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【愛馬日記】4ヶ月ぶりの自分らしさ

いろんなことがあって、乗れない日が続いていた。
他の人はどうか知らないけれど、オートバイは乗ることへの与条件のハードルが四輪の車とは比較にならないほど多い。

まずは天気。雨の日は乗ろうと思わない。確かに若い頃は乗った。でも今は雨の日のライディングは不快だし危険すぎて乗らない。
そして気温。暑かったり寒かったりの気温も乗る決断を鈍らせる。異常気象と呼ばれて久しいが、まさか今年は4月末に猛暑日がくるなんて誰が想像しただろう。
けれど、最大の理由はメンタルとフィジカルだ。
乗ろうと決意した時間帯に乗れなかったらもうダメ。気分がついてこない。体力もそうだ。オートバイにずっと乗り続けるためにはオートバイの自重を下げていくしかない。ちょっとしたことでオートバイに右往左往しないためには軽いオートバイにしていく必要がある。

この決断は結構むずかしい。
自分の衰えを認めることになるし、最大の理由であるバイク乗りの承認欲求として大きいオートバイに乗りたいということを諦めなければならない。

でも、最後に行き着くところは原付なんじゃないかと思う。
昨年、ホンダのモンキーを購入した。実に安心。実に快適。これはバイクの自重のせいだ。バイクを複数台所有すると日常的に乗るのは軽いオートバイになる。そうするとどんどん昔の最愛の恋人である重いオートバイから遠ざかる。愛していた女の子を抱いて満足させることができないに等しい。

そんなこんなの中、ひさしぶりに重いオートバイに乗る。
長期間乗らなかった時にまずは『バッテリーは大丈夫かな?』『エンジンは始動するかな?』『結構ほこりかぶっちゃったなあ、ちょっと拭こうか』とか、いろいろ気持ちがざわつくことが多いのだ。これらを乗り越えてはじめて走り出すことができる。四輪の車とは違う。

以前、東京に単身住んでいた時、同じマンションに若い女性ライダーが居て、彼女は毎朝颯爽とバイクの跨って出掛けていく。乗ることに躊躇している感じがなかった。自分もかくありたいと思ったけれどそんなふうに颯爽と乗り出すことはできないままだ。


迷惑系のライダーにはならないようにしたい。
最近は万が一を考えてしまいソロで走ることに躊躇することもあるが、それでもふたりで出かけるくらいで、大勢でツーリングするのは苦手だ。
けれど集団で走ることが主流の特定のメーカーのバイクに乗る人たちがいる。ただでさえVツインの底トルク響くエンジンをマフラーでさらにうるさくし、見栄えもなぜかみんなおんなじアウトロールックで、大きな音楽をかけながら走るというのを目の当たりにすると、同じバイク人と思われたくないと素直に思ってしまう。

昨日もそんな集団と遭遇した。しかも同じサービスエリアに入ってしまう。
連休ともなると二輪車の駐車スペースが混み合う。譲り合ったりすみっこに遠慮がちに止める人が多いけれど、某メーカーバイク走行集団は、自分たちのバイクが大きいのでところかまわず駐車しているし、さらには集まって大きい声で怒鳴りあうようにバイク自慢を話し、自慢のスピーカーからのサウンドがどうのこうのと爆音で音楽をかけ始める。見た目は皆アウトロールック。ちょっと人としてどうかなと思って引いてしまう。
気持ちがざわつく前に、トイレを済ませて、すぐにその場を離れた。

そう、嫌なことからは遠ざかるしかない。
若い頃は仕事でも私生活でも自分を押し通そうと考えの異なる人たちと一悶着することが多かった。今思えばずいぶんと考え方が子供だったと思う。いろんな人がいるから世の中があるのであって自分と合わないならそこから距離を置くことが肝要だと思うようになった。

それがなかなかできない状況に「満員電車の中」や「人混みあふれた観光地」がある。そこから距離を置くことができない状況にならないように、生きる知恵としては“距離を置くことできないところ”に自分を追いやらないこと。それが大切だと感じている。

最近は会社を辞める人が多い。「なんで辞めるんや?」とか「やめてもがんばれ!」と偉そうに残る者たちは言うけれど、辞める側からしたらたぶん“距離を置くことができる場所”へ自分を移動するだけのことで、会社に残っている側は自分たちが、ある意味、迷惑系のライダーと同様でにあることに気がついていない。

久しぶりにオートバイに乗ってそんなことを考えた一日でした。
でもオートバイって本当に楽しい乗り物ですね。

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