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いくぞ新作⁈ (20)

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系

連載小説  はるかなるミンダナオ・ダバオの風   第20回

        〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。彼女はダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で混乱しているが、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオの運命にひたった。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返り、チエコ大使館を訪問してチエコ時代のデモビラなどをあずける。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、とり締まりのない時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは相談を受けるも、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。安東は、パトカーの寄贈について交渉を重ねていた。
シオリは目論み通りに、環境センターのコンペを勝ち取った。ダバオは、渡航困難区域となり、天羽は交流を模索していた。そんな中、タツヤとラルクが、タスクフォースに連行される。アンガスが、二人を救出せんと留置場へ急行し、無事に救出する。シオリにはタツヤの抑留ことを知らせなかった。
シオリは、市電軌道の緑化事業に動き出し、江夏(安東)は、〈はるかなるミンダナオ〉を出版する。


 先日の〈ソフィア〉の取材において、いつにもなく熱く語ってしまった。

 長髪を後ろでくくった若手の取材記者は、丸首のセーターにシンプルなサファリジャケットをはおって議員事務所に現れた。となりの面談・応接室に案内する。

「小説〈はるかなるミンダナオ〉は、手法は〈雪解けのプラハ〉と同様であり、江夏先生が赴任した国での地域や住民に根付いた現代史的、歴史的体験が下敷きになっているようですが、あらためて今回の小説執筆へのお気持ちをお聞かせください」

会議用のデスクをはさんで向かい合っている。年齢は四十ぐらいと踏んだ。

「作品では、深刻ぶらずにサラッと触れておりますが、日本とフィリッピンの間にいびつな関係が厳然としてあるということへのーーこう述べると書生臭いと言われるかもしれませんが、義憤を感じたのです」

「それは、小説にも表れてますが、ジャパユキさんとよばれるフィリピンの若い女性が興行用のビザで入国し風俗産業に従業しているということに対してですか」

「ダバオ領事館で、当該ビザの発給をしていたので、ことさら身近に義憤を感じたのです。その風俗産業によって日本の業者が潤っており、人権を無視した虐待、暴行事件なども頻繁に起こっている」

「統計によると、二〇〇一年の興行ビザで入国した外国人十一万七千八百三十九人の六十パーセントがフィリピン人で、二十五から三十四歳の女性が大多数を占めており、また、不法滞在者の九十パーセントがフィリピン人だそうですね」

 ダバオでの実感が少しずつよみがえってくる。

「外からみた日本人は、節度なきエコノミックアニマルならぬエロアニマルですね。現地人の対日感情は屈折したものがあり、かってのダバオの日本人街の繁栄が反転してしまって、日系人問題もより複雑になっている」

 小説というものの起源は、かの大国において天下国家を論じるものを大説といったが、それに対して取るに足らぬ説であるとして小説といわれる、とされる。

 さらに現代の小説は、フィクションであり空ごとをつむぐのだが、まったく空想の物語をいかにも現実のごとく書きあらわしたものであるか、現実をいかにも想像のものとして書き替えて記すものであるが、〈はるかなるミンダナオ〉は、いうまでもなく後者なのだ。

「わたしの赴任する前のダバオは、新人民軍が支配していてやり放題だった。今は、北部の山にこもっているようだがね。武装勢力による戦国時代のようなものだが、それぞれが微妙に利害で結びついて混在しているから余計に始末がわるい」

フィリピンのこういう現実にしてもジャパユキさんにしてもマスコミが、とりあげないから、邦人の良心がうすれていく。もっとも安心安全で平和な日本にすれば、そういう実状を報道すれば、あえて波風を立て、なぜ社会不安をあおるのか、それこそが謀略だ、となるのだろうが……ひとしきり、考えてきたことを記者へ吐露した。 

「著者としては、そういう現状を作品で絶叫したということですか」

 江夏は、かすかにうなずきながら、目の前のコーヒーを口に含んだ。改まって、指摘されると、そんなに大上段に振りかざした仰々しいものでもないので妙に気恥しい。小説は読まれればいいのであって、どう読まれようと読者の側の問題だ。

「しかし、嘆いてばかりでは致し方ないので、少しでもダバオ社会の発展に寄与したいと、邦人のボランテイア活動が続いている。ひとつには日本フィリピン協会があり、私も理事を担っているが、孤児院への寄付を行い、今回はダバオ国際大学を設立し、より絆を深める予定だ。このボランテイア団体の発足は、大戦でフィリピンに散った日本人の遺骨取集と慰霊がきっかけとなり、国立市のお寺さんが中心となり慰霊塔を建立した。境内の一画に現協会の事務所を設けている。また一昨年から、ダバオの日本人二世の一助となればと、サツマーダバオ交流会議が発足して活動を進めている。私は、これにも顧問として参加している。今までの交流の歴史を踏まえたうえで、新しい交流発展を願って共存できる方向を目指しつつあると思っている」

 記者は、コーヒーには手を付けずに相づちを打ちながら、メモを取っている。

「つまるところ、日本人には美徳であった確固とした信念が無くなったということですね。いいかえると人間的な良心とか、人として生きるために重要なものが……なくなった」

「信念といったものも、けっこうやっかいなものでね。今度、ダバオ市長に再選されたドウタテイは、正義感のカタマリのような人物で、ダバオから麻薬撲滅、凶悪犯撲滅を目標にして、実際に警官を指揮し悪者は有無を言わさず逮捕し、抵抗する場合には射殺も辞さずと、強制捜査路線を容認している。悪をもって悪を制す典型的な人物だ。賛否両論のなか、私自身も判断しかねるが市民からは絶対的に支持されている。ダバオならではのことがらだが、マスコミはこれに触れたがらない。あなたは、どう考えますか」

 突然にふられた記者は、おし黙った。

「ウーン、即答はできかねますが、いろいろと調べてから慎重な見解を出さねばと思うところです。こんなところで、ごかんべんを」

 ハハハ、日本にいると、当たり障りのない平穏な日々を送ることに気を使い、平和な社会としての成熟を感じるのだが、何かを見過ごしている気もするーーこれでいいのか、海外やダバオの現実を知るにつけ言い知れぬ焦燥感も感じる。一息ついた。

「いや、ひとりでしゃべってしまいました。ダバオにいたときは、貧困と不条理に憤っていましたが、今のポストに就くと、人生、こんなもんかと遠い過去になってしまった気がしましてね。だから〈はるかなるミンダナオ〉であって、自身の墓標かもしれませんね。インタビューはこんなところでいかがでしょう」

まだまだある壮絶なダバオの実情は語る気にはならなかった。平和日本に住むとすべてが、アホラらしく思えてきた。

取材に対し、大人気もなくしゃべりすぎたかなあと思ったが、衝動を抑えがたく、どうしようもなかった。そして、その後にいつもの激しい自己嫌悪が、パニックをともなってやってくる。

正論があり主張があり、それが活字をとおして生き方が浮かび上がるという、ある種、小説は哲学かもしれないが、そういう生き方は出来なかった……これが正解? 懸命に生きたが人生は短すぎる。

日本という天国に住むと、海外での地獄の苦しみはたんなる想い出として消えていく。一方、天国の住人、天使にも寿命があるようだ。一度区切りをつけて再び生まれ変わってきたい。

翌月になって、インタビューを掲載した〈ソフィア〉の最新号が送られてきたが、記事のタイトルは、〈なぜ日本人に信念、生き様がなくなったのか、哲学の不存在〉というもので論説雑誌の編集者の視点で取りあげていた。内容は、現代の日本人は生き様を考えないという、私の意見を参考として哲学的で深遠な思考が、日本人から消滅しつつあるとしている。記事の中ほどに、一例として、わが外務省の最新の事件についてとりあげているが、ロシアンスクールに属する外務官僚が、ロシアとの平和条約締結の可能性を見出そうと心血をそそいでいたが、親しい国会議員とはかって不祥事を起こし告訴されたというもので、国益にまい進する外務官僚が私益に走っていたのは醜悪であり嘆かわしい。憤りを感じると述べていた。

ただ、私が情報通から耳にしたところ、当該事件にかかわったとして起訴された外務官僚は、新たに外務大臣になった女帝議員と外務省の主といわれた当該国議員の政争に巻き込まれ、国策捜査として起訴されたという。

まつりごとの現場にいると、同事件の表層と核心は、おおきな乖離(かいり)がある気がするし、それがまつりごとの常であると思える。評論と、現場で生きる者とは、あきらかな視点の違いがあるーーそのような感想をいだいた。

 

     四章 ホテル・マルコポーロ

 

三月に入って天羽は多忙を極めていた。

空手道場を開くために天心館の岩男伸(いわおのぶ)館長が、ダバオに到着した。同時多発テロ以来、渡航制限が出て来訪客がほとんどなくなった時期だけに、ダバオ当局からすこぶる歓待された。もともと天心館のダバオ進出は、日本フィリピン協会によるダバオ国際大学の設立に際して日本専攻科目・日本武道として構想されていたが、準備が遅れ当年六月十日の開講には教育学科のみで発足することとなった。よって天心館としては、道場を先行して開設するとして、道場予定地の視察、法人化の予備調査を行うためのものであった。

天心館は、日本の三大空手流派の一つで、少林寺流を継ぐ正統流派である。伸館長は、八歳から先代師範の薫陶を受け、十代の全国選手権大会では組手の優勝を飾り、脚光をあびた。弱冠十九才の時、フィリッピン・ルソン島のバギオ工科大学で指導にあたり、天心館空手の世界への普及を開始した。その後、中華民国、ドミニカ共和国、プエルトリコ道場開設の基礎を作り、空手道の国際化を図り、天心館空手は十二か国、約三十三万人の門下生を抱えるに至った。そして、バギオ以来のなつかしきフィリピンを再び訪れたのである。

天羽に案内された岩男館長一行は、ドウタテイ市長。ボンゴヤン副市長、市議会、野々村ダバオ総領事、日系人会長、市の法務局長などへの表敬訪問を精力的にこなし、三日間の日程を終える最後の日に、サツマーダバオ交流会主催の答礼会食会が開催された。

夕食会の会場であるマルコポーロ・ホテルは、ダバオの中心地にあり、中庭に広いプールを備えた二十階建ての五つ星ホテルである。

そのロータス・コートに三十六人が集まり宴会がはじまった。

部屋中央の天井からは、円錐形のシャンデリアが煌めいている。円形テーブルやイスは、オフホワイトで統一されている。内装もアイボリーで統一感があり、淡い壁燈が静寂ムードを演出し空調もほどよく保たれている。それぞれの円形テーブルには、マンゴー、ドラゴンフルーツ、マンダリンオレンジなどの果物が、花に囲まれて飾られている。

ただ、主賓であるべき、暴れん坊市長のドウタテイの姿が見えなかった。フランクすぎる彼は、こういった華々しい席は苦手のようである。食事も質素で豆のスープが大好物と言っている。もう一人の欠席者は、天羽の片腕のアンガスである。彼もまた、華やいだ舞台は苦手であり、天羽にまえもって遠慮しときまさーと一言があった。

中華料理の宴は、ボンゴヤン副市長兼市議会議長の歓迎のあいさつで始まった。

「天心館のダバオ進出は、昨年九月十一日のテロ以来外資や観光客が、めっきり減少したミンダナオ・ダバオにとって日本の文化的投資という意味でもたいへん喜ばしいことです」

 ついで、野々村総領事が前に進み出た。

「今年は、ダバオ日本人移民百周年記念の年にあたり、天心館宗家のダバオ訪問と道場の設立は、日比間の友好と一体感を深める、またとない機会となるでしょう。宗家の決断を称賛するとともに領事としても全面的な協力を行いたい」

 次に、私、天羽が、ますますの友好と発展を賞して乾杯を宣言した。

 ふかひれスープ、エビチリソース、白菜と鶏のオイスター炒めなど、次々と料理が運ばれてきて、しばし味わいの時間となった。

 私は軽くお腹を満たすと、ワイングラスを片手に、まずはボンゴヤン副市長へあいさつに出向いた。テーブルに近づくと、ボンゴヤン氏が気がつき、立ち上がってこちらに対面した。一歩進み、ボンゴヤン氏の耳元に

ーー副市長さん、今回も大変お世話になりました。ところで、例のバンと白バイの件ですが、もうすぐテラス商会へ着きますので、よろしくお取り扱いください。この件は、ことに目立たない様なご配慮をお願いします。白バイを市長へ送ったなどと、騒がれるとめんどうですのでーー

 ささやくと、ワイングラスを合わせる。キーンとかろやかな響きがひろがった。

 自席に戻ると、ダバオ首都圏警察副司令官が近寄ってきた。立ち上がって挨拶をすると、彼は、警察軍に空手を教えてほしいという。それは宗家も願ったりでしょうから、岩男館長へ話をしてみましょうと、二人で館長の席へ足を運んだ。警察軍は、今回の訪問団の移動の際、事故がないように白バイで先導をしてくれたのだった。

 サツマ側からの出席者は、岩男館長に、サツマパブリシング社の社長と社員、新田食品会社の子息、さらに中城シオリもタツヤの状況を見に、都合をつけて来訪してきた。

 二時間ほどの会食・懇談ののちに答礼会がお開きになった。夜の八時すぎである。

 私は、中城シオリ、タツヤ、それに新田食品の子息である新田好信(にったよしのぶ)に声をかけた。

「できれば、拙宅で酔い覚ましのお茶を飲みながら、懇談しませんか」

 今晩は、サツマからの来訪者はみな、またシオリといっしょにタツヤもマルコポーロへ泊る予定であったが、まだ時間が早くてお誘いに依存はなかった。タクシーで天羽宅に向かった。先に帰宅していたシンシアが、広い食卓テーブルにデザートのフルーツ盛り合わせや、カナッペなどを用意していた。

「みな、飲み物は何にする。わたしは、もう少し飲みたいから、ブランデイーをもらおうかな」

タツヤが、ボクもブランデイーを飲みたいと言うと、シオリが二十歳になったのかな、まあいいでしょうとなった。一年見ないうちにたくましくなって、男の子はだんだんと母親から離れていくものねと、のたまう。彼女は紅茶を新田は、コーヒーを所望した。

「新田さん、ダバオはいかがですか?」

 新田好信さんについて、二十八才でサツマにある新田海鮮食品工業、新田冷凍食品の社長令息であるとシオリとタツヤに紹介した。 

「初めまして、にったよしのぶと申します。二年前に親父に連れられてダバオについてきたのが、はじめての訪問でした。当時は、あちこちでテロが起こっていて死体がいたる所にある。皆が銃を持ち物乞いも絶えない、東南アジアっておもしろいなと思いました」

 淡々と述べる若者を横から見ていると、物怖じしない新世代であった。

「先代からダバオで会社を立ち上げてみないかと打診され、今回調査を兼ねてダバオにきました。」

 自己資金の調達は先代がみるので心配はないといわれて、英語実務の勉強をかねながら、市場にいって商品を考えたり、工場建設地をさがしたりしました。天羽さんや皆さんにはこれからもお世話になります。

「わあ、夢のある話だ。ボクにも参加させてほしい」

 タツヤが、嬌声をあげた。そして、

「今、〈自由ダバオの風〉というグループで開墾をやっていて、将来はフルーツ畑にしたい。ソバが育ちやすく三毛作ができるというんだけど、フルーツを作って工場に提供したいな」

 二人は、意気投合してこれからを語り出した。

 若い世代の熱気が上がるのを眺めながら、天羽はシオリに精密検査で近いうちに帰鹿すると小声でつぶやいた。

 翌日、マルコポーロ・ホテルでの夕食会について、サンダバオが紙面の七割を使ってとりあげた。

ーー天心館空手道は、崇高な精神性と文化価値を明確に主張し、人間の生き方のなかで相互尊重の精神を実践するものであるーーと紹介し、また参加者の一人として

ーーチャーミングな天羽夫人シンシアーーも花を添えたと報じた。

          ( つづく )

*収束にむけて走りつつあります。読書士の応援ヨロピク!


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