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記憶整形外科

「まもなく左折です。その先、目的地付近です」
女性の機械的な声が、左手に持っていたスマートフォンから流れる。立ち止まった私は、スマホと目に映る景色を何度も見比べた。
「ここ…?」
細い道の先に、年季の入った小さな古民家が見える。

三条にある大通りを一つ外れた小さな路に、それは突如として現れた。
「←この先、カフェ&クリニック三井」
そう彫られた木の看板を見つけた私は、事前に調べておいたURLを確認する。目的地はここで間違いないようだ。
イメージしていたものとあまりに違うので、私の足は自然と止まってしまう。
12月の冷たい風が、急かすように、私の身体に突き刺さる。鞄に詰め込んだ分厚い封筒を確認して、私は意を決した。
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「すいま…せん」
重たい引き戸を恐る恐る開けた私。その目にまず入ってきたのは、穏やかな空間だった。
和を感じさせる室内に、茶褐色に塗られた木製の椅子や机、棚。そこには、たくさんの絵本が並べられている。
「いらっしゃいませ」
奥から出てきたのは、大人しそうな女性だった。見たところ30代後半で、いい奥さんの雰囲気が漂ってくる。
「お好きなところへどうぞ」
「いや、あの…違うんです。ここに記憶整形外科というのがあると聞いて…」
私の言葉を聞くと、女性はカウンターから紙とペンを取り出した。
「患者様ですね。ではまずこちらに記入をお願いいたします」
女性は私に、A4サイズの用紙に渡した。そこには、病院で扱う問診票さながらの質問がたくさん並べられている。
「プライベートなことですので、記入したくない場合はしなくて結構ですが、カウンセリングの際に扱う情報ですので、書いていただけると幸いです」
「…わかりました」
「お好きな席で、お書きになってください」
私は一番手前の席に腰を下ろす。

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1.整形を希望する期間をお答えください。
       年 月 日〜  年 月 日

2.現在、生活に支障がある。
a.はい b.いいえ

3.整形後の記憶はどちらを希望しますか?
a.別の記憶にすり替える
b.なかったことにする

「こちら、お冷です」
私が質問に答えていると、女性がメニュー表を手にやってきた。
「あ、あの。カウンセリングはここで行うんですか…?」
「いえ。こちらを書いた後、移動していただきます。ですが当店では、カウンセリング代として何か注文していただいております」
「あぁ、じゃあ、ホットコーヒーを一つ」
「かしこまりました」
少しほっとした。これは誰にでも言える話ではない。「では、書き終えましたらお声がけください」
そういって、女性は再びカウンターの奥へ消えていった。私は再び、質問用紙を埋めていく。
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4.整形の理由をお聞かせください(任意)

彼と別れたのは、数ヶ月前だ。
原因は彼の浮気。
3年記念日のプレゼントを買いに行った時に、たまたま鉢合わせた。彼が浮気するなんて考えたことがなかったから、私の頭は一瞬で真っ白になった。
帰ってきたら何を話そう。どうやって切り出そう。
もしかしたら何かの勘違いなんじゃないか。
色々なことを考えながら、彼の帰りを待った。
でも、帰ってこなかった。
彼の棚には衣類がほとんど入っていなかった。計画的だったのが、さらに私の心をえぐったのだ。

それでも私は彼が忘れられなかった。
彼との思い出を振り返るだけで、涙がこぼれ落ちてしまう。私のほとんどを占めていた彼の存在がなくなって、私は抜け殻のような日々を過ごした。
もういっそ、全て忘れてしまいたい。
この記憶さえなければ、私はもっと楽に生きれるのに。

そんな時に見つけたのが、この記憶整形外科だった。

「これでお願いします」
「それでは、こちらへどうぞ」

私は女性の後を追い、カウンターの中へと入っていく。

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「先生、患者様がお見えです」
女性はノックしながらそう言った。ドア横の表札のようなものには「診察室」と書かれてある。数秒の沈黙の後、ドアの向こうから男性の低い声がした。
「入ってもらって」

「それでは、こちらへどうぞ」
女性はドアを開け、私を部屋に招き入れた。その光景に、私は心底驚いてしまう。
そこは本物の病院のようだった。ひとつのくすみもない白い室内、本格的な医療機器。さっきの部屋にあった木製の家具は、ひとつも見当たらなかった。
「失礼します…」
「あ、こんにちは。こっちにどうぞ」
その中にいたのは、コワモテ系男性だった。
綺麗な顔立ちだが、ロン毛で髭面。例えるなら、白衣を着たオダギリジョーといったところだろう。
「よ、よろしくお願いします」
「はいはーい。よろしくー」

先生は軽い返事で私に返した後、女性から受けとった私の問診票をサラッと読む。女性は私に一礼して、診察部屋を後にした。
「じゃあ、やっちゃいましょうか。まずはこの台に仰向けになってもらって、それからこの…」
「え、あ、あの…」
思っているものとは違い、私は戸惑ってしまう。
「はい?」
「カウンセリングとかって…」
私がそう言うと、先生はめんどくさそうな表情に変わる。
「あぁ、必要なのね。じゃあまぁうん、質問するから答えていってくれる?」
その態度があまりにも失礼で、私も腹が立った。

「小泉天音さん、27歳、身長162、体重4…」
「ちょっと」
「あぁ、すいませんすいません」
笑って誤魔化す男に、私のイライラはだんだん募っていく。

「整形希望年月は2018年10月〜2021年の8月か。結構行きますね。内容は元彼との交際期間。生活に支障あり、記憶は消去を希望か…」
「あの、大体の予算とかわかりませんかね…」
私は、一番気になるところを聞いてみた。
レビューには、とても良いという声が多かったが、値段のことは一切書かれていなかった。
「あー、僕あんまりそういうのわかんないですよね」
「…は?」
無意識に出た言葉だった。
「会計は妻がやってるもんで、僕はわかんないです」
その言葉が私の怒りを最高潮まで引き上げ、わたしは鞄の中にある封筒を叩きつけた。
「あの、ここに300万円入ってるんですよ。私が1年貯めたお金です。それぐらい本気でお願いしにきてるんですよ。そちらは機械に頼るのか知りませんが、もうちょっと真面目にできませんか?」
「…あぁ、すみません。ちゃんとやります…」
男は私に頭を下げた。

「それじゃあ、消したい理由を詳しくお伺いできますか?」
男が問診票を見ながら聞いてくる。
「いや、そこに書いてあるでし…」
「私が知りたいのはここだけです。他の質問はほとんど関係ありませんが、ここだけはしっかりと聞いておかなければいけません」
男の顔が急に真面目な顔つきになったので、私はここに至った経緯を話した。まだ少し心のうちに怒りを残っていたせいか、話していると、だんだん腹が立ってくる。
男は私の話を聞いて、何度も質問を投げかけてきた。

「浮気が発覚する前から、彼に不満は持っていましたか?」
「…ありました。彼とは少しお金への価値観があっていなかったんです」

「一番最初に思いつく彼との思い出は、楽しい思い出ですか?辛い思い出ですか?」
「…辛いというか、嫌な思い出ですね」

「今彼があなたの家に帰ってきて、泣きついてきたらどうしますか?」
「無理に決まってます」

男は何個も私に質問を投げかけた。
その顔があまりに真剣なものだから、私にも熱が入ってしまう。

「それでは、最後の質問です。あなたは今、それを何で解消していますか?」
「…やけ酒ですかね。記憶がなくなるまで飲んでます」
「そうですか。ありがとうございました」

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「それじゃあ、これでカウンセリングは終了です。それで次、治療方法の説明なんですけど、その前にひとつよろしいですか?」
「…はい」
「このくらいの長い期間だと、300万円では足りません」
衝撃的な言葉だった。
「…嘘でしょ?」
「いえ、本当です。これだと消せるのは…せいぜい最初の一年といったところでしょうか」
先生の言葉に、私は絶望した。ここが最後の頼みの綱だと思ってきたのに。これで、楽に生活できると思ったのに。
「そうですか…。わかりました。わざわざありがとうございました」
私が席を立とうとした時、先生は私を呼び止めた。
「小泉さん」
私は振り返る。
「まずは、小泉さんに失礼な態度をとってしまい誠に申し訳ありませんでした」
丁寧な言葉で、先生は頭を下げた。
「実は、あれもカウンセリングの一部でした」
「…どういうことですか?」

「人間の本当の性格や感情は、怒った時に一番よく見えると言われています。小泉さんにとって、記憶を消すことが本当に重要なのか見極めさせていただいていました。誠に申し訳ございません」

「…そ、そうなんですか」

「そして小泉さん、あなたはそんな300万を使って記憶を消さなくても、ちゃんと立ち直れます。
私の心に、光が刺した気がした。

〜〜〜〜

「小泉さんは、彼を忘れられないのではなく『あの時の自分』が忘れられないのだと思います」
「…どういうことですか?」
「思い出というのは、彼を思い出すこともそうですが、昔の自分も思い出すことになります。あなたは無意識に、今の自分と昔の自分を比べてしまっているのだと思います」

先生の言葉に私は反論しようとした。
でも言葉より先に、目から涙がこぼれ落ちた。

「小泉さん、もうやけ酒はやめましょう。今のあなたは理想とかけ離れているかもしれない。でも、今のあなたは毎日をちゃんと生きている。それの何がダメなんですか」

私はずっと、泣きたかったのかもしれない。
先生の言葉を、ずっとどこかで待っていたのかもしれない。

「思い出を忘れる必要はありません。でも、もう少しじぶんを愛してあげてはどうでしょうか?これが私の診断結果と、薬です」

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「ありがとうございました」
小泉さんは、晴れた笑顔で頭を下げた。
「主人が、失礼を言って申し訳ありませんでした」
私も頭を下げ返す。

「最初のカウンセリング代も、レビューに値段が書かれていなかったのも、そういうことだったんですね」
「嘘をついてしまい申し訳ありません」
私はもう一度頭を下げる。
「嘘だなんてとんでもない、記憶は消えないけど、とっても楽になりました」
彼女は綺麗な顔で笑う。

「奥さん、羨ましいですね」
彼女は言った。
「え?」
「あんな優しい旦那さん、私もほしいです」

彼女はそう言い、とびきりの笑顔で店を出ていった。

〜〜〜〜〜

「入るよ」
「あぁ」
私は、診察室のドアを開ける。

「小泉さん、とっても満足して帰っていったよ」
「そうか。じゃあもう帰ってくることもなさそうだな」
「どうだろうね」
夫は、無愛想な顔をみせた。

「普通『人生相談』だって言ってにやればいいのに」
「それじゃ、客が集まらない」
「診察代は取らないのに?」
「こっちじゃない。古民家カフェの経営がだよ」
彼は2年前、私の夢だった古民家カフェをプレゼントしてくれた。

「そうだったね。ありがとう」

向こうで、ドアが開く音がした。

「お客様だ。行ってくるね」
「あぁ」

私は診察室を出ていった。

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表題曲:   bye by me/vaundy

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