見出し画像

いくぞ新作⁈ (11) 

アナログ作家の創作・読書ノート    おおくぼ系

*長編連載小説の11回目です。〈 はるかなるミンダナオ・ダバオの風〉といったところでしょうか。ハードボイルド・サスペンを意識しております。引かないで読んでくだっせ~


            〈あらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。彼女はダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で混乱しているが、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオにたどり着いた運命にひたった。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本人たち〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓して互いに文士であった。ダバオの市長選は、ドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いになれる必要があると、部下のアンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返っていた。午後に、チエコ大使館を訪問してチエコ時代のデモビラなどを書記官にあずける。シオリが警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、偽メールに対し締まりのない時代へなったと嘆く。アンガスは、タツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリはパトカーの相談を天羽から受けるも、それは、国の安東の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する事業計画の手助けもせねばならなかった。


*     *    *

 タツヤは、約半年たって、日々のダバオの生活に慣れてきたが、ラルク、アンガス、天羽をはじめとして現地の人々と知り合うことで、この地の実情を学びつつあった。
 ダバオは、日本人の入植で、戦前に栄えた都市であったことや、裕福になった日本人が戦争により敵国民となり、いったんは日本が占領したものの敗戦により、皆がどん底におとされたこと、その子孫というべき日本人や二世が、いかに弾圧地獄の中を生きのびて来たか……その実状を憤慨とともに、ノンフィクション〈ダバオの日本国〉に書きあらわしたのが、現所長の天羽であり、彼は、ここを楽園に代えたい強い決意をもって移住していることなどが、わかってきた。
 さらに、敗戦後、敵国の日本人はフィリピンからの退去を命ぜられて帰国した者が多数いた。事情により帰国できずに残った日系人は、学校にも行けず、三度の食事にも事欠く極貧の生活をしいられ、隠れてなんとか命を保っていた。それを支援しようというキッカケとなったのは、戦後帰国して復興に伴い仕事にめぐまれて裕福になった人々が、1980年代になり、先祖の墓があるダバオ市のミンタル地区をとずれた。ダバオ会として団結していた日系人から、子供たちに夢を持たせたいし、日本語も学ばせたいので、学校をつくってくれとの強い要望により、〈ダバオ日系人の社会的地位の向上、生活の自立を目指す〉として、フィリピン日系人友好協会が設立され、今日の日本フィリピン協会と連携しつつ発展し、日本からの支援活動が続いている。
 1990年代になると、高度成長期の高波に乗って、青年海外協力隊の活発化に伴いフィリッピン各地で若者のボランテイア活動が盛んになった。
そういう時勢の流れの中で、〈ダバオに日本人学校を造りたい〉との要請を受け、実現の思いを持ち続けた帰国者のひとりである内林氏の執念が実り、日本人学校、小学校、ハイスクールができあがった。さらに、その延長として、次世代の新しい日比関係をつくりたいと、ダバオ国際大学を造ることが、日本フィリピン協会の大きな目標の一つになってきた。
 国際大学の概要は、三角屋根をもつ六階建ての箱型の学舎を中心に構成され、一階には、フィリピン日系人友好協会の事務所、会議室、さらにはクリニックが入り、二階には学長室や事務室等、三階から五階には二十の教室がある。六階はジムやバスケットコートが整備される予定である。
 その財源は、内林氏の夫人の遺贈七千万円を原資として、協賛を募ったものであった。
 講座の内容は、社会福祉・コミュニティ開発学科、教師養成・日本学科、環境保全学科などを開講するとしており、サツマーダバオ交流会もこのプログラムにぜひ参加してほしいとの要請があった。
 一方で、将来をみすえたハッピーな活動が芽生えつつも、返り咲いたドウタテイの強行な施策の実施により麻薬撲滅戦争も進行していた。
 ドウタテイは、前市長時代から市内の麻薬組織の中核メンバー三百人の名簿を公表し、逮捕に努めていた。ただ、麻薬シンジケートのほうも、拳銃、自動小銃さらには手りゅう弾などを保持していて、捜査に向かうたびに激しい戦闘が起こった。抵抗するものは射殺してもよいとの方針のもと、千人単位での殺人がなされた。
自警団であるダバオ・デス・スクワット(DDS)も復活して、青年二人がオートバイに相乗りして麻薬関係者を銃で殺害して走り去るという、超合法的殺人も頻繁に起こった。
 タツヤは、スラム街の一角に、首から看板をぶら下げて放置されている死体を見たことがあった。プレートには、ビサヤ語で〈私は麻薬常習者でした 警察に殺されても仕方ありません〉という文言が書かれていた。だがこれは、麻薬マフィアが自衛策として、末端のヤク売人を警察の仕業として、粛清したものだとささやかれた。
 軍や警察にしても腐敗があり、タツヤは、無条件に人に頼ったり、同情から信用しては危ないことを、身をもって知った。
 ダバオは、地獄と天国が混ざり合ったるつぼの都市であり、何を考えて生きていけばいいのか、不安にさいなまれていた。

 先日、事務所に出ていった際に、改めて天羽にドウタテイやダバオについて質問した。
「所長は、ドウタテイに会ったことがあるんでしょう。どんな人?」
 そうだね……そこにかけて、ゆっくりと話すから、タツヤ君もゆったりとした気持ちで難しく考えずに軽く聴いてくれ。タツヤは、会議机の前にすわった。
「会ったのは仕事だったから、素顔がどうかということはわからない。でも市長というのは二十四時間つねに公職だから、そんなに変わらないとは思うが……強面(こわもて)というより、おだやかな感じだよ。ただハッキリと考えを言う人だ」
「市長は、犯罪者は、殺してもいいとマジで考えているの」
「どういえばいいかな、これは、私の推測なのだが、ここダバオの環境も影響していると思う。とにかく、ここは無法地帯で、人命が軽視されている。そのような環境のなかでドウタテイが育ってきたからだと。前に、記者会見で突然、十六才ではじめて人を殺したと述べて、みなビックリしたそうだ。若いころは札付きの不良であって、二十を過ぎて大学で法律を学んで検事になってから人が変わったようだ」
「人ってそんなに極端に変わるの。それに人殺しが本当ならば、犯罪者じゃない」
「人の本質はそう変わるとは思わないが……心意気というか、生きる姿勢みたいなものは変わっていないんだろう。不良少年特有のエネルギーが、大人になって社会悪にむかったのだと。殺したっていう話も複雑なようだ、正当防衛だったともいわれている」
 天羽も十年以上ダバオに暮らしていると、ダバオの空気、住民感覚になじんできたようで、なんとなくではあるが、分かるようになっている。日本と違って、万人がシノギを削る、万人への戦いの日々なのだ。
「ドウタテイが入れ墨を入れているとのウワサがあるのだが、という質問には、無言で着ているシャツを脱ぎ、入れ墨を披露したそうだ」
「ボクには、わけがわからない、ということが分かった」
「公務員や警官までもが、さらに市民も、今日稼ぐことのみに集中している街だ。腐敗していて真面目にやる奴がよっぽど変人なのだろう。ワイロも日常茶飯事だ。対するドウタテイの考えは毒を以て毒を制すだろうが、これを公然とやる勇気というか、犯罪を憎む姿勢が異端的というか、特殊能力にも思える。そう、いわばサイコパスだろう」
「スジ論ではわかるけど、すごく納得はしにくい、正義のために抵抗するものは射殺してもいい、というのは、やはり、なんか違う」
「その考えで、いいんじゃないか。皆が同じになると大変だ。人が正義病に取りつかれると、社会全体が狂ってしまう。昔、学生運動もやったが、今となっては、ただやり場のないエネルギーを発散しただけで、ムチャをやった、それしか残っていない」
 アンガスが、事務所に入ってきた。
「ボス、話がすんだら、これからタツヤの射撃訓練に行きたいんですが」
「そうか、取扱いをしっかり学ぶことが大切だからな」
 オレは、着替えるからちょっとまってと、事務所の隅にいってパックの中から迷彩服を取り出した。軍用ブーツはすでにはいてきていたので、そのまま迷彩シャツに着替えズボンをはいた。アンガスが準備ができたことを見届けると、車で待ってると、先に出ていった。続いて出ていこうとすると、天羽が、「タツヤちょっと」と、呼び止めた。
手招きするので、デスクの横に進んだ。
「金を渡しておく。日本円で十万ずつ二つに分けてある。一つは、訓練料として渡してもいいが、ひとつはわからないように隠し持っていろ。人に、金を持っていることを悟られるな、アンガスであってもだ。金をみせびらかすと、襲ってくださいというようなもんだからな」
 押し殺すような、小声でつぶやくと、二つの茶封筒を渡してくれた。
わかった、ありがとうと、タツヤも小声でささやいた。
「自分の責任で判断して、信頼できる友を見つけろよ、ここはダバオだ」
 天羽が繰り返した。
 うん、と頷くと、二つの封筒を別々のポケットに入れて、じゃあ、いきますと、背を向けてドアにむかった。
 ジープに寄りかかってアンガスが待っていた。
じゃ出ようか、一時間半はかかるな。アポ山の方へ向けて、車が走り出した。
 市街を抜けて、しばらくすると左右に農園のあるオープンエアーのなかを進む。
「アンガスさんは、モロ民族解放戦線にいたのでしょう。実際の戦闘は、どんな感じだったんですか」
「坊や、そのアンガスさんってのはやめてくれ、アンガスでいい。戦闘がどうかって、やってみりゃわかる、それだけだ」
 質問が悪かったのか? 生きるか死ぬかの極限のことは人には話せないのだろう。フィリピン人は、陽気であると思っているが、プライベートについてはあまり口を開かないようだ。さらにいろいろな人種もまざっている。土着の民族、スペイン、アメリカ、中国の華僑、韓国など、さらにダバオは日本人も多い。
「今日の費用だけど、円で十万円もっている。これでいいかい」
 茶色の封筒を運転しているアンガスに見せた。
 ん、と彼がこちらを見て、そうかと、おもむろに車を止めた。封筒を受け取り、中身をあらためる。
「なるほど、確かに円で十万だ」
札を数えおわると、彼はうち四枚を抜き取り、胸ポケットにしまい込んだ。封筒は二つに折りたたんで、別のポケットに入れる。
「こんなもんだろう、タツヤ、いずれにしても領収は出ないからな」
 四万円は、アンガスの手数料だという。これが、ここでの金儲けのやり方なんだと感じた。エンジンをスタートさせ、こちらを見て語りだした。
「タツヤ、ひとつだけ言えばな、運だよ、戦闘になったとき運のよいものが生き残る。モロ解放戦線、新人民軍だとカッコいいこといっても、しょせんは、まじめに働くよりも楽して稼げるからだ。さらに武力で支配者となれば、遊んで暮らせるってわけさ。一種のギャンブルだな。運のいいものが、そのギャンブルに勝つ。さらに金持ちを誘拐して身代金をとるってのは、もてる者からとってもいいじゃないかという、単純なものだ」 
「ふーん、そういうことなんだ」
「だから、やばそうになったら、ギャングからは抜けたほうが良い。それもカンであり運だ。多くの死体を見過ぎると何の感情もわかず、運よく生きているとしか思わない。流れが変わり集団仲間のツキが落ちた、そうおもったので、俺は戦線をぬけて生き直したのだ」

 ライフルの実射は、腰を落として、さらには、はって敵からん身を守りながら撃つ訓練でより実戦的であった。M16アサルトライフルは、長さ約一メートル、重さは約四キロもあり、両手でしっかり構えないとふりまわされる。
「有効射程は、はじめは、百メートルに慣れると思った方がいいだろう。照準サイトも二百までと三百から八百までの二通りあるから、ショートサイトにレバーを設定する」
 アンガスが、ポイントを解説してくれる。
 百メートル先にある、伏せている想定の小さな標的を狙って、実弾で射ぬくのだが、弾丸は一直線に飛んでいくわけではない。重力に引っ張られて放物線を描くのだ。百メートルであれば弾道はそんなにだれない。
「個々のライフルもそれぞれにクセがあるから、弾道のクセも理解していないと弾は当たらない。弾丸も正規品を使わないと、ミスファイアして弾薬室に詰まることがあるのもM16の特徴だ。手入れも怠れない。実戦ではちょっとしたことが死につながる。生き残れるのは、万全の準備をし、訓練を積み最新の注意を払う、加えて運のいい奴だ」
「イエッー、サー」真顔になって返事すると、戦士になった気がする。
 銃弾は、二箱、計百発を渡されたが、連射モードにセットして、三発ずつの連射をすると、すぐに使いきってしまう。残りの三十発をマガジンいっぱいに押し込むと、単発にして標的をより慎重に狙った。イヤープロテクターをしているので、発射音は軽減されているが、弾が飛び出るときの硝煙は、結構匂い立つ。一発ごとの発射光とともに渦巻く白濁が身体にまとわりつき発光と激音のたびに、身体にエネルギーが蓄積されていく。
 いつか戦って、自身の力を誇示したい……。

 実射に熱中していると後ろにいたアンガスが、寄ってきて、今日はこれまでだとフィニッシュを合図する。
「さて、ライフルを返しに行こう。先ず、残弾はないか確認して、飛び散ったカートリッジをひらってくれ。リロードすれば、再利用できるからな」
 M16のマガジンを外しチエンバーの確認をして、点検をおえるとアンガスに渡した。薬きょうを回収して箱に入れた。
 小屋までもどると、二人の迷彩服が、たばこを吸って所在なげにしていた。
アンガスが終わったと言い、リーダーらしきオトコへライフルと薬きょうを返す様子を、後ろから眺めていた。M16を渡したあと、リーダーと二、三、言葉を交わしていたが、アンガスが、ポケットから折りたたんだ封筒を出し、迷彩服に差し出した。彼は、銃を隣りにいたオトコに渡して、茶封筒を受け取って中を確認すると、うちの二枚を抜き取り隣の迷彩服の胸ポケットにねじ込んだ。さらに、リーダーは、アンガスに対して何かを持ちかけている。
 アンガスが肩をすくめ、首を振りながら、さらにポケットから万札を一枚抜き取り、リーダーへ手渡した。タツヤは、十万円が役割により、三対五対二へと移っていく過程をみながら、これが稼ぎなのだと思った。あのリーダーが一番儲けている。
 これがここのやり方だと肝に命じ、この無法地帯では力のあるものが得をすると、肌で感じた。
 アンガスのジープに揺られながら、軍の人はなんて言ってたのと訊ねてみた。
「訓練費がまだ足りないとさ、奴ら金の匂いをかぐとタカってくる。ことにハポンは金持ちだ、タカリ甲斐があると、とことん要求される」
ダバオの人々が天真爛漫で、自然のままに生きるという感覚は、いわゆるその日暮らしで、その時かぎりの成り行き、デジタル人生じゃないか。そして朱に交われば……オレも未開人としての本能が体内からにじみ出て来つつあった……。

  *    *    *
  
〈雪解けのプラハ〉は、よくぞ書いたと今もって思う。
 はじめての海外公館勤務、若くて激務に耐え、すべてが新鮮で青春の花も開き、この劇的体験が生涯を貫いたともいえよう。ただ、ソ連の戦車が街へ侵入してきたときの恐怖は、パニックであった。冷や汗が出て、いまだに予想外のハプニングが起こるとパニック障害におちいる。さらに、歴史的事件の体現者という事実が、奇遇な運命をさそった。
三年ほど前に上梓した小説〈雪解けのプラハ〉は結構版を重ね、話題を呼んだのだが、書こうというキッカケとなったのは、プラハから打った電文だった。
 四十八歳で帰朝し外郭団体に部長代理として出向していた時に、はからずも総理大臣夫妻が主催するチエコスロバキア共和国大統領夫妻の訪日歓迎パーテイに、招待されたことがあった。
官邸の受付で招待状を差し出しロビーを抜けて奥の大広間へ入っていった。中では総理経験者、閣僚、財界、芸能界、スポーツ界の著名人など、いわゆる上流階級に属する人々が、あそこ、ここで談笑していてやや場違いな気がした。隅でたたずんでいると東欧第一課長が、久しぶりですねと近づいてきた。
「今晩は、貴官へのサプライズがあるんですよ。じきにわかるでしょうが」
 と、課長はアぺリテイフのグラスを掲げて、ちょっとおどけてみせた。
 時間になると百人を超す客が三々五々して大食堂へ入り、私も末席のテーブルに着いた。まず、前菜、コンソメの野菜スープから始まり十年寝かせの白ワインが注がれて乾杯となった。次に白魚の酒むし料理が出た後に、八十六年ものの本格赤ワインに変わり和牛ステーキのメインデイッシュとなった。腹も満たされて、ほろ酔い気分で隣席の大統領随行者の一人ともあいさつを交わし、なごやかな雰囲気で盛り上がってきた。
宴もたけなわとなったところで、吉郷総理が歓迎のあいさつに立ち場内が静かになった。
「本日、チエコスロバキアの大統領閣下をむかえるにあたり、ひとこと歓迎のごあいさつを申し上げます。御国は、今日、みずからの在り方を模索し、よりよい国づくりをめざして歴史的に発展してまいりました……そこで今晩は御国と日本の友好関係を示すひとつのエピソードを紹介させていただきます。二十数年前に御国チエコスロバキア共和国へ、神聖ローマ帝国の首都でもあったプラハ、その日本大使館へ若き二等書記官が赴任しました。彼は、貴国の民の声をじかに取集することに努め、チエコスロバキアの識者、労働者、学生などのリーダーとの交友を深めつつ、貴国自身の目指す方向、新しい社会主義体制、いわゆるプラハの春とよばれる、貴国のめざめの情勢を追っておりました。しかし、一九六八年八月二十一日の未明、美しきプラハの街に、突然、ソ連軍の戦車が侵入し制圧されました。プラハを愛する彼は、本国へ緊急打電したのです。
ーー静かな美しいプラハの市街は、一夜にして硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレッヒコールに包まれてしまった。いつも微笑みを忘れなかったドゥプチエクはどこへ行ったのか。チエコスロバキアは自らの統率力を失った。変わらないのはブルタバの静かなる流れのみであるーー
この電文に流れる、日本の若き書記官の貴国への友愛の念をくみ取ってほしいと、本日あえて、ご紹介申し上げた次第です……」
驚きで軽いパニックをおこした。私はこのとき冷や汗をかいたのだ。嬉しさもあったが、この電文は常に私にまとわりついて離れない。初めて海外赴任したチエコでの情熱を再燃させ、おののきが走った。意識に閉じ込めていた亡霊が、突如、噴出したおもむきになり、うれしさと同時に若すぎたころの熱を恥じ一瞬眼をとじた。
このソ連進入の第一報は、省内の一部で陰口をたたかれ、なにかにつけ嘲笑されていたのだ。
だが、この歓迎会を契機としてプラハを主題にして、何かを書き残しておかねばならないとの強い衝動が育っていった。
 あれから十年たった。議員事務所から、歓迎会が開かれた思い出の旧首相官邸が緑にかこまれて新しい首相官邸の隣にみえる。
チエコを舞台にした小説『雪解けのプラハ』をものし、失われた青春と歴史をよみがえらせ、外交官作家としてデビューした。対外的には結構な評判を得ることができたのだ。
 在外公館に勤務すると、ことに若いときには日本という国を護るために体をはって戦っているのだと気負ってしまう。至極単純に祖国が愛おしく思えて恋してしまう。護るべきもの、国家が恋人になりかわるのだ。
「未確認ながら、プラハ市民から得た情報によると……」まるで、恋文を次から次へと書くように本国へ公信を打電してもらった。米ソの冷戦状態において、緊急情報・特電としてたびたび大使の事後決済で独断専行をおこなったが、生の公電は〈安東情報〉として一定の評価を受けるにいたった。
五年間のチエコスロバキア・プラハ大使館勤務を終えて本省東欧第二課へ移動となり、チエコを中心にした情報を収集・整理する担当となった。五年間留守にして帰国したとき、愛する日本は、列島変革論にゆれる高度成長時代のまっただなかにあった。国土全体が狂気ともいうべき熱気につつまれていて、東欧の沈んだ情景にくらべると、恋人日本は浮かれて見えた。私の祖国への想いと現実の日本が劇的に変化していることへの違和感は、その後、海外勤務から帰国するたびに増幅していき、慕ってきた恋人の心変わりに似た苦渋を味あわされた。それは浦島太郎にされて、ひとり不毛の地へ取り残された心境だった。
モルダウの流れに高揚を感じたときの青春の純粋さはどこへ行ったのだろう。あのときの誇るべき日本は? いろいろな想いに包まれたとき、その熱が冷えてしまったとしても情熱を書き残しておくべきだと小説のペンを取ったのだった。
さらに長年、外交官として国益を奉じてきたが、行政から離れてひとたび政治の側に身を置くと、愛する国家は利権の宝庫であった。打ち出の小づちをもって金のなる木を育てているかのように見えた。
そして、現行の政策秘書のポストとは、かって殿上人であったキャリア官僚が政策や議案の説明に足しげく通ってくるのを、廊下で待たしている立場になったのである。
 やはり、ポストが人を造るのかと思われる。日本国の機能の中心に立つと、出先の現場であったダバオの総領事館は、多くの出先の機関の一つでしかない。ワンオブゼムなのだ。
 来年には、東都歌劇シアターで〈雪解けのプラハ〉が、講演されるのが決まった。脚本が出来たら、届くことになっている。

          ( つづく ) 

*全体の三分の一ほど来たようです。まだまだ続きます。ヨロピク!    







この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?