グラフィティの衝撃

宣言より遅くなってしまったが、とりあえず「書く」ことに慣れるべく、noteを始めようと思う。駄文が続くと思われるが、とりあえず、まず第一歩を。

1本目はどうしてもこのことを書いておきたかった。私が現代アートを学ぶに至る、私の根幹となっている体験についてである。

 現在私は大学院において現代アートを考察している。修論のテーマとしているのは「グラフィティ、ストリートアート」である。

 私がグラフィティに出会ったのは19歳、大学2年の時だ。(あくまで私は鑑賞者でありライターではない)ライターたちによって目の前で描かれる無数のタギング。彼らは街中を歩きながら本当にさりげなく、しかし確実に残る形で街の風景を変えていく。その素早い動きからは描く媒体を選んでいるのかさえ判断がつかない。描く様子の滑らかさ、無駄のない動きは夜の街を完全に征服しているように見えた。
ストリート文化に触れてこなかった私にとってその光景はあまりに刺激的で衝撃だったことは言うまでもないだろう。そこからミューラルアート全般に対し、私の興味が芽生えたのだった。

 数年後、私はライブペイントというスタイルに出会う。彼らはこれまでに触れてきたグラフィティとはまた一線を画する存在だった。語弊を承知で言えば、当時の私にとってそれらは「犯罪行為とそうでないアートっぽいもの」という区別に過ぎなかったように思う。彼らの活動に対し、芸術的な目線で捉えることはなかった。しかし、それらに触れる機会が増えるにつれ私の考えに変化が生まれ、これらがもっと広まり、芸術として評価されるためには何が必要なのかという問いをもった。またそれと並行して、グラフィティアーティストたちのより社会的な活動にも興味を寄せ、ストリートアート全体の社会活用にも興味が湧くようになったのだった。

 この数年の問いに区切りをつけるため私は現代アートを学び、自分の答えを見つけたいと考えている。ここはそのための雑記帳である。好き勝手な意見を述べていくと思うが、その果てであの衝撃の正体を私は探し出したいと思うのだ。


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