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周回軌道を離れて

勤め帰り、洗顔料を切らしていたのでドラッグストアに寄ると、店内に懐かしい曲が流れていた。

スペインのポップグループ(←ジャンル分けすると多分こういうしかないと思う)”メカーノ”の曲で、まあ随分珍しい選曲だとは感じたけれど、以前たまたま入った地元スーパーで”ケタマ”の曲を聞いたこともあるので、それもありかもしれない。

私が今更語るまでもないけれど、独自の詩世界、ボーカルのアナ・トローハの透明感のある歌声とスペイン語の響き、80~90年代初頭独特の、日本で言えばバブリーというか昭和感というか、単調であるが故にキャッチーなリズムや曲調(テクノ系や民族音楽風など、彼らの曲はバラエティに富んでいるということも言われるけれど私にはそう感じられる)、それらが混じり合ってちょっと他にはない雰囲気を醸していて、一時は毎日のように聴いていた記憶がある。

気に入っていたアルバム”Descanso Dominical"は学生時代、友人に借りパクされてそれきりだが、その中に「ライカ」という曲がある。

世界初の生命体搭載衛星として、1957年に打ち上げられたソ連のスプートニク2号に乗せられた犬、ライカを主題にした歌で、私はこの曲を初めて聴いた時、歌詞内容の詳細についておそらく知らなかったのだと思うが、興味を惹かれてその宇宙飛行実験について調べてみると想像以上に凄惨な事実がわかってきて、それ以降、これは聴くのが躊躇われる曲になった。

スプートニク2号は片道切符の宇宙船だった。

時間をかければ地球に戻って来ることが可能な装備を施すこともできたが、十月革命40周年記念に間に合わせ、なおかつ地球軌道を周回できる宇宙船を完成させるには開発から4ヶ月という期間は短すぎ、それは断念されたといわれている。

ライカは船内で息絶えた後も5ヶ月の間、地球の周囲を巡り続け、やがて地球へと降下し、大気圏再突入したスプートニク2号と共に燃え尽きた。が、何となく私は、ライカは今でも、そして「ライカ」の歌詞にあるようにこの先も永遠にこの地球の遙か彼方を回り続け、私たちを静かに見下ろし続けるような気がするのだ。

いい年をして、とにかく以前から仕事が続かない。

まあ、病気を言い訳にしたりしているけれど、冷静に省みてつまるところ、社会に適合し、順応する能力が私には欠けているのは明らかで、恥ずかしながら何度転職したかもうわからない。

そんな私でも、今やっと1年ほどだが続いているアルバイトがあって、そこではまわりの人たちにも良くしてもらい、どんくさくて、他の職場ではすぐに見限られて結局居辛くなり辞める、を繰り返していた私を根気よく使ってくださっている。ありがたいことだ。

100均の生活雑貨やスマートフォンの付属品を扱う物流倉庫で、その仕事の内容は、各店舗ごとに分かれた出荷リストに従って庫内に整理されている品物を集めてくる、いわゆるピッキング作業だ。

商品を見ていると時々、こんなものまで100円で売っているんだと感心するものもある。洗剤、排水口用の水切りネット、バスタオルにハンカチ、スリッパ、インテリアグッズにアイデア雑貨、様々な身の回りの品が列の番号、さらにその中で場所ごとに番地が振り分けられていて、私たちはリストに書かれたその品物の「住所」を探し歩く。そうして1店舗全ての出荷品を集め終わると検品場へ渡し、また次の店のリストを持ってくるくると倉庫の中を巡っていく。その繰り返しだ。何人もの人間がそうして同じようなルートに沿って循環を続けている。


ある時、ピッキングリストの中に見慣れないロケーション(さきほど書いた、各々の商品の「住所」のこと。棚番と言ったりもする)の記載があった。そこへ行ってみると、めったに売り物にならない、埃を被ったような品々が寄せ集めてあって、私が取り出すべきなのはどうやらその中にある犬の置物のようだった。小さな観葉植物や部屋の飾り物が100均の店に並んでいるのは珍しくもないが、それはかなり大きいもので、白と黒の斑で耳の先の垂れた、どこにでもいそうな平凡な犬の姿形をしていた。私はそれを集荷用の折りたたみコンテナに入れて、検品者に預け、またすぐに次の作業に取りかかった。

しばらくすると現場リーダーが私の所へやってきて、これ元の場所に返しておいてくれる?とさっきの犬のオーナメントを私に渡した。私がピッキング間違いかと思って謝ると、いや、これは出荷しないことになっているから、と言う。理由を問うと、リーダーはちょっとの間、返事に困ったようだったが

「これ、どの店に置いても売れないんだよね」

と、少しの苦笑いと共に答えた。

一応検品はするが、出荷の最終段階ではじかれているらしい。どのような訳かはわからないが、世の中に数え切れないほどの「商品」というものが流通している以上、その中で全く人々の目を引かず、役に立たない、手に取られないモノは存在するだろう。

それからも時々、私はリスト通りその犬の置物を運んだが、その度にやはり元に戻すよう指示された。どうやらその品を目にしているのは私だけのようで、誰に聞いてもそんなものは知らない、と言う。存在さえも認識されていない。私はその置物のモデルとなった犬は雌犬のように思えた。彼女は検品場所へ連れて行かれてはまた、薄暗い倉庫の片隅とを行ったり来たりするばかりで、やがて私はもう、彼女の居場所を示す番号を見ても無視するようになった。それでも何事も起きなかった。彼女はいつも、誰にも知られずに倉庫の中をぐるぐると回っている私たちをじっと動かずに見つめていて、その顔は、そんな私たちを滑稽だと笑っているようだった。

しばらくして、大型連休前の棚卸しがあった後、彼女はいなくなっていた。今度こそどこかの店へ出荷されていったのか。それとも。

私は彼女が、今度は私の知らない街のとある店の隅っこでひっそりと、様々な商品を目にしては購入していく人の流れを、彼女自身は商品となることなくじっと眺めていてくれればいい、そうしてそんな私たちを笑っていてくれればいいと思った。

「この地上から一匹の犬が去って、空には星がひとつ増えたのだ。空にひとつの星が」~mecano "Laika"~






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