「ひきつれ」(1600字)

視界が燃えていた。夢なのに私は炎の熱さを感じていた。声を出してはいけない気がした。更に炎が近づく。我慢が限界を超え私は泣き叫んだ。
自分の声で目が覚めた。パジャマが汗で濡れている。胸の谷間までグッショリになった。またか。もう何回同じ夢を見ただろう。
のどが渇いていた。ベッドから降り部屋に備え付けのキッチンの蛇口をひねる。コップに水を汲み、立ったまま飲み干した。
火事にあい両親を失ったのは本当のことだ。1歳だった私は全く覚えていない。それなのに私は何度も夢の中で焼かれた。
振り返り枕元の時計を見た。夜中の3時過ぎだ。火事もこのくらいの時間だったと里親の叔母から聞いたことがあった。
まだ出勤までは時間がある。私はもう一度ベッドに潜り込んだ。

駅のトイレで手を洗う。仕事は定時で終えた。今から彼の家に行く予定だった。目の前の鏡が私の顔を映し出した。鏡には、皮膚がただれ目のほとんどが塞がったお化けが写っていた。私は自分自身が写ったその鏡を割ってしまいたい衝動に駆られた。その衝動を抑え込み、ハンカチで手を拭きながらトイレを出る。押さえつけた感情で肩が震えているのがわかる。いつまでも自分の顔に慣れることはなかった。
私は改札を出た。

私が愛されることなんてあるのだろうか。こんな私に愛してると言ってくれる人もいた。私はその言葉を信じることはできなかった。いつでも深い関係になる前にこちらから別れを切り出すことになる。
付き合っている間は自宅には鏡を置かなかった。別れると鏡を買う。それは自分への戒めだった。今、自宅に鏡はない。
今の彼とは付き合って半年になる。彼は全盲者だ。目が見えない彼になら、もしかしたら心を許すことができるかもしれない。私は都合のいい女なのだろうか。
初めての道に迷ったが、彼のマンションには10分程で着いた。私はインターホンを押した。

インターホンが鳴った。僕は返事をしてオートロックを開けた。
彼女は今日、初めて家に来る。彼女の誕生日に、僕がご飯を作る約束をしたのだ。
僕は生まれつきの全盲だ。指が目の代わりをしてくれる。
付き合ってから半年経つが彼女は僕に顔を触らせなかった。一度理由を聞いてみたことがある。答えは「私は醜いから」だった。見た目の美しさなんて僕にとって何の意味も持たない。何度も彼女に言ったのだが受けいれては貰えなかった。

ドアにノックの音がした。僕は部屋の玄関まで行きドアを開けた。
彼女の為に僕はパスタを作った。自分の家でなら目の不自由な僕だってパスタくらい作ることができる。麺を茹でて炒めた野菜とトマトソースで絡める。簡単なもんだ。サラダを添えてワインも開けよう。折角の彼女の誕生日だ。ワインは少し張り込んだ。なに、彼女が泊まっていったって構わない。

ワインを飲みすぎたせいか、彼女はテーブルに突っ伏して眠ってしまったようだ。
眠っている彼女を僕のベッドに運ぶ。彼女の体が酔いで火照っているのが手から伝わってきた。2度声を掛けたが、彼女は全く起きなかった。きっと今なら顔を触っても気がつかないだろう。
僕は5分程自問自答した末に、彼女との約束を破ることにした。大好きな彼女の顔を触るチャンスは、これを逃すともう来ないかもしれない。僕はベッドの頭側に立った。頭の先端から順番に指でなぞる。指は髪から生え際、額に移る。彼女の肌は普通とは違っていた。予想もつかないところで隆起し僕の指に刺激を与え続けた。起こさないように慎重に指を滑らせる。まぶたは腫れ、半分塞がっている。肌に毛穴はなく眉毛もまつ毛もない。鼻はただれ口はねじくれていた。指先から入ってくる情報はいたるところにある彼女の歪みを伝えた。
指先の刺激に不快さは感じない。それどころか僕の指先から彼女の人生が入ってくる気がした。僕は自分の、見えない目に涙が溜まっているのを感じた。

ぼくは彼女が起きるのを待っている。伝えたいことがあるのだ。

(キャプロア出版刊週刊キャプロア出版第11号「喪失と再生」編収録)

#小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?