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猪鹿蝶

花札の絵柄が好きで、小物を少しづつ集めている。

あの不思議な色使いも、かっきりしているのか若干雑なのか、よくわからない線の感じも良い。動物たちの表情は無機質なのに何だかユーモラス。

スマホのケースも花札柄でびっくりされるのだけど、それを手にしていると自分にもその「少しの翳り」の雰囲気が伝染して、何となくあらぬ方を見つめていたりする。

中でも好きなのが藤に時鳥の絵で、滑り降りるかのように飛ぶ鳥の、正になめらかな躍動感が他に無いと思う。赤い三日月を背にしてあの独特の鳴き声が聞こえてきそうな気がする。


幼い頃の私は、子供のくせに夜眠れないことが多くて、時々は今でいうパニックを起こして隣に寝ている祖母を起こして精神安定剤を飲ませてもらうような有様で、その日も私は、軽くいびきをかいて眠っている祖母をちょっと羨ましく思いながら、布団の中で冴えた目を開いてじっとしていた。

もう今では聞くことが無くなったけれど、夜中に目を覚ましていると、遠く山の方からあの鳴き声がいつも聞こえてきた。それはよく言われる「冥界の使い」風の響きというよりはもう少し生々しい、その頃の私がまだ触れ得ない、人間がその肉体の深淵で放つ声に似ているような気がした。

時々はそれに、静かに降り出す雨の音が混じったりする。その夜も霧雨が降っているようで、しばらく続いた鳴き声がぴたりと止んだ後、雨戸の向こうに人の気配を感じた。

祖母を起こさないようにそっと戸を開けると、皮膚の色が蒼いほどに白い、泣きはらしたような潤んだ目の女の子が立っている。子供らしくない、頬の赤みが全く無い顔だったが、肌の匂いが幼げだった。

彼女は手に白い小鳥を乗せていて、それを私に渡そうとする。でもなぜかそれは受け取ってはいけないもののように思えて、私は雨戸をまた音を立てないように閉めてしまった。

それからもしばらく霧雨の夜には、小鳥を携えてその子が現れて、私はいつも何も言わずにまたそっと雨戸を閉め直すだけだった。

私が成長するに従って、いつのまにかその「気配」と女の子はやって来なくなったけれど、ある時我が家で白文鳥を飼うことになった。両親の知人から譲られたのだが、全く鳴かない鳥で、でも私は文鳥とはそんなもんかと思っていたので別段気にせず、その愛くるしい様子に夢中になっていた。

しばらくして、小鳥の白い羽毛の下に腫れ物ができて、だんだんに元気がなくなっていくので獣医さんに診せたところ、とりあえずの塗り薬は処方されたが根本的な治療法は無いとのことだった。

帰り際、獣医さんは

「この子は女の子だね。人間で言えば17~8歳ぐらいかな」

と言った。

その後も次第に文鳥は弱っていって、ある朝、夜は家の中の、玄関の脇に置いている鳥籠から忽然とその姿を消していた。鳥籠から出ることはまだ何とかできたとしても、家の外へどうやって出て行ったのかはいまだにわからない。ただ、私がかつて祖母と一緒に寝ていた部屋の雨戸の側に、白い羽毛が一片だけ落ちていた。

その後飼った文鳥は、黒とグレーのいわゆる桜文鳥で、つがいにしてうまく卵も孵り、うるさいほどに元気な鳴き声をあげる雛たちは順番にご近所にもらわれていった。それからも夫婦の二羽は10年ほど元気に長生きした記憶がある。

今でもやっぱり、何となく寝苦しい夜はあって、そんな時はカーテンの隙間から夜の街を見下ろしてみる。一見静寂な景色だが、その中に人の営みの気配は消えていない。そしてふと深海色の空を見上げると、星もかすむほどに明るい三日月が照っていて、その光の中を、あの懐かしい鳴き声をあげて一羽の小さな白い鳥が、するりと飛んでいく幻が見える。

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