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アナログ作家の創作・読書ノート

                      おおくぼ系
エッセイいきまーす! ヨロピク!

                                  それから?
 
 作家、島尾敏雄のノンフィクション原稿を依頼されたことにもとづく「ナッキーからの手紙」という短編小説をかきあげてNOTEに掲載した。ナッキー姉からの手紙を中心にすえ、彼女と島尾敏雄とが親密なつきあいがあったという取材にもとづくフィクションであるが、いくぶんかの反響があった。
 ひとつは、彼女と作家との関係は具体的にどういうものであったかというもの、このことが書かれてなくて、むずがゆい、さらに島尾敏雄の遺稿一式を文学館が買い取ったとのことであるが、その額は、いったいいくらであったのかというものである。
 
 取材によるノンフィクションの原稿をまとめたものは、『島尾敏雄とミホ 沖縄・九州』という本に「琉球弧の人々と島尾敏雄をめぐって」として収録されているとおりであるが、質問のあった2点については、これにおいても記述していない。このあたりが考えどころなのであるが、二人の関係や遺稿の買い取り金額は、スキャンダルに属する部類に思えたので、あえて書かなかったのである。
 同書は、島尾敏雄の研究書または解説書として、よく編集されているが、反面、小説家の視点からすると、取材のたんなるレポートとして物足りなさを感じていたので、今回小説にして島尾氏にかかるアヤをいろいろと書きたかったのである。とくに自身のつかんだ島尾敏雄という人物とナッキーの雰囲気を小説として独自に表現してみたかった。
 作風で言うと、川上弘美の『センセイの鞄』や保坂和志の『この人の閾(いき)』に類するような、おっとり、ほんわかしたものにしたかったのであるが、如何せん、なかなか思うようにはいかないものである。
 
 小説とは何か? これは、何作か書いたのちに考え出したことであるのだが、ある面、人の生き方、生き様=人生をうつしたものであり、人生の事例研究ではないかと考えている。文章をもちいて、作者が考えるところの人物像を形づくるーーこのことは文章をもってする彫刻なのかもしれないと思う。その意味では、文章を通して作者の想いや個性、さらにクセまでもが写し込まれるので、作品は作者そのものであるといわれるのであろう。
 男女の関係をどのようにとらえるかについては、斎藤環の『関係する女 所有する男』が参考になる。これによると、女性は、人と人との関係性を重視するとある。人とのつながり、関係をああでもないし、こうでもない、しかしひょっとすると、ひょっとするかも、などと、いわばグダグダと、際限もなく想像しその内面世界に遊べる。
 このようなことを勘案すると、「ナッキーからの手紙」は、作者としても、もうひとつ納得のいくものではなくて、駄作に感じられる。しかし、生まれた作品は、執筆して発表した、作者としての責任もあり、それなりに可愛いものである。
 
 いままでの自身の小説を振り返ると、どっか大きく抜けている感じがしている。大きなほころびがあり、評論でいうところの破綻かもしれないが、読む人によっては、大きな破綻をかかえた、危なかかしい作品と感じるかと思う。それは、作者自身がそうであるからに他ならない(笑)からだ。と言って、完璧をめざし微に入り細に入り長々と書き込むとか、さらに完璧とは何であるかとは、考えたこともなく、見えないのである。さらに文学という範疇にはないこともあきらかである。
 
 荒いと評されたことや酷評をうけたことも幾度となくある。そんななかで某同人雑誌の編集者の一人だけが拙作をかってくれた。それがいままで書き続ける、よすがとなっている。自画自賛で恐縮ながら、まず、「深山霧島を見ずや」について、編集氏は
 
「この書き手の自在な発想と魅力的な構想力が融合しています。散漫な個所もみられるが、それ以上に朝鮮焼という茶碗に隠されたマグマが世俗を超えた威力を発揮し、それはマスコミも表沙汰に出来ぬ秘密になっています。
――ひたすら土をこね、焼いている、という超翁の一見すれば単純な姿勢には凄まじい美意識がこめられていて、しかも地下水脈で祖国の政治また経済の動向も把握しており――濱元は窯元のある三山一帯の謎めいた秘密に触れたのでしょうか。異色の書きです」 と評し、さらに「銀色のBullte(銃弾)」について
「芸能界の断面を描いています。ボキャブラリーが豊かで、流麗な文章であり、ストーリーの展開はテンポがよくーーこの書き手には優れた感覚と恵まれた才能があります。このような作品に対して長く同人誌に関わってきたベテランの書き手は顔をしかめそうです。華やかな舞台の裏の暗部も暗示していて、現代の世相を反映しており。しかも書き手の良質な品性がうかがえます。
ーー芸能界を扱っていますが、爽やかな基調であり、書き手の巧みな小説技法に感心します」と賛辞をおくってくれた。
 
 ここまでおだてられると片腹いたしであるが、豚も木に登る(笑)心境であった。一人でも、こういった〈推し〉があると、小説家も捨てたものではない。駄作でもなんでも書き続けるのみであり、編集氏には、いまだに感謝して余りある。
 
 ところで、冒頭の設問についてであるが、島尾敏雄とナッキーの関係については、続編として書き継いでいきたいと考えているし、遺稿の購入金額は千万円単位のものであった。この金額は、文学が興勢をきわめた、力ある時代の価値であったものと思う。

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