィリッピン各地で若者のボランテイア活動が盛んになった。
そういう時勢の流れの中で、〈ダバオに日本人学校を造りたい〉との要請を受け、実現の思いを持ち続けた内林氏の執念が実り、日本人学校、小学校、ハイスクールができあがった。さらに、その帰結として、次世代の新しい日比関係をつくりたいと、ダバオ国際大学を造ることが、日本フィリピン協会の大きな目標の一つになってきた。
 国際大学の概要は、三角屋根をもつ六階建ての箱型の学舎を中心に構成され、一階には、フィリピン日系人友好協会の事務所、会議室さらにはクリニックが入り、二階には学長室や事務室等、三階から五階には二十の教室がある。六階はジムやバスケットコートが整備される予定である。
 その財源は、内林氏の夫人の遺贈七千万円を原資として、協賛を募ったものであった。
 講座の内容は、社会福祉・コミュニティ開発学科、教師養成・日本学科、環境保全学科などを開講するとしており、サツマーダバオ交流会もこのプログラムにぜひ参加してほしいとの要望があった。
 一方で、将来をみすえたハッピーな活動が芽生えつつも、ドウタテイの強硬な施策の実施により麻薬撲滅戦争も進行していた。
 ドウタテイは、前市長時代から市内の麻薬組織の中核メンバー三百人の名簿を公表し、逮捕に努めていた。ただ、麻薬シンジケートのほうも、拳銃、自動小銃さらには手りゅう弾などを保持していて、捜査に向かうたびに激しい戦闘が起こった。抵抗するものは射殺してもよいとの方針のもと、千人単位での殺人がなされた。
自警団であるダバオ・デス・スクワット(DDS)も復活して、青年二人がオートバイに相乗りして麻薬関係者を銃で殺害して走り去るという、超合法的殺人も頻繁に起こった。
 タツヤは、スラム街の一角に、首から看板をぶら下げて放置されている死体を見たことがあった。プレートには、ビサヤ語で〈私は麻薬常習者でした 警察に殺されても仕方ありません〉という文言が書かれているという。だがこれは、麻薬マフィアが自衛策として、末端の薬売人を警察の仕業として、粛清したものだとささやかれた。
 軍や警察にしても腐敗があり、タツヤは、無条件に人に頼ったり、同情から信用しては危ないことを身をもって知った。
 ダバオは、地獄と天国が混ざり合ったるつぼの都市であり、何を考えて生きていけばいいのか、不安にさいなまれていた。


                                  ( つづく )

*まだまだ、続きます。読んでやってくだ~せ~!!






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