シキ外れ

第十章

「やっぱ、いくらぐうぜんでも、偶然すぎました」


 李鳴がペンを置いて、一人でつぶやいている。


「それ以外、ほかにもいろいろなことも記載された。それを見て、できるだけ心の不安を抑えながら、

『見せてくれて、どういう意味ですか。』って聞いた。

 妻のことは一度も信川さんに打ち明けたことがないから、偽物で罠を仕掛ける可能性も大きいって思ったから。その時、どうしても信川さんの心が見通せなくて、怖くて。事前に色々調べておいて、会う前に奥さんの名前をノートに見合わせておいたという暗示に深くかかっている。どう見ても、脅かされた。怖くて、信川さんの目に合う勇気さえなくなった私が口を開ける前に、向こうが先より発言した。何よりそれこそ一番怖がっていた言葉だった。
『お息子が今変な病に咎められていたらしい』
 いくら勘定しても、事態の行き先が心のままに辿り着けないようになってしまった。そして自分の悪行に悔いたばかり、血で血を洗うという言葉が不意に頭に浮かんでしまった。やっぱ信用できていなかった、その時には。
 息子の奇病の後に、そう聞かせた。

『お息子に対する治療の責任は買うんですから、宋明義の血に継いだ人にほかならいです。借金証文のことなら、やっぱお前の心次第だ。病気が治せるまで絶対に見捨てませんから、破産してでも。宋明義の甥ですので。』

 的に外れた言葉ばかりだった。実はいつもいつも金がほしくてたまらなかったんだ。妻の死、息子の病、どれも心を抉っていた。借金証文の金があの時の僕には一生しても手に入れられない数だった。前にはずっと金があれば幸せが訪れないとしてもせめて楽に日々が送っていけると思っていたけど、この世では欲しいままに進んでいかないもんだ。病のことを聞くと、医者の方にはすでにお手上げにしたことがわかりきった。怪病なので、また国民健康保険のない子だし、いくら医療技術進んだ日本だとしても治れるかどうかをそばにおいて、巨額の金がかかるには違いないくらいのことがはっきり分かっていた。僕と同様に瀬戸際に陥った信川さんに金を強請るのは恩を仇で返すとまではいかないとしても、ラクセイカセキに決まっているんだ。しばらくして、心を苦しんでいた正体を見破られたはずだ、

『よろしければ食事の後で同行で、転院の手続きを済みに行きましょう』って勧めてくれた。

 信川さんが約束を守ってくれた。病院の時には何名の医者に囲まれて、ずいぶん多くの書類にサインされた。私の代わりに信川さんがどうやら上海に赴いた何名かの外国の医者と一時間ぐらい話し合っておいた。信川さんのおかげで、本当に助かった。

 それから顔がちょっと青白く見えたけど、『大丈夫です。もう心配する必要がありません。』って言って、苦笑した。夜も例のところへ誘われた。強烈な好奇心かも、そこで聞くまじきことを聞いてしまった」


「すみません、ちょっといいですか、インクが切れそうだ。すみません、」

 ばつが悪そうに微苦笑を浮かべた李鳴が伊江圭の言葉をもう一度中断させた。


「まあ、仕方がないことだから」渋い顔をした伊江圭が舌打ちして促す。

「はい、言い続けてください」

「その時、『どうしてわたくしでも疑われていたことを信じっているの。うちの息子のことなんだ。』向こうから意味深い答えを出して、いくら口を切っても明らかせない疑問を返された。

 答えは『運命のようなものなのかもしれないって思って、抗うつもりはない』言われただけだ。答えられない疑問とはなぜ僕がそれを持っているということだ。ロジックらしいロジックらしくない言葉のショックを受けて、ただ苦笑して頷いた。食事を済ませて、信川さんはホテルのほうに泊まって、私は色なものを整えて、日本へともう一度赴く準備をしなくてはいけないから。遅くとも明後日出発することになるって言ってくれておいたから。そして一人で急いで帰りの道で李さんと出会った。それで息子のことの真偽もつけるようになった。その時、いろいろあって、一言と金で誤魔化したってこと、ごめんね、」


「それに謝ってくれるというより、突然失踪になってしまったことで、警察に絡まって聞きただされたことに説明してほしいなんですが。息子が日本へ治療を受けに行った代わりに父親が行方不明者になったことは多少世間的な常識に外れたものです」


「へ、李さんも巻き込まれてしまったの。大変だったなあ。仕方がないが、今まで聞いてくれていないから、ほぼ忘れきってしまった」

「一体何がありましたか」

「私が日本ヘはじめて来たきっかけを知っているの。いや、どうやって日本に来たという言い方がもっと正しいんだろう」

「いいえ。研修生とか?」

「違う。派遣されたんだ。ただしそれは普通なのではなかった。あの時の研修生は大抵国が出資して、日本の工場などのところに進んだ技術をもらったために行っただろう。恐らく、それよりもっと早いなんだっけ」

「そのぐらいのことなら大丈夫ですが、でも、」

「その後には自費の研修生や留学のような形も複雑になって、多くなる一方だ。それにしても会社というものに派遣されたのはやっぱごく稀なんだ。稀というよりないと等しいみたいだった。就職の口に迷っていた時にある知り合いに勧められて、彼と同じ会社に運を試してみようって思って、失敗してもともとだって思ったけど、できたとは思わなかった。試用期間とはいえ、国内の給料が全然比べ物にならないことを否応なしに認めるしかなかったんだ。その後、会社の計画通りに日本へ行った。日常生活に不可欠な言語力や支社運営の基準を理解させるという準則で、あるコンビニに勤め始めた。三ヶ月かかって、突然支社はリストラに臨んでいたことを知らせてくれて、二つの選択をくれた。一つは今の仕事をやり続ける、もう一つは今の仕事を辞めて、ほかのところで働くということだ。ちなみに、その会社の表は外国人の人材育成の役目を果たしていた。普通、関連された会社に人手を輸送することになっていた。そのまま、その会社に紹介されて、その工事現場の先輩に見習いはじめる同時に前の会社の縁を切った。せめてその時くらいにそう思っていた」


 李鳴は疑問に相応しい答えを次から次へと追究していて、それに対して、伊江圭は相変わらずスピードを下ろすつもは微塵にもない。書き始めたばかりのページはすでにみっしりと並んだ黒の字に占められて、必要に残された隙間以外の空間がどこにもない。


「よろしいですか」
「結構だ」


 李鳴が渡したコップには大分の茶葉が底に詰まっていて、何度もお湯の高温に刺激された茶葉は入れられたお湯が漲るとともに大量の湯気がもくもくと一輪一輪と咲くとともに、鳶色が深くなって、霞んで見えるようになった。お湯が入る瞬間に、何枚の茶葉がまるで池に浮かぶ枯れ葉のように左右反転に転がっている。ただお茶だから、いくら品種は一般的なものと違いところのある茶葉であろう、香りも味も淡くなったでがらしのお茶になった相違はない。


「さっきも言った。その会社はただ普通の労働者の輸送の中継所みたいなところだった。皮だった。その会社はマネロンの仕草を働いてたことこそ裏だった。もちろん、信川さんやその会社から転職した人を受けた会社の関連者もたぶん何も知っていないはずだった。そういうと、」

「すみませんが、会社のネームを教えていただけませんか」


「ヘイ、正直言えばあまり覚えていないんだ。もう遠いことだったし、やめろ」


「はい、わかりました」

「その会社が馬脚をあらわしたのは次の日の午後だった。信川さんが慌てて、前の会社がマネロンの事件に関わっているらしくて、告発されたって伝えてくれた。僕の身分は他の人にすり替えられている恐れがあるということが心配してたまらないらしかった。その話を聞くと、鳥肌までも立った。国際的なマネロン事件なんてことに関わるなんて。バカバカしすぎるんだ。日本のほうより中国にその会社の状況を聞かずにいられなかったけど、全てうまくいけるはずだって言われた。これから何があるか本人だに測られなくて、何も断言できない境地になってしまった。もともと日本へ戻る理由を充分に作ってくれた信川さんがそのため、軽々と何かの保証責任を担うことにも曖昧の言葉を使うようになった。でも、その時こそそんな無茶苦茶なことに遭うことって、疑わないわけがなかっただろうか。信川さんもそのことにもたらされた悪影響が予想できおいたって思ったけど、お手上げになったはずだろう。まあ、今振り返れば、信川さんにはできる限りの力を尽くしても、そのためこっちからの不信感がひたすら増えてばかりいるのを取り消せない、その絶望感が十分理解できている」


「その友達に何か聞かなかったんですか、信川さんの言ったことについては」


「それはもちろんだよ。でもその場ではなかったけど。ずっと連絡が取れていなかったから、まるで僕のように暫く世から蒸発していた。まあ、何年くらい前に一度箱根で彼と会ったきり、連絡していなかった。そう、その人は劉明早(りゅうめいそう)だって。その人のことって知ってるの、今蘇州のある大学の指導主任を担当しているそうだ」


「リュウメイソウですか、聞いた覚えがない、そういえば彼もその事件の渦に巻き込まれましたか」


「箱根の旅館で一度聞いたけど、わざとそのことを避けるように見せたし、やっぱやめることにした。あの夜はそのため、なかなか眠れなかった。彼が僕の隣の部屋に泊まっていたみたいだった。もう遅かったし、朝になったら彼と食堂で鉢合わせだろうって思ったけど、夜まで姿も声もしていなかった。二日、友達の身分を使って、フロントに聞くと、急用があって、朝一番に離れたことを聞かせた」


「そうなんですか」

「国に帰ったのは仕事を自発的にやめたので、特別な理由がないとすぐ日本へもう一度いくことはほぼ不可能だったから息子のほうから見ても、公式的に日本の入館に私が来るぞって言っている。それに息子の治療費用は必ず信川さんにもらったんだ、そうすると信川さんがどうしても僕のことと繋がるようになるのも不可避になっている。ただ焦ってばかりいるのも無意味なことを知りながら、簡単なヒトコトだけで新しい局面を切り開くことは不可能だった。すべては空談に過ぎないんだ。

『信用してくれたら、お息子の吉報を待てばいいんです。』

 その言葉を話していた信川さんが多分諦めさせるって考えていたって思った。でももう一つの方法は信川さんには分かっていないわけがないと思った。一応それを後にした。なぜならば、その前にもっと聞きたいことがあるからだ。そう、手術の成功率だ。

『手術の成功率は100%ですか。そっちにつくとすぐに手術を受けますか』って聞いた。

 普通ならそんな場合には僕の問題は多少忌むべき問いだろう。それはそれこれはこれ、失敗した場合を想像すると襲いかかった冷たさが騙される悔しさに少しも負けないって感じられた。信川さんの顔からして、考えておいたかどうかひと目だけではっきり判断できなかった。信川さんは何度も口を開けたけど、それは、えっと、ただ無意味の声を洩らしていたっけ。溜め息だったろう。

『保証できないです。すみません』その弱々しい口は今でも鮮やかだった。

『再診断予定しますので、万が一の状況を防ぐには、また一ヶ月くらいされる必要があるということになっています』
 明瞭な言葉で作られた答えを得た私も黙って、方向を変えないと進めないことがわかった。信川さんが言い終わって、トイレに行った。トイレにいく間にペンと紙とを取ってきて、その隙を狙って、最後の手を打った。
 信川さんが席につくとすぐに畳み込んだ紙を渡した。

『それは望みではなく、条件です。伊江さんですから、さぞ早々思いついたはずだと思います』

 紙の内容を見ると、無表情で待てって言って、早足でその場を立った。戻った時にも無表情だった。その後に驚かせた言葉だった。再来週、うちの会社はFASで貨物船がホンコンに三日泊まるって言った。予想通りに彼が私の先より考えついていたらしかった」


「そして私に家をほっておいて、行き先も教えずに行ってしまった?それはそれは、信川さんがそこまで助けてあげたとは、それはそれは、そして密航者のような人としてホンコンを経由して日本に着きましたか」


「その通りだった。そういえば、ホンコンで信川さんと会ってから、船に乗るまでは、なんの意外なことにも遭わなかったから、全ては計画よりずっと順風満帆だった」

「では、お身分は?」

「前言っただろう。覚えているの。信川さんの本業は魚屋の営みだった。それだけでなく魚猟などの業も営んでいた。その時の漁業ならば、時々急に不穏な天気に遭ったら、命を失う可能性が大きい。今はおろか、ましてやあの時だった。儚い海難に遭って、このまま荒波に無情に呑み込まれたって、ちょっと考えて分かるだろう。すると、災の記憶を失った生還者として日本の合法的な身分をもらった。信川さんはなかなか地元の名望家だったし、あまり手間をしなくて、話し合ったとおりに、記憶喪失者と見られるようになった。その後またとんでもないことを聞かれて、一週間して台湾にあるとある遠くの親族関係のような身分を手に入れた。

 その時から、正真正銘なイエケイというヒトに変わった。

 面倒なことを済ませて、信川さんと一緒に大阪のその家に戻った。火災は日本を立って、第四日のことだった。火災は思ったよりずっと大変だった。家の半ばぐらいの部分が張られた青い防護ネットに覆われていた。壁にぴったりつけば薄くてきな臭い匂いがした。全ての準備が早くできたそうに見えたのに、業者が一人もいなかった。信川さんに聞くと、彼に呼び止められたなんだ。昔の家屋を取り壊して新しい家を建てる提案を断ったのも彼こそだ。まあ、それは後の決まりだった」

「すみませんが、もっと詳しく話していただけませんか」

「そのことは一応借金証文をつなげてみて、そうしたら分かりやすいよ。もし李さんが信川さんだったら、その手紙を読むと、借金証文が家の周りの地下に埋められたのを疑わなかったの」

「それも、納得できます」

「証文を掘りに行く途中に、『手紙を読んだあとで金証文が家の庭に埋められたのを疑ったことがないの』ってこともわざと聞いたけど。ただ『今は売ってしまった敷地の土を勝手に掘るものか』って笑って返した」

「すみませんが、その敷地は法律上から言えば、信川さんが所有者でしょう。あくまでも口頭の取り引きなのでしょう」

「そうだよ。だから、そのことがやっぱ日記が発見された時機と手紙の届いた時機とは不可解な繋がりがあるって思ってる。ちなみに日記の存在は信川さんが見せてくれるまでちっとも知らなかった存在だ」

「時機とは、あの、」

「最初その日記は数多くない火災を免れたものとして、そとに置かれたけど、信川さんがそれらを片付けていた時は日記の表紙に気を惹かれて、読んだ。
『つい読んでしまった。』信川さんがそう言った。
    そして、何日経って、僕の依頼した手紙が届いた。続々と出たことが信川さんの心にどんな影響をもたらしたか分からなかったけど、ホテルで聞かせてくれた運命の疑問にある因縁があるだろう。言い切ったのは信川さんは日記を読んでから、建て直すのを呼び止めたことにしたらしかった。それ以外はどう考えても単なる憶測に過ぎないんだ。
 なんの意外もなく、公園で借金証文の箱を見つけて、裁判沙汰で呂昊学(リョコウガク)に勝ったことは、そうか、知らないわけがないだろう。もう言い続ける必要はないだろう。あら、今日のように過去のことを喋ったことって久しぶりだぞ」


「よく回復していますね。失礼ながら、伊江幸子のことなら」


「そこまで首を突っ込むつもりか。言わないってことは何度も聞かれても言わないから、無意味なことをしないで。その往事は李さんが目を通したくだらないニュースと同じだ。やめろ」


 話が終わるまで、李鳴が一言も出さずに、ただ伊江圭の目をじっと見ていた。話が終わると、静かにノートを畳んで万年筆のキャップをぴんと被せた。

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