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おもてなしの"strong tea"

 その日も、モーニングを注文する人でごった返す時間を少し過ぎた朝9:00を回って、私が密かに「イギリス紳士」と呼んでいた常連のお客さんのひとりがやって来た。

 今から20年程前、学生時代の私は自宅から2~3駅離れた所にあった小さなベーカリーでアルバイトをしていた。今ではよくある「イートイン」のパン屋さんで、売られているパンと喫茶メニューの他に朝7:00~11:00まではトーストとコーヒーor紅茶、ゆで卵の付いたモーニングセットも提供していた。

 この自家製食パンを使ったモーニングがなかなか好評で、駅改札前という立地もあってか、毎朝7:00の開店からしばらくは人の出入りで狭い店内が大混乱。昼食用のサンドイッチを買っていく人などは列に並んでいると電車に間に合わないので、カウンターにお金を置いて「これ、もらっていくよ~」と列の向こうから叫んで、商品を持って行く人もいるぐらいだった。

 この騒ぎがおさまって、ようやくゆっくり洗い物などを片付けていると、その、年齢は40~50代ぐらいか、背の高い、柔和な顔立ちの男性はひとりで静かにやって来るのだ。そう、名付けて「イギリス紳士」。

 このイギリス紳士(以下「紳士」)、格好はそれほどイギリスではない。グレイヘアにハンチング、という辺りまではその雰囲気有りだが、服装はいつも革ジャンにジーンズ。何の仕事をしている人なのかさっぱり分からない風体で、それでも私がイギリス云々というのはその「紳士」がモーニングでいつも紅茶をチョイスするからなのだった。そして必ず、

「濃いめに淹れてね」

とニッコリ言って、悠然といつも決まった壁際の席に着く。時にはそう言ってから私に向かってウインクしたりもするのだが、その仕草が日本人にしては不思議に自然でいやらしくない。あの出勤前のサラリーマンたちが、丼で言えばかき込むようにモーニングを片付けて、ニコリともせずに足早に店を出て行く殺伐とした雰囲気の後だから、というのもあるだろうけれど、私にとって「紳士」はだんだん癒し・憩いの存在になっていった。

 食事を終えた後は本を読んだり、小さな手帳に何か書き物をしたりするその姿を私はそれとなく観察したり。「紳士」が来ない日は少し物足りないような寂しいような気持で、時々、これまたモーニングを頼みに来るお向かいの駅売店のおばちゃんにまで、あら、どうしたの、今日は何だか元気ないわねぇ、なんて言われてはっとする始末。

 さて、その日はパンを買って行くお客さんもまばらで、窓際の席でスポーツ新聞を読みながらコーヒーを飲んでいたおじいさんが帰ってしまうと店の中に私は珍しくひとりになった。もうすぐ「紳士」の来る時間。私は少しどきどきしながら手提げ袋の補充などをしていると、店のドアを開けてその人が入ってきたので、分かっているのに私はやっぱり少しどきりとした。

 いつもの壁際の席に着く「紳士」が視界に入って、私は少し緊張しながらモーニングの準備を始める。厚切りの食パンを取り出してトースターに入れる。その間にお湯を沸かして紅茶葉を1人分より少し多めに用意。1度目のトーストが終わるとバターを塗り、もう一度トースターへ。その2度目のトーストの間に、茶漉しに入れた茶葉の上から沸いたお湯を温めたカップに注ぎ、ソーサーで蓋をして蒸らす。

 これはたぶん、正統派の、美味しい紅茶の淹れ方ではないと思う。紅茶通の人から見ればかなり邪道な飲み物になっているのだろう。でもこれが、コストやスピードも考えなければならない店の中で実行可能な限りの手を尽くした、私の紅茶だった。

 バターが溶けて黄金色に焼き上がったトーストをふたつに斜め切りにして重ね合わせ、お皿に盛り、エッグスタンドに入れたゆで卵と一緒にお盆に置いて、最後にカップに蓋をしていたソーサーを取り上げると瞬時に紅茶の良い香りが辺りに漂う。

 美味しく出来た。私は嬉しくなってお盆を「紳士」のテーブルまで運び、トーストの皿とゆで卵を並べる。「紳士」はありがとう、と言って紅茶のカップだけは私の手から直に受け取った。

 今、店内には誰もいない。私は空いたお盆を小脇に抱えると思い切って話しかけた。

「紅茶、お好きなんですね」

 やっぱり出てきたのは、今考えても笑ってしまうような、ありきたりの単純なその言葉だった。しかし「紳士」は笑いはせず、でも穏やかな表情で、

「もともと僕はコーヒー党で、いや、今でもそうかな。実は普段はめったに紅茶は飲まないんだ」

と言って、こんな思い出話をしてくれた。

 若い頃、仕事でフランスとイギリスを旅したことがあった。フランスでの用事を済ませた後、イギリスへはフェリーで移動することになった。フランスのカレーから船に乗り、イギリスのドーバーまでは1時間半ぐらいなのだけれど、旅と、慣れない外国での仕事の疲れもあったのか、僕はひどい船酔いをしてね。英語もそれほど達者でなく、こんなところで具合が悪くなってどうしよう、と本当に冷や汗をかいていると、僕の様子に気付いた乗務員の若い女性が声を掛けてくれた。僕が何とか英語の知識をかき集めて体調を説明しようと気力を振り絞っていると、喋らなくていいのよ、と僕を制して職員用の簡易のキッチンらしき所へ引き返して、濃く淹れた熱い紅茶を持って来てくれた。本当はこれにジンジャーシロップを入れるといいのだけど、ここには無くて、と彼女は申し訳なさそうだったけれど、その濃い紅茶は身体の隅々まで沁みて、熱があるわけでもないのに汗をどっとかいて、頭も身体もすっきりした。そのおかげで僕は無事、イギリスにたどり着くことができて、本場の紅茶も何度も味わったけれど、あの時の1杯にかなうものは無かった。あの味と、お役に立てて良かった、と言って笑った女性の顔は一生の思い出だね。

 だから濃く淹れた紅茶がお好きなんですね、と私は言って、それからその女性のことも好きになったんですね、とも言うと「紳士」は何も言わずにくしゃっと笑った。

「でも、そうして本場の紅茶を知っていらっしゃるなら、この店で淹れている紅茶なんて、その足下にも及ばないものじゃないですか?どうしてここではいつも紅茶を選ばれるんです?」

 私が尚もそう話すと、

「紅茶はよく、正式な淹れ方がどうとか、マナーはこうで、とか言われることがあるけれど、飲む人のことを一生懸命考えて淹れられた紅茶は皆とても美味しいよ。あなたもお客さんのことを考えて、精一杯工夫して紅茶を淹れているでしょう?」

 そう、お客さんのため。いつもそれは考えているけれど、とりわけ貴方のために。心を見透かされたような恥ずかしさと、その労いの言葉への感動がごっちゃになって、私はただ俯くしかなかった。

 そうしていると、5~6人のお客さんが一気に店内に入ってきて私はまたレジに戻り、お金を受け渡したりパンを袋に詰めたり、しばらく接客に追われていると気付いた時にはもう「紳士」の姿はなかった。

 それからも「紳士」は時折店にやって来て、濃い紅茶付きのモーニングを注文することがあったけれど、もう言葉を交わす機会は訪れなかった。いつの頃からかあまりその顔を見かけなくなり、やがて私も学校卒業と同時にベーカリーのバイトも卒業して、もう「紳士」に会うことはなくなった。

 私も実はコーヒー派で紅茶はめったに飲まないのだが、「紳士」の話を聞いてからというもの、体調の悪い時には必ず、すりおろした生姜と蜂蜜をたっぷり入れたジンジャーティーを飲むのだ。もちろん、紅茶はとびきり濃く淹れる。それを飲むと不思議に身体がすっきり軽くなるのだ。

 もっとも、少し切ない想いが蘇って、心はひりひりするのだけれど。


#紅茶のある風景 #エッセイ

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