日記
仕事をうまく済ませないこともあるし、人員整理の対象となっていた人として、先日hrと話し合った。もちろん首になるということだ。また私と一緒に人員整理の対象となったもう一人はどうやらインターンシップにきた学生らしかった。ちょうど一ヶ月だった。
先月中旬管理人と一度仕事のことを話し合った。相手もこちらが速く仕事が進めていってほしいが、こちらはもともと日本語出身だし、学校で習ったことは少しも役に立たなかったし、その時まで半ヶ月過ぎた。私にはちょっと短かすぎたと思う。
こっちのことを慮ってくれて、今月の中旬までにこっちの仕事の能力を再判断して、最後の結果を伝えると約束してくれたが、口の約束だろうか、元旦を過ぎて会社に戻ったばかりに、うちの課には二人の新人が入ってきた。当日の朝にはちょうど人事課には午後相談があると伝えられた。
いくら偶然でも程度がある。多分そういうことなんだろう。案の定だったが、hrと話していたときには不安感とか悲痛感とかぜんぜんなくて、最後までまるで他人事のように見えていた。
私には確かに最善を尽くしたが、辞められても仕方がない考えもあるが、もしかするとやりたくないことから脱離できる解放感で神経が痺れたかもしれなかった。自分さえも分からなかった。
一目だけでは最後が見られることをやりたくないと思っていたことがあるが、好きになれば最後までやり続けていく動力を出せるようになるはずだ。
その仕事のことより考えたことを日本語で文字に変えるほうがずっと楽だったが、仕事は仕事、つまらないわけなんだろう。本当なのか、分からない。
近年、父さんと電話して、いざ仕事とか将来の希望の話題に触れると三十分以上しなければ終わらないようになっている。
親戚の顔のおかげで、別の課に転勤されることになった。今やっていることは部品の組み立てについてのことだ。やり方や流れなど別の作業員に倣ってすぐにできるほど簡単だ。部品にはぜんぜん実感を持っていなくて、前の仕事が進めなかったということも原因の一つとなっているが、たとえそれには詳しくわかるようになっても、恐らくその時まで頑張れない恐れがある予感が日々強がっている。多分最初から注目すべき問題点を間違えてしまっているだろう。
さっき、それに不意に肝を潰した。今まで書いたことを読み直して、仕事の失敗は自分でわざとしまった結果という可能性を自分に何度も問い詰めた。ただの妄想にすぎなかった。原因も書いたとおりだ。今なら必要があるのは仕事を辞める前には日本語に関わる仕事につく口または可能性を再確認したり、父さんのほうなら故郷に帰ったらまた相談に乗ってもらうしかないだろう。
書いているうちに、大学時代の先生の話が浮かんだ。
「先生、日本語専門で卒業したら、どんな職につけるの」
誰が聞いた質問だろうか、もう覚えていない。
先生がまず自分の過去を言ってくれた。
先生と大学時代が終わっても仲良いもう一人と一緒に上海で日本語に関する仕事に就いた。もともと一人だけ採用できると言われたが、二人誰でも立派にできてきたので二人とも採用されたが、先生が故郷のことを偲んで、いろいろ考えた末にそこを離れた。
「なら、他の人は?」
先生の知っている限りに、彼女のクラスメートたちが日本語専門に触れない仕事に就いた人数がもっと多いらしかった。
「専門は日本語だとしても、何年も使っていなかったら五十音図までも忘れたことも普通だ」
「本当なのか、信じがたい」
「皆さん、事実は事実だわ」
やはり、それを恐れている。わざと覚えることではなかったのに、あの時、先生の表情もクラスメートの表情もはっきり覚えているから、恐れないものか。
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