第三章

「常連さん?」

「えっと、平日なら、わざと彼を待つために一時間も延ばしても、まあ、やっぱ間に合えない場合が多かったけど。ところで、その人は声がちょっと四川訛りっぽい。特に酔っ払っていた時には、」

「そうなのか、って、聞いたことがあるの」

「聞いたんだよ。故郷のことを言い及んだ覚えがある。間違えなかったら、綿陽市の安県だっけ、」

「えーもしかして、あの地震だったの、」

 皺が出るほど、額の筋肉が引き締まった鐘明景が口を締めて黙り込んでしまう。

「そう、非道かったぞ」

「ちょっと見に行ってくる」鐘明景が首を後ろに捻ったりする。

「ええ、また何か注文したら、遠慮なくね、」王星翔が笑いながら、また一本つけた。

「それはもちろん、」



 鐘明景が学生たちのほうに戻ってくると、「みんな、味はどう、」


「また来たいわ」

「あたしも、」

「本当にうまいものだ。これ以上食べるとお腹が爆発する恐れがあるなあ。もう何も入れられないよ、」


 少々太そうに見えた男の人の話に続いてきたのは雷鳴のような一陣の爆笑の声だ。



「では、ちょっと休んだら帰ろう」
 口元に笑みを浮かべた鐘明景が片言で言いつけてから、料理人のところに戻ってきた。



「そうだ。はい、お金お金、ちょうど2000元、報酬だよ!報酬だよ!」

「いや、それはいけないよ!多すぎ、多すぎじゃないの、それくらい受け取るなんて、」

 絶対に受けないと言わんばかりに後ろに蹌踉めいた王星翔が憂色を帯びた顔で金を見つめている。


「王さんなら私のことがよく分かってくれているだろう、もらえ!」

 声を少し上げた鐘明景がひたすらに一重の新札をしっかりと押すと、「早めに新年おめでとうございますね」言い添えて、行ってしまった。


「みんな、帰ろう!」
「はい」
「良し」
「yeah」

    不揃いの応答の声には椅子をうつしている不揃いの音が入っている。
 二人で、三人で、散らばったチームから成っている行列が鐘明景に導かれたままにホテルへの帰路に着いた。


 お腹の欲求が満たされたほとんどの学生がいろいろなことに話し込んでいるが、何人か百里、千里も隔たっている両親と電話をしている。穎毅然も入っている。

「もしもし、そのことはあと少しでもいいの、いま外で、」

 穎毅然はもどかしげに相手からの電話を切ろうとしたところを、

「なんと言っても、最後まで聞いてくれないの。一生には一度だけのチャンスじゃないの。本当に決めているの、このまま卒業すれば、」

「へっー?なんでって聞かれても一言だけでも言い切れないんだって、忙しいから、はい、はい、分かってば、帰ってからこっち掛けなおすから、はいはい、とにかく、」穎毅然は相手の応答も待たずに切った。


 電話の内容を当てた袁章が寄ってきた。

「どうしたの、また本科編入試験の件なの、やっぱりお父さんからのだろう、」

「まあ、そうね、どうせ、やる気があまり出ていない感じだけど」

「時間なら足りるけど、進学をやめるのは本気なの」

「多分本気だと思うけど、思っていることだし、無意味かな。ところで、本科編入って、袁章、もう別の学部を志望しているだろう」

「ええ、電気自動化だ。まあ、いくら悪くても今の専門より何倍まし、かも、いや、ただ私自身の問題なんだぞ。って、日本語なら、これからどうするつもり、ほっておくの。N1の認定書も持っているのに、日本語に関する仕事につくといいなあ」

「なんで日本語でないと?」

「ほら、先生も何度も言ったこと、まだ覚えているの、同期の新卒はみんなただ2、3年も経たなかったのにほとんど忘れたってことだって、」

「日本語に関してない仕事だっけ、」

「そうだね、専門は日本語なのに、九割以上の人は日本語とまったく関係のない仕事についたって、まあまあ、インターネットでもそれぐらいのレビューもあっちこっちにあるだろう。穎毅然はどう思うの、日本語のことを、」

「まあ、暇があれば少しでも読めばいい、日系企業に入らないものでもない、うちの親戚には道がないのではないね」

「いいんじゃないの、」

 皺を寄せた愁いに湛えた目つきをした穎毅然がその笑顔に応えずに嘆いた。



「みんな、さっき言い忘れちゃった。後でちょっとみんなでスーパーに寄って、生活用品を買いに行くから。もし何か疑問があったら、付き添いの係に聞けばいいよ。彼がずっとみんなのそばにいるから。そう、もし金を持ち忘れた人が気兼ねなく係に言えばいいけど、返すことよ。って、また何かわからないところあるの、」

 鐘明景は遠くないところを指さしていて、そこは人の行き来の激しい大通りに繋がっている、近くの街灯より何倍強くて明るい光を放っているスーパーの入口だ。


「ない」鐘明景の気兼ねを消すように衆人が斉唱した。


「穎毅然、金持っているの、」

「どうしたの、」

「いいえ、ちょっと聞くだけだ。さあさあ、早く入ろう」

 穎毅然は袁章に促されて、ほかの学生の流れに混ざって流されていく。



「山本(ヤマモト)さん、こんばんは」

 鐘明景が二本の街路樹の距離に隔たった女の人を見るとすぐに、捌けない日本語で挨拶した。

「鐘(ゾン)さん、こんばんは」

 山本と呼ばれた女は繊細な両手でどっしりした袋を一旦地において、微笑みに湛えた顔で相手に礼を返した。



「穎毅然、どうしたの、ずっと鐘明景を見ている」

「さっき、日本語が聞こえた気がした」

「その二人は日本語なの、まさか、気のせいだろう」

「そうね、午後音楽を聞きすぎたかもしれない、やっぱ幻聴だぞ、いいや、やっぱ本当に日本語だと思う」

「はいはい、たとえ日本語だとしても、その女の人をどこか見たことがあるの、そういえば日本人の知り合いがあるの」

「日本人の知り合い持っていることなんて、昔は学校の非常勤の日本人の先生も足せば、」

「冗談でもほどがあるだろう、その日本に帰化した元中国人ってひと?」

「でも元国籍から言ったら、」

「いいんだよ」

「まあ、そうね」

 穎毅然は袁章の言論を否認もせずに、エスカレーターが降りるまで閉口していた。

 
 エスカレーターのローターが回るとともに、二人の距離もそろそろ開いて、女の淡い青と灰白の市松模様のオーバーの色がじわじわと穎毅然の視界から褪せていく代わりに、少しも星彩もない夜空の色と街灯の黄昏色とがオーバーに混じった混沌色を抹殺するコンサートならではのスーパーライトの輝かしさこそだ。多くの人もそれにしばらくぼんやりする。
 話し声、轆轤が白い石板を滑った摩擦の音、エスカレーターが稼働している器械の音、またちょうど聞こえるくらいの流れポップスに合わせて、買い物をしに来た買物者たちの心を踊らせる雰囲気がだんだん濃密になっている。

 

「穎毅然、買いたいもの、もう決まるの」
 袁章は空いた買い物カゴにぼんやりしている穎毅然に話しかける。

「飲み物やティシュだけで十分だ。多分、」

「ティシュなら、買わなくてもいいんじゃない、ホテルだし、」

「ただで使えるって思っているの、」

「いや、それは、じゃ、お言葉に甘えて、そういえばスリッパとかタオルとか買わないの、」

「そうね、念のため、一応必要なものを揃えたほうがいい」

「えん、」

 穎毅然と袁章と二人でほかの人にアドバイスを聞かせてもらって、いろいろ考えた末に、いっぱいなものを買ってきた。

 結局、二人がどっしりした袋を下げながら寮に帰った。

「おもおもー 重い!指が切れるほど痛いよ。あ、随分歩いたのに、まさか全然平気な顔で一歩も止まらずに帰ってしまったなんて、奴らは化物なの」
 穎毅然は激しく喘いでいる。

「確かに、もう足が棒になちゃった。言うと、また痛くなってきた。今度彼らと一緒するものか。疲れきった。明日また講演会なんて、苦しいよ、あっ、兄さん!仕事終了なの、ごめん、ごめん、見なかった。」
 袁章はすばやく手袋をベッドの下に詰めてから、左にある一番奥の二段ベッドの下のベッドに座っている人に二本のタバコを渡した。


「どうも。新しく来たの、さっきロビーを過ぎた人と同じ学校なの、」
 キノコ頭をした、黒ずくめの背広をした男の人はタバコを受け取って、礼をした。

「え、みんなは同じ学校だ」口を開いたのは袁章だ。

「そう、お二人はどうして上にしたの、下はいいんじゃないの」

「あの、その二人がただ休みで帰っているんじゃないの、」

「そうなの、てっきりやめたつもりなんだけど、」背広をした男の人が言って笑った。

「へっ?」そのメッセージびっくりした二人が見合わせて思わずに叫んだ。

「まあ、可能性があるだけだ。係の手配に従えばいい、こっちもちょっと世話焼きっぽくて。まあまあ、ちょっとテーバを見て、そろそろお風呂に入ろう」


「そいつ、もう来ているの、冗談としたのに、じゃ、そいつはいったい誰なの、」背広の男が携帯をしまって、ひたすら小声で呟きながら部屋を出た。

「もしかしてその人なの、それは偶然に過ぎるんじゃないの、」

「なんって言っているの、」
 穎毅然が一人で呟いている袁章に声をかけたが、答えてこなかった。


 ただいまテーバのレビューに瞳を凝らした袁章がページを一秒もせずに何度もリフレッシュして、何かを発見したようだ。そして携帯を掴むとさっきの男を追いかけにいった。


「どうしたの、えっ、もしかしてさっき人って、」

「間違えたかもしれないけど、やっぱり聞かないと、」
 強烈な好奇心にかかって、両目の輝いた袁章がドアをどっかと曳いて飛び出した。


「待って、」
 室外の道はホテルのたくさんのところに繋がっているので、食材や飲み物など倉庫から取り出して宴会場への運搬の役目を担っている係にでも通わなければならないそういうところだ。
 袁章はカートの車輪騒音を隠すために道路の中に敷いてある灰色のカーペットを走りぬいたばかりに、さっきの人を見かけた。

 そして、一声で、

 声は大きくないが、コックの白い服装をした痩せた一人も太く見えた一人も振り向かずに早足で廊下を通っていった。

「なに、」男の人は袁章に困った顔をする。

「あの、テーバのアカウントって、ネームを聞いてもいいの」袁章は言いながら、ディスプレイをじっくりと近く見せた。

「そうだけど、えええ、嘘だろう。あなた?」

「はい、これ、私の」袁章は携帯のスプレーを見せて、あるレビューを指差した。

「へっ!?それはそれは、偶然過ぎるんじゃないの、っていうか、本当に来たの、冗談だったつもりなんだけど」

「こちこそびっくりしてしまった。発信したところ返信してくれて、またテバなんてことを言っていたっけ。多分間違いないって思って、聞きに来た」

「わざと追いかけてきたのはそのことの続きなのか、」

「それもあるけど、気になってたまらないから」

「まあ、ちょうど明日が休日だし、今夜で話し合おう。えっと、友達の方は大丈夫なの」

「心配なく、彼も結構気になっているって思う」

「そうだけど、じゃ、お風呂に入ってくる。こっちも言葉を作るにはちょっと時間かかるから、さすがに前のことなんだけど、」

「分かった、ありがとう」

「あの、お名前は、」

「あ、陳欣明(チンシンミン)だ。袁章(ユァンザン)だっけ?」

「え、袁章だ」

「やっぱテバどおり、面白いね、本名のままでサーフィンしてるなんて、」

 陳欣明が角に消えたのを見送って、袁章は欠伸をして、歩いて寮に戻った。

「よし、」

 袁章は寮に入ったところ、高い調子で呼んで、さっきスーパーで買った3本のコーラを壁にぴったりくっついたオフイス用のようなデスクに並べた。


「なにかいいこと会ったの、結構嬉しそうだね、そうそう、その人だったの」

「それは、そうだね」

 穎毅然が携帯から視線を移してまた何かに耽る。さっきもともと少し曲がっていた眉が、今は完全に八になっている。

 突然に、驚愕の気持に満ちた声が部屋に響き渡ってしまう。

「ふしぎ!いくらなんでも偶然にも過ぎるんだよ」

「まあ、コーラの用意はなんのつもりなの」


「前の話なんだけど、最後まで聞きたいんだ」

「前の話って、今日私たちを迎えに来て、ご馳走になったって人のことなの、」

「それだけでなく、そのホテルに関わっているある噂なんだけど、鐘明景よりそっちの方に興味を持っているもんだ。それはテーバのルールに反して、削除されたものなんだよ」

「それはそれはすごくすごい話題じゃないの、今夜の話題って、」

「聞きたいの」

「もちろん」
 穎毅然は誘いに乗った同時に、早々と笑い声を漏らした袁章からのコーラを受けた。

「私の分なの」

「もちろん」

 続いて、大きな笑い声とコーラの爆音が一瞬と部屋の静かさを崩した。

 二人が今夜の話題を話し合っているうちに、さっきの男が戻ってきた。

 乱れた半分以上濡れた茶色の髪で、白いTシャツに一つものボタンをつけない黄色と黒色の市松模様のカジュアルウェアに真っ黒い9分丈パンツをした陳欣明が細目を開けて、緩く自分のベッドにゆったりと身体を下ろした。

「私にくれたの、結構考えたね。では遠慮なくもらった。さっきいろいろ考えたけど、やっぱ客観的に言うほうがいい。噂はいくつのエディションがあるから、今webに所載しているのは、いや、確かその件についての内容はもうほとんど見つけないはずだ。では、本題に入る前に一応このホテルの情況を説明しようか。
 そのホテルは十五年くらい建てられたばかりだから、施設でもいいサービスでもいい、地元はもちろん、蘇州でもなかなか評判されている。ホテルの社長は中国人で、昔日本でだいぶ儲かったそうだ。その人が帰国してすぐに不動産業界に入ったらしい。って、日本ではホテルの経営に関する知り合いがあるみたい、ホテルの経営理念さえ日本のある大手企業のホテルと似っているらしい」

「このホテルってこんなに凄いの」
「こわー」

「えっと、日本の部分もテーバのある先輩が教えてくれたんだ。この部分のことは国内のwebでは全然探せないんだけど、仕事の暇に同僚たちから少し耳にすることがある。その部分、多分本当なはずなんだね。さすが速く四つ星摘みのホテルだね。しかしそのホテルはちょっと事情で五つの星への道で折れてしまった」

「まさかインターンシップについてのことなの、いや、そんなわけがあるものか」
「そうよ、そうよ」

「まあ、最初私も君たちと同じ考えを抱いていたんだね。しかし、あんなことが出たら、折れてもおかしくないだろう」

「そのことって、」
「なんで、」

「それは昔の会食の食あたりという事件にかかっていた。まあ、なんと言ったらいいか、ああ、あった。

 事故が出る前に、このホテルは料理が高い一方で、逸品ばかりだった。今はあの時のに比べにならないようになったのは料理人が変わったにほかならないから。今でもはっきり覚えているよ。食あたりのことって。32人も参加したから。それはシャンハイ蘇州経済区再開発につながったエコの問題に巡った会議の後のことだった。参加者は多くて、口もそれぞれだった。中方の責任者はそれをとてもとても重んじていたから、料理の種類も数も何度も検討に検討を重ねていい結果になったけど、宴会が開く三日前に、急に別の料理人のチームを組み入れたいって言いつけられた」

「前にそんなことがあったことがあるの、」
「プランに不満して、反故にされてしまったの、」


「前なら、ないはずなんだった。穎、そう、穎毅然の言う事なら、反故にされるって言えないけどだ、多分。ただ料理の追加を頼まれたよ。ちょっとホテルの立場から見ればわからないものではないことなんだろう。

 このまま、飲食部の責任者が料理の長とホテルの責任者に伝えると両側も受けかねる態度を取っていた。当然なんだろう、いくら客が多くても、そんな場合では、ほかの料理人を組み入れることなんて、まして三日からの急な要求なんて、少しの準備時間も譲ってくれなかっただろう。その件は会議の責任の一人の一時の決まりだっけ、とにかくその決まりこそ大した事件になってしまった。
 ここでは、言っておいてね。あの時のホテルの長は仮に招いた料理人とは敵同士なんだよ。それに、普通の‘敵’ではないよ」

「普通の敵ではないって、どういう意味?」

「そのことを言う前に、よく覚えろ、これからのことは真偽が見分けないことだから、勝手に口外してはいけない。他人に言わずもがなのことだ」
 
 皺が寄った目も細めた陳欣明を見つめていた二人の表情もじわじわと歪むようになる。


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