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アナログ作家の創作・読書ノート

                おおくぼ系

「エッセイいきまーす! ヨロピク!」

             

                                        キャッ!のはじまり

 上野千鶴子先生から直接のEメールをいただいて、キャッ!となった。

おおくぼ系は先生のフアンを自認しているからである。いきさつは、小説『花椿の伝言』を執筆する際に、フェミニストの旗手である先生の著書『女嫌いーニッポンのミソジニー』をおおいに参考とさせていただいたことによる。それで参考文献の筆頭にあげて、拙作をお贈りしたのであった。

ミソジニーとは、〈女性蔑視〉という意味であり、おおくの(古い時代の)男どもは、女性に人格ではなくてセックスの快楽のみを求めるということである。ミソジニーにたじろいだわけでもないのだが『花椿…』は、祁答院尚子という女性が主人公で、どちらかというとプラトニック系の作品となった。そのため、悪友どもから「コンドーム小説だ」とか、「そういう恋愛感情もあるが、もっとストレートにオトコをだせ」との評を受けた。

しばらくして、『おおくぼ系短編集Ⅰ⃣』を出したので先生へ再度贈本させていただいたところ、小ぶりのペーパーバックにもかかわらす自筆のお礼状をいただいた。これが〈キャッ!〉のはじまりであった。
キャッの気持ちを伝えたくて、御作を知らねばと大型書店に立ち寄り、『差異の政治学 新版』(岩波現代文庫)と『上野千鶴子のサバイバル語録』(文芸文庫)を購入し読み始めたのだが、『サバイバル語録…』は割とすらすらいけたので、書評をしたため出版元へ応募し、先生へもご参考までにと原稿をお送りした。
 ところが、はからずも、この評を先生の主宰するブログへ載せたいとのEメールをいただき、冒頭にある〈キャッ!〉となったのである。(で、以下が書評です)

 ――2019年の東大入学式の祝辞において話題をさらったフェニミズムの旗手、上野千鶴子のピンクカバーの文庫本である。本作において「男がカラダを張ってまであれほど仕事に熱中するのは……パワーゲームで争うのがひたすら楽しいからにちがいない」と看破するが、著者自身も男社会のパワーゲームに挑戦し続けたのである。
この点をふまえると、この度の祝辞は今までの戦歴をふまえた、ささやかな勝利宣言ともとれる。彼女らの起こしたパラダイムシフトは広がりを見せ、男どもは社会の構造を徐々に変えながら女性への椅子を用意しつつある。だが著者は、女性研究者に対して「男性のパワーゲームに自分が参入しないこと」と体験者ならではのこまやかなサバイバル術を授ける。
「仕事」のほか、「人生」「恋愛・結婚」さらに「家族」「ひとり」など、それぞれについての対処法を披露しているが、著者の今日までを凝縮した想いの語録であるとともに、男どもにピンクの扉の向こう側にある、理解に乏しかった女性の感性と時代の変遷をかいま見せてくれる。当文庫本には、ご多分にもれずに帯がついており、著者の上半身がアップされている。そのすっきり、かつ、さっぱりした表情は、フェニミズムの旗手としての女神をゆうに超えて菩薩をほうふつとさせる段階に到達しているかに思える。そこが、なかなかくせものでもあるのだが。――

 今年になって、百貨店の本屋をのぞいていた時に、5月30日付けで発行の『まだまだ 身の下相談にお答えします』との強烈なタイトルの上野千鶴子先生の文庫本に出会った。地方では、新刊の配本数も少ないため一冊だけ展示してあったが、即決でこれを求めた。これで、完売である。
『まだまだ 身の下・・・』は今回で三作目となるシリーズであり、中央紙での相談コラムをまとめて、文庫本としたのであったのだが、地方紙中心の文化のなかでは、気がつかない盲点であった。

読んでみると、身の下(?)の相談に対して、さすがの上野先生の名回答であり、カラッとあげた唐揚げのような読み応えのある内容である。これを契機に、ふたたび千鶴子論を展開せねばならないかと、かまえだしたのである。
で、千鶴子様がBMWに乗り、さっそうと走り抜けるさまを、携帯に収めてYouTubeに流すくらいやらないと受けないのか? などと、思いながら、てはじめに本稿をかきあげたしだいである。

 話はさかのぼるが、文士の全盛期の交流を書いた瀬戸内寂聴の『奇縁まんだら』によると、作家になりたい夢を持っていた瀬戸内晴美(寂聴)は、当時の文豪であった三島由紀夫へ、三島小説の信者だとのフアンレターを送ったとある。三島氏からは、フアンレターの返事は一切出さない主義だけれども、あなたの手紙はあんまりのんきで愉快だからと返事が来て驚いたという。その後、「少女世界」という雑誌社から小説を採用するという通知を受けとったのだという。
 こういう、文士とのつながりが可能であったのは、文学の全盛期であり、おおらかなよき時代だったのであろうと思っていたが、大過去の話でもなく、千鶴子先生の自筆のハガキをいただき、メールを拝受したのは、まさに〈キャッ!〉の何物でもない。
 


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