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初恋の瞳

瞳惚れ/Vaundy

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「恋は盲目」
「瞳を奪われる」
これらが、恋愛におけるある特定の状況を表現する常套句だというのは、ほとんどの人が知っている事実だ。

しかしそれはあくまで「比喩」としての役目でしかなく、実際に視界が遮られることはないし、誰かから眼球を強引に引き裂かれることもない。
これも周知の事実だ。

僕だってそう思っていた。
あの出来事が起きる前までは。

これは、僕の初恋の話である。
13歳。恥ずかしいというわけでもないけれど、僕の初恋は人よりも少し遅かったように思える。
彼女を見たのは、あの一回きりだったけれど、僕はまだあの衝撃を忘れられない。
13年間なんのさざめきもなく、錆び付いていた心が突然音を立てて動いたのだから、その驚きは今までのなによりも大きかった。
でもまさか、彼女に本当に瞳を奪われ、数秒間盲目を経験することになるとは、全く思っていなかった。

この物語をどう捉えるかは、読者本人の見解に委ねたいと思う。僕の「作り話」として読んでもらうもよし、自分にも起こり得る話かもしれないと、重ねてもらうもよし。自由だ。

あれは今から、十年ほど前のこと。
僕がまだ眼鏡のポッチャリで、卓球部に所属していた頃の話だ。

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あの日、僕は最後尾をダラダラと走っていた。
照りつける太陽に、僕は耳から溶け出してしまいそうだった。

脂肪を燃やしてくれないかな。
そんなことを考えているから最後尾なんだろうけれど、とにかく僕は走るのが大嫌いだった。持久走なんかは特にだ。

「外周」
学校の外を何周も走るあの、地獄の練習。
卓球部に最も意味のないあの練習。
学校の外は緑が多い。するとなにが起こるか。
虫が出る。僕は虫も大嫌いだった。
吹き出る汗と、揺れるぜい肉。
短い足幅、重い足。
見慣れすぎて、それすら愛おしく見えてきた。

トップの松下に、3回目の周回遅れをお見舞いされて、ようやく我に返った。
松下は転校生だ。元サッカー部だったが、うちはかなり厳しいチームだった。ためにならない練習は嫌だからという理由で、卓球部に入ったらしい。ぼくも同じ理由だ。なのに、おかしい。
ここまで差がつくのか。

彼の後ろ姿はどんどん小さくなっていき、やがて突き当たりで左方向へと消えていった。後ろをみやるが、彼を追ってくるものはいない。
シメた。僕は右方向へと進路を進める。

僕には避難場所があった。
外周コースをそれたところにある高い橋。僕はそこで歩をやめ、柵にもたれかかる。そして交差する歩道を見下ろす。
何十分、こうやってただひとの動きを観察するのが僕の楽しみでもあった。
どんな格好をしていて、どんな表情で歩いているのか。そうやってひとを観察するのが大好きだった。

その時、見知らぬ制服を着た女の子が向こうから歩いてきた。彼女はなにやら携帯を両手で握りしめ、画面を注視している。
彼女がだんだんと近づいてくる。
彼女の顔はしっかりとは見えない。今思えばその時から僕は彼女に夢中だったのだろうけど、その時は「人に興味がある」という中の一対象者でしかなかった。

彼女はどこかを探しているようだった。制服もどこか遠くからきたような、田舎者の匂いがする。

その時、耳元でプーンと音がした。
「うわっ!」
思わず大きな声を出し、頭を上下左右に振って、蚊を威嚇する。

我に返った。あぁそうだ。彼女を見失ってしまう。僕はすぐに視線を戻す。
その瞬間、目があった。
彼女が顔を上げ、下から僕を見上げている。
「…?」

彼女は僕を見て笑った。優しい笑みだった。
そしてその瞬間、僕の視界はブレーカーが落ちたように一瞬、暗くなった。
本当になにも見えなくなった。
こんなにも簡単に、あっけなく。

あまりの出来事に、僕は数秒間もがいた。
目を開けようとしても、開けられない。
僕の脳裏には、彼女の笑った顔が反芻している。
蚊がもう一度僕を襲撃しにきたことも相まって、
僕が次に視界を取り戻したのは、それから数秒のことだ。突然視界が明るくなった。
僕は数秒前のことを思い出す。そうだ。
僕は橋を見下ろす。しかし、彼女の姿はなかった。

僕の脳裏には、ただあの子が優しく微笑むシーンが何度も何度も再生されている。
僕の身体に大きな電圧がかかったように、指先が震え、足が勝手に走り出した。
すぐさま、橋の下へと降りていった。
あの時の僕は、おそらく松下より速かったはずだ。
それでも彼女を見つけることはできなかった。

ようやく、諦めのついた僕は橋の上へと戻る。
そして、また驚いた。
橋の上からの景色が、こんなにも輝いて見えたのは初めてだった。
まるで、瞳を交換したみたいに。

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今更、なんでこんな話を書こうと思ったか。
別に初恋を思い出したかったからじゃない。
偶然、松下に会ったことがきっかけだ。

「それ、多分俺の彼女だわ」

なんだ。やっぱりだ。
その時なぜか、僕は笑えた。
彼女は転校したての松下のもとに会いにきていたらしい。
やっぱり松下は、僕の3周先を走っていたんだ。
彼女とは中3の時に別れたらしく、行方は知らない。

「よく覚えてるなそんなこと。俺も忘れてたのに」

そりゃそうだ。初恋の人を忘れる大バカ者はそういない。

もし彼女にもう一度会えたら、聞いてみたい。
あの時奪った僕の瞳は、まだ持っていますか?と。

僕が体験した、ウソのようでホントの話。
これが事実であるかそうでないかは、僕自身ももうわからない。
でも、僕は信じたい。
本当に瞳を奪われてしまうような、そんな衝撃的な恋があるということを。

おわり。

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