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いくぞ新作⁈ (7)

アナログ作家の創作・読書ノート   おおくぼ系

*長編連載小説の7回目です。〈 はるかなるミンダナオ・ダバオの風〉といったところでしょうか。ハードボイルド・サスペンを意識しております。引かないで読んでくだっせ~

            〈あらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、一級建築士で中城設計工房を主催している。ある日、事務所に中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。シオリは、ダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
アイ・コーポレション、フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの国際電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で情報が混乱しているが、日本人の拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。伝言を残して引き返す。また、今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオにたどり着いた運命にひたった。ここで、日本人の村長さんでもあった総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員の政策秘書として紹介した。天羽と安東は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本人たち〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓して、互いに文士であるというものだった。ダバオの市長選は、ドウタテイの返り咲きとなった。天羽は、以前に事業で会ったことがあったが、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれるのではと危惧する。
タツヤが、天羽を訪ねてきて話を聞くと拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いになれる必要があるとして、部下のアンガスに訓練してくれるように依頼する。安東も、国会議員事務所から半生を振り返っていた。



江夏和史の執筆にかんする仕事は、出版エージェントを窓口にしているのだが、フィリピンを舞台にした次作の出版が決まりそうだったし、小説〈雪解けのプラハ〉を原作として宝塚で舞台化したいとのオファーがあった。さらに、講演の依頼も舞いこんできた。

 午後から、チエコ共和国の大使館を訪問する予定があった。
 渋谷の大使館までハイヤーを走らせ、門前で停まるとアタッシエケースをとりあげて車から降りた。堅固でのっぺりとした窓のないツートンカラーの建物のインターホンを押して到着を知らせると、大きな金属製の門が左右に開き、先に広いガラスのエントランスがあった。そこをくぐり、シャンデリアの輝くホールに入り、壁際でパソコンを見ている受付まで進むと、安東博史です、と名乗った。
受付嬢は、「ああ、ご予約の」と言い、内線電話をかけ確認が終わると、こちらを見て、どうぞ応接室へと案内に立った。中央にある二階へつづく広い階段を登ると、突き当りの部屋のドアを彼女は開けてくれて、「ここでお待ちください、すぐにポウム書記官がまいります」という。中は広くて、応接机を囲んで十数人はかけられるソファーが並んでいた。天上には華麗なシャンデリアが照らし、部屋の隅にはY字を横にしたデザインの国旗が立ててある。クリーム色の壁には、大きなプラハの写真が掛けてある。〈塔の街〉とよばれるプラハは、白い壁に紅い屋根が並んだ街並みのいたるところに尖塔が突き出ており、ブルタバ川をはさむ荘厳な趣は、昔を思い出すに十分だった。
「コンニチワ」という声がしてスーツ姿のポウム書記官が現れた。
「本日は、おいでいただいてありがとうございます」
 書記官とは、電話で話しただけで直接合うのは初めてだった。
「初めまして、政策秘書の安東博史・・・・・・作家としては江夏和史です」
 ソファーに腰かけると、早速ですが、と、アタッシエケースを開けて、中の資料の数々を取り出して、木製テーブルの上に置いた。チエコ共和国が、チエコスロバキア時代の回顧展を開催したいので、当時の資料があれば拝借したいとのことであった。
「プラハにソ連軍が突然攻め込んできたのは、まさに晴天のへきれきでしたね。二十七歳で二等書記官として初めて赴任したところがプラハだったのです。若さに任せて、国境を越えて若者同士、付き合ってましたが、やはり若者は自由思考だったようで、このようにいろいろな宣伝ビラをまいて、興奮していましたね」
「すごい、すごい! よくこんなものが残ってるものですね。よく収集し保管したものですね」と、若い書記官は鳥肌が立つようだと言う。
 ソ連軍の占領下で、抵抗を試みる地下組織の発行した地下新聞や、〈われわれチエコスロバキア国民は自由を求め、弾圧に対し断固戦う〉といったアジや激文を記載した幾多のチラシに興味深く目を通し、感激冷めやらぬ様子である。
「当時は、こういう資料を日本へ送るのも検閲にかかりますので、ヒヤヒヤしながら少しずつ外交行李で隣国ウイーンへ持ち出して、送ったのです」
「ちょうど私が誕生したころのことで、事件のことは、ひそひそと語り継がれたことでしか知りませんでしたが、ビラを見るとタイムマシンで当時に舞い戻った思いですね。我が国の歴史を生で知ることが出来ますね」
「こういった資料を基に〈雪解けのプラハ〉を執筆したのですが、形としては、自由に書ける小説にしてラブストーリーを織り込んだのですが、体験した歴史とそこで翻弄される人々の現実を書きたかったのですよ」
「ああ、確かに単なる歴史的な事実の羅列だけでは、研究者はいいですが、一般の本を読む人は退屈しますね」書記官の日本語は格段であった。
「もともと私は若いころから文学的であったし、小説の方がより広く読まれると思ったのです。結構読まれたことによって、御国でも出版したいとのオファーもあるところです」
「その様なことから、ソ連軍が侵攻してきたときの第一報が、ブルタブが出てきて文学的な文章なわけですね」
「いや今思うと、何と言っていいか、二十代で若かったですからね。紅顔の美少年ふうといいますか、小説の主人公みたいに気負っていたのですよ」
「コウガンノビショウネン……っていうのですか。面白い表現ですね」
 あの状況を気どらずにそのまま伝えるには、悲惨過ぎた。
 突然の銃声がなり響き、群衆が割れて逃げまどう、バタバタと倒れる人も多い。若い女子学生が私に倒れ込んできた。支えると白シャツにべったりと血がついている。重く動かなくなった身体を支えながら、一瞬、凍ったが、自分も逃げ出さなくてはならない。
救急車を! 救急車を! と叫ぶと置き去りにしたまま逃げ去った。群衆の怒号と悲鳴のなかをゴウゴウと音を響かせ走り抜ける戦車。侵略者に抵抗する学生たちに誓った……いつかこの悲しみを一人でも多くの人へ伝える、絶対に伝える……
「悲惨な状況をいくぶんでも美化して、美文にしたかったのです。そうでなければやっていられなかった……」
ーー静かな美しいプラハの市街は、一夜にして硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレッヒコールに包まれてしまった。いつも微笑みを忘れなかったドゥプチエクはどこへ行ったのか。チェコスロバキアは自らの統率力を失った。変わらないのはブルタバの静かなる流れのみであるーー
 この脳裏に焼き付いた電文は力が入りすぎていたのか、省内のキャリアから〈ブルタバがどうのこうの〉というツマラナイ情緒不安定の電文を送った奴がいると酷評されたのだった。
 今、政策秘書の立場になって外務省を外から眺めると、至極どうでもいいことに思われるが、当時は傷ついたのだ。
「今の我々には、想像もできない歴史の事実ですね」
 ポウム書記官がぽつりとつぶやいた。
「今の時代というものは、いままでの幾千万という人々の屍の上に成り立っているということですかね」私もボソッと、つぶやいた。
「ところで今度、〈雪解けのプラハ〉を宝塚歌劇団で公演したいというオファーがありましてね、実現しそうなのですよ」
「それは、おめでとうございます。そうなれば、我々も大使館をあげて応援したいとおもいます」
「より具体的に決まりましたら、お知らせしますので、その節はよろしくお願いいたします。では、今日はこの辺で、何かありましたら、また、ご連絡ください」
 ハイヤーを呼んでもらって、箱型の大使館を後にした。

 議員事務所へ帰る車の座席にもたれていると、今までが、ぼんやりとわいてくる。
 ふり返ってみると、いろんな場面を生ききった気がする。確かに若いころは、エネルギーと正義感に満ちあふれ紅顔の美少年であったように思われる。
チェコスロバキアをはじめとして、西ドイツ、ウイーンへと本庁への異動をはさんであちこちへとステージが切り替わり、最後はダバオということになったが、混乱の尽きない振出しに戻った気がした。欧州専門の担当からアジア南端の島国へ、左遷に違いないと確信し、余暇の時間は小説の執筆に費やしたのだ。
 タクシーの左窓から国会議事堂がみえてきた。この裏手に衆議院第一議員会館がある。
不思議なことに、人生わからないものだ。冷や飯であったと思われたダバオでの天羽氏との出会いから、定年を前にしてひとっ飛びに政策秘書ヘとジャンプした。
そして、経歴とポストが人を、自分自身を変えるというのを実感しつつあった。
二万数千人の日本人の村長さんであった現場では、割と住民それぞれとの付き合いもあり、天羽をはじめとして個人的な付き合いも多かった。だが一度、政策秘書という壇上に上がると、住民は遠のいてしまいひとからげに国民となる。施策を立案する立場から考えると、ある面、非情に徹することが必要である。
大戦時代に、東都が空襲を受け、壊滅しつつあるときに、動物園が被弾し動物が逃げ出したらどうするという問題が浮上した。特にゾウはなついてはいるが、爆撃に驚いて凶暴になると手が付けられないので、可愛そうだが事前に毒殺しようとなった。だが、毒の入ったエサを与えるも、毒を察して食べなかった。そうしてお腹がすいてくると、エサが欲しいと訴えてくる。結果、飢え死にさせようとなったのだが、ひもじさに耐えきれずに親し気にあまえて愛想を振りまきエサをねだる。飼育員は今まで面倒をみてきたゾウの哀願のふるまいに身がつまされる思いがしたが、方針にはさからえず、ゾウはうらめしそうに、悲しそうな目で餓死を迎えた。
物や人とのかかわりの強弱によって感情が揺さぶられるのであれば、それぞれの立ち位置の違いによって、とるべき行動や考えが制限され、その人をつくるのではないか?
自身はノンキャリだという国家公務員のカースト制度によりキャリアを軽蔑した目で見ていたのだが、そこをつき貫けると、キャリアのつらさもわかってきた。
ノンキャリにはあってキャリアにないものはというと、人としての情であると思えた。キャリアは一度失敗すると殿上人から転落するし、失敗しない人生はありえない。ノンキャリなら、干されたか、それならしばらくゆっくりしようとの変身も可能だが、キャリアにとっての左遷は死に場所になる。なまじのプライドが許せないのである。また、国を背負っているという思い込みで、仕事にのめり込み、家庭はないがしろにされ離婚は日常茶飯事となる。官庁という機構や政治問題にからめとられ、精神を病んだりみずから命を絶つものもすこぶる多い。タフであり運がないものは生き残れない。日々、こういう熾烈な競争に生き残らねばならない状況におかれる。
 だが、ふり返ってみると、キャリア、ノンキャリに関わらずに、生きることは多かれ少なかれ大変なことには違いないと、今は思われる。
 アタッシュケースを持って議員会館のエレベーターを上がりながら、いまかかわっているダバオについて、思いが飛んでいく。
ドウタテイが返り咲くと、再び犯罪への戦いが始まるのだろう。私自身、ダバオにいれば超法規的な殺人は、明らかに人権違反だと声高らかに叫ぶだろう。しかし、この議員事務所からは距離がある分、遠い異国のことであり、色あせて見える。〈いかんがな〉ぐらいの消極的感慨しかわいてこない。
現地における当事者でなくなればこんなものかと、どうしようもないのだ。
 毒を以て毒を制す、というのもありかとは考えるが、それは、離れた政策秘書の立場からの考えからで、現に、日々死人が出るダバオに住んでいたとしたら、たまらないことだろう。
 個人的感情を捨て去ることが、国という組織の上層部にいる証なのかもしれない。それがキャリアという人種だと。

*     *    *

 シオリは、方眼紙に図面を引いて切り抜き、組み立てて建物模型を作りつつあった。
 今回の依頼は、三階建ての店舗付き住宅である。時に構造計算などをたのむ相棒である設計士によると、シオリのことをメロデイで設計すると表現する。自由な発想で、依頼された内容をふまえながらラフデッサンをし、具体的に設計をするときは、鼻歌混じりで最も楽しい時である。ために構想が膨らみすぎて価格に跳ね返ってしまう。今回もなんとかパテイオ的なもの、坪庭なるものを取り込みたいのだが、スペースをとりすぎる気がする。しかし、コンクリートの街角に緑の空間を取り入れることは、うるおいをもたらすと信じている。都市は都市なりに、豊かな顔をもたねばならない。
 現代的な感覚をもたらすためには、コンクリートの打ちっぱなしにしようかと思っている。ただ、表面はなめらかな良質のセメントにせねばならないので、けっこうコストはかかるのだが、躯体をしっかりさせておけば、一定期間の後に、新たにリフォームができるし、キュービックスタイルは現代モダンでもあり、一度は手掛けてみたいのだ。
 一階は店舗スペースとするために、開口部を広く取り強化ガラスを埋め込み、中の展示品が見やすいようにする……いろいろとアイデアがでてくると取り留めもなくなってくる。一休みしてティータイムにしようとおもった。時刻は午前十一時を過ぎていた。
 カモミールを入れながら香りを楽しんで一息つき、重要な懸案事項について思いをめぐらせた。現在立っているアパート・マンションの敷地を利用して新たなアパート・マンションを建てるというものである。そしてそこには、アイデアを凝らした自身の住まいも確保する。その実現のためには建築資金を稼がねばならないし、それらの管理運営は、いずれ長男のタツヤへまかせることとなるだろう。亡き父から受け継いだ資産を守って、さらに増やしていかねばならないのだ。
 父は四十八歳の若さで亡くなった。もともと出身は沖縄であり、与那嶺という氏であり、琉球王朝の名門であったと云われていた。だが、戦争により島は激戦地となり地獄を経験した。戦後もまたアメリカ領となり人々は苦汁をなめた。父は、島と本土の国境を越えて、人脈を生かした、いわゆる密貿易をおこない潤沢であったアメリカの物資を本土へ持ち込んでさばき、結構な資金を蓄えた。戦後のどさくさ時期は、うまく立ち回れば稼げた時期でもあったのだ。
父の遺産というべきこのビルやアパート・マンションを基礎にして、より発展させねばならない……強い想いを常に感じている。
 お茶をして、ひと伸びをすると、何か急ぎのメールは来ていないかと、パソコンをのぞき込んだ。
 警察庁からの緊急メールが入っていて、一瞬、おやっ、なんだと思った。
ーー私たちは警察庁です。あなたのご子息は窃盗容疑で逮捕され、被害者に三百万円支払う必要があります。至急下記口座へお振込みくださいーー
 どきっとした。いったい、これはなんなんだ。前回の拉致にからんで、またもや怪事件が発生した。あきらなか偽メールであるが、末尾には、ご丁寧に警察庁の電話番号まで記載されている。
 静かな怒りが湧いてくる。ボクの、いや私のメールは、名刺に刷り込んであるので公表はしていることになるのだが、今まで、悪用されることはなかった。メールの送信元が、警察庁という大げさなものになっている。日本もいつから官庁が、堂々と利用されるようになったのだ。ここはダバオでは、決してない。


            ( つづく )

*やっと、ほぼ第一章を書き終えたようです。まだまだこれからです。
 なにとぞ、応援ヨロピク!




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