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いくぞ新作⁈ (3)

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系

*新しい年をむかえました。年末に開始した長編連載小説の3回目です。仮のタイトルは〈 ミンダナオの情念・ダバオからの風 〉といったところでしょうか。ハードボイルド・サスペンを意識しております。引かないで読んでくだっせ~

            〈あらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、一級建築士で中城設計工房を主催しているが、不満をかかえたまま、裁判所書記官の女史とイタリアンの会食をし、指摘事項などの対案を考えてもらう。翌日の午前、事務所に中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのことである。シオリは暗雲につつまれて、ダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。

アイ・コーポレション、フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの国際電話をとった。彼は拉致について総領事へ問い合わせる。人質事件で情報が混乱しているが、日本人の拉致は聞いてないという。天羽は現場で直接に確認せねばと、アンガスとジープを走らせる。密林を走るなかで、シオリの〈いまだ活動家〉の言葉が浮かんできた。


   

   ひとつ、秘境の濃い緑のなかで、ポツと浮かび上がる思いがあった。
 シオリが知らせてくれた、警官が、オレがいまだ活動家ではないかと疑っていたことだ。
 密林を進みながら、ときおり頭の上から射してくる日を感じながら、天羽は、浮かんでくるにがい思いをかみしめていた。
確かにいまだ、心底には活動家の残り火がくすぶってはいる。
……人の生き様は、変えようと思っても簡単にはかわらないし……そして、それは……過去を思い出せばきりがない。いろいろとありすぎた。
三十歳までの青春期は熱いルツボのなかで煮えたぎるようであった。自身も世間も激しく揺れ動く時代のなかでよくぞ生き抜いてきたと思える。当時は、まだ敗戦の陰を引きずっていて未来への出口を求めてそれぞれが激しく燃えたぎっていた。
 一九六〇年の安保闘争を契機として、政府に対抗して学生や若者が中心となり過激な反対デモを繰り返し騒乱が続いていた。
アジアではベトナムで民族の解放を掲げた戦争が続いており、日本国内でもベトナム戦争に反対を訴える草の根の市民運動が東都を中心にして燃え盛っていた。
天翔も国際聖華大学を卒業して東都での就職が不本意におわり浪人中の身であったが、この動乱の時勢を意気に感ぜずにはおれなかった。彼の家はクリスチャンで、彼も小さい頃に洗礼を受けていた。信仰心の篤い母のすすめもあり、国際聖華大学社会科学科を専攻したのだったが、礼拝堂を聖域とする信仰生活に、反発を覚えるようになっていた。戦争、貧困、社会的不正の元凶と戦うために行動を起こすことが、この世をただす近道に思えた。そこで、教会を飛び出し学生運動の仲間に加わった。
そのような学生生活のなかで、気の合う学友が二人できた。三人三様で考えはそれぞれであったが、よくつるんで、新宿ゴールデン街で飲んで激論し合った。その中の一人、野田は、テレビ・ジャーナリストとなったが、勤めるテレビ局が、ソ連の宇宙飛行士の推薦依頼を申し出たことにより、アメリカが月に降り立った事実を意識し、宇宙飛行士となって地球をながめてみたいと応募した。
もう一人の秀才は、人々の役に立ちたいのでと、司法試験にいどみ、将来は政治家を目指すと断言していた。この三人のグループは、聖華の三羽ガラスと呼ばれるほど、仲がよくて、お互いに固い絆ができたのだった。

「ボス、もうすぐ着きまっせえ」
アンガスのことばに、現実にもどされた。
広大なヤシの林の中に、小屋が見える。ジープが速度を落とし,近づいていくと、ココナツヤシぶきの小屋の前に四人ほどたむろして、それぞれバナナを食べていた。車が停まると、みなこちらを向いた。天羽は、ドアを開けておりたち、声をかけた。
「タツヤは、いるかい」
「ああ、ボス、タツヤは今非番でいませんよ」
中年になろうかという、リーダーが答えた。たしか、スカンとかいう社員だった。
「何か用なら、伝えておきますよ。ボス、バナナを食べますか、ツバもありますよ」
バナナをひと房、プラスチックのカップにツバ(ココナツワイン)を注いで差し出した。 
サンキューと一本をもぎ取って、残りをアンガスに渡した。昼食の時間をいくぶんすぎて腹もへっていた。昼からツバはないだろうと、車からポリタンクを出しコップに水をそそぐ。
「最近、タツヤに何か変わったことはなかったかい」
「そうですね、特には。近頃、だいぶ慣れてきたようで、同じぐらいのラルクと仲が良くて、つるんでいますよ」
天羽は、ーー最近になってポリスが訪ねてきたことはないかーーと訊ねようとしたが、かろうじて思いとどまった。この地では、誰が誰とつながっているのか、わからない。社員といってもなかにはゲリラのシンパがいたり、ポリスとつながっている者もいるかもしれないし、彼らが、誰に何を話そうとも全く自由で、かつみな奔放である。ある面ではそこしれぬお人好しであり、ある面ではとてつもなく狡猾になる。誰が誰に何を言おうと規制は不可能である。
バナナをもう一本取って食べながら考えた。
「タツヤの次の非番は明後日か。聞きたいことがあるから、アンガスが車でむかえにくるので、いっしょに乗って事務所まできてくれと伝えてくれ」
「オーケーボス、ゆっときまさー」
さて、どうなるかは、それからのことだ。とくに問題は起こってないように思える。
なるようにしかならない、ダバオでは時はゆったりと流れる。
「じゃ、今日は窯まではいかないが、炭焼きにはくれぐれも気をつけてくれ。火事を起こさないようにな」天羽は、スカンにたのむと、ジープに乗りこんだ。

今来た密林を引きもどしながら、今おこりつつある懸案を整理しなければならなかった。
炭焼き事業にしろ、どれもこれも、解決しなければならないことが多すぎる。
五年前の水道施設の贈呈ではじまったが、これも工事中に事故が起こり死亡やケガ人がでてしまった。ヤシ殻高密度炭製造事業もカーボン・ファイバー繊維への利用をもくろみ安価な有機原料としての需要を見込んだが、より廉価な化学繊維が利用され軌道に乗るには程遠い。シオリに頼んで建築資材への利用を検討してもらっている。さらに、この六月には、ダバオ市長選があり、現職のグスマン候補をおしているのだが、元市長であったドウタテイも帰ってきて参戦するのだ。この関係もねじれている。
ドウタテイは、以前三期九年にわたってダバオ市長をつとめた後、四選禁止令により下院議員へ鞍替えし、助役のグスマンがあとの市長職についたのだが、三年のブランクをあけて、再び返り咲こうとしている。彼は、検察官から政界へ進出したが、豪放すぎる性格であり、市長になってもGパンでバイクにまたがり疾走する様は〈カウボーイ〉と呼ばれた。治安の悪かったダバオを改革するために過激すぎる手法を取った。麻薬密売人、レイプ犯、反政府ゲリラ、誘拐犯などに対して超法規的な殺人を容認した。
対照的に、現グスマンは学者・弁護士出身の行政マン型であり、市の経済発展・繁栄に力をそそぎ、インフラや周辺整備を着実に進め、外資の導入にも積極的であった。実績が評価されて、〈アジアン・ウイーク〉誌でダバオ市が取り上げられた。それで、われわれも外務省の〈アジア中堅指導者招聘プログラム〉の適用を働きかけ、結果、彼は日本そしてサツマへも視察に来た。その訪問の機会をとらえて、念願の〈サツマーダバオ交流会議〉を立ち上げたのだった。
グスマン市長の日本そしてサツマの訪問へのシナリオにひと役買ったのが、当時のダバオの日本総領事館の領事であった安東博史である。天羽は、安東領事と水道施設贈呈事業をとおして知りあい、その後、領事と意気投合したのだった。
天羽は、交流会議の実質上の事務局長として、年月をかけてやっと昨年立ち上げた発会式でのグスマンのあいさつを、いまもって感慨深く思う。
ーーダバオはフルーツバスケットと言われており、実り豊かなところです。両市で進む民間交流は、形式的な行政同士の付き合いとは違い、住民同士が直接触れ合い、相互理解を深める貴重な絆です。ぜひダバオに来てください、また、新しいダバオに発展させるために民間投資をお願いしますーー
この緊密な関係を保っていたグスマンが再選をめざすとして市長選を戦っている。当然支援をせねばならないし、ボンゴヤン議員を通じて多額の陣中見舞いを渡してもいた。だが、支持率は五分五分でどちらにふれるかわからない。これも時間の経過を待つより仕方がなかった。
密林を出て、六月の強烈な光にてらされ、ジープの助手席で景色を眺めるともなく眺めていると、よくぞここ、ダバオまで流れ着いたなとの感慨がわいてくる。


                                           ( つづく )

*新年早々の地震や事故で、めでたさもとんでますが、今年もヨロピク!



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