スポットライト(1600字)

学園祭の看板を横目で見ながら車で校門前を通り過ぎた。もう終了する時間のせいか、夕焼けが残る景色には人の姿はない。敷地のフェンスを越え、1本目の角を曲がって車を停める。娘と待ち合わせだった。
本当なら娘は学園祭終了後に後夜祭の予定だったのだが、娘から後夜祭には出ずに帰るからと妻に連絡があった。何かあったな。わたしは車で迎えに行くと娘に伝えた。

車の時計を確認する。娘との待ち合わせまではまだ10分ほどある。ラジオのボリュームを下げた。わたしは2ヶ月前のできごとを思い出していた。

仕事から帰ると、妻と娘は食事を済ませていた。この時間いつもなら娘はリビングのソファにだらしない格好で寝転び、くだらない番組で笑っている。
今夜は姿が見えない。わたしは上着を脱ぎ椅子の背にかけた。ネクタイも外し上着の上に置く。ダイニングのイスに腰かけ妻が出してくれた缶ビールを開ける。ビールをグラスに注いだ。泡が少し入り過ぎた。口でお出迎えする。
グラスをテーブルに置いた。ひと呼吸置いてテーブルの娘の席に目で合図した。
「なんか、有った?」
妻が電子レンジで温めたハンバーグを私の前に並べた。
「なんかね。役を取られたらしいわ」
「え?」
思わず声が出た。妻の顔を見た。目が見開いているのが自分でも分かる。
「役って、主役じゃなかったのか?」
妻がため息をついた。
「そうよ。なんでも、顧問の先生が産休に入って代わりの先生が来たんですって」
わたしはうつむいた。ビールの泡が消える音が、やけに大きく耳に響いた。

娘は演劇部だった。顧問の先生は毎年、卒業していく3年生を中心に配役していく考えだった。3年生の娘は、華は無いが親の私から見ても努力家だった。8人いる3年生の中から主役に指名された。役が決まってからはクラブの朝練の前にも学校に行って練習していた。夜は夜で寝る前に近所迷惑になるからと口にクッションを当てて発声練習するのが日課だった。真剣だが楽しそうな娘を見るとわたしもエネルギーを貰えた。
顧問が変わって方針が変わった。引退する3年生よりも、可能性の大きな下級生を優先すると部員全員の前で宣言したそうだ。配役を見直し主役には1年生を抜擢した。演技はまだ上手くはないが、スタイルがよく目鼻立ちがハッキリして舞台映えするらしい。
3年生は全員裏方に回る。娘は照明係をやることになった。
この仕打ちに娘と仲の良かった生徒がひとりその場で退部したそうだ。

娘の部屋のドアをノックした。こころなしか元気のない娘の返事が帰ってきた。
わたしはドア越しに声を掛けた。
「配役のこと聞いたよ。お前がよかったら、先生に掛けあおうか」
足音が近づく気配がした。ドアが薄く開いた。感情を押し殺したような声が聞こえてきた。
「そんなのやめて。かっこ悪い」
ドアが閉まった。閉まる前に、娘の泣きはらした赤い目が見えた。
娘は翌日から深夜の発声練習をやめた。

助手席の窓をノックする音が聞こえた。目を向けると娘だった。夕日は完全に落ちていた。ドアロックを開ける。娘は、後部座席のドアを開け笑顔で乗り込んできた。違和感を感じた。送り迎えをするときにはいつも助手席に座るのだが。
「お迎え、ありがとう」
冗談めかした口調はいつもと変わらないように聞こえる。
わたしは車を出した。ルームミラーで娘の顔を確認する。
「後夜祭はいいのか」
娘は窓の外を見ていた。
「うん。いいや」
自宅までは車でなら10分くらいだ。無口なわたしは、娘ともよく話す方ではない。こんな時になんて言ってやればいいのだろう。ラジオから流れる曲が車内の隙間を埋めてくれた。
後ろから、小さく絞り出すような声が聞こえてきた。
「出たかったなあ」
わたしはラジオのボリュームをひと目盛り上げ、聞こえなかったフリをした。わたしの背中の肌に、娘が小刻みに震えているのが伝わってきた。わたしは振り返りたい気持ちを抑え、フロントガラスの向こうをにらみつけた。

(キャプロア出版刊週刊キャプロア出版第12号「夢」編収録)

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