マジョリティの心理(1600字)

電話が鳴った。男が出ると警察からだった。電話は行方不明だった弟の死を告げた。
男は搬送先の病院に行く旨を受話器越しに伝え電話を切った。

深夜だ。道は空いていた。車で走りながら男は高校卒業と同時に家出した弟を思い出していた。10年前だ。そんな弟と地元で再会することになるとは。男の口からため息が出た。

翌日、男は弟が生前住んでいた部屋へ向かった。警察から聞いた住所は雑居ビルだった。
男は階段の手前でビルを見上げた。手提げ鞄からメモを取り出し住所を確認する。年月を感じさせるビルだ。壁の塗装は至る所で剥げ壁にひび割れが目立つ。男はもう一度鞄の中を見、頷いた。
管理人室で鍵を受け取り部屋に向かう。階段で2階に上がった。階段から二つ目が弟の部屋だ。鍵をドアノブに差し込む。ドアノブごと鍵を左に捻りドアを押し開けた。閉め切った部屋の空気が鼻をつく。男は鼻を抑え部屋に入った。床はピータイル張りで靴を脱ぐ境界は無いようだ。土足だったのだろう。その証拠に部屋の奥の簡易ベッドの傍に履き古した革靴とスリッパが一足ずつ置いてある。
ベッドの向こうの窓から日が差し込んで来ていた。照明の必要は無さそうだ。
男は部屋を見回した。8畳くらいだろうか。一人暮らしと警察からは聞いていた。家具が少ない。服はベッドの上に脱ぎ散らかされているものだけのようだ。ベッド以外には小さな冷蔵庫だけだ。
「いったいどんな生活してたんだよ」
男は呟いた。
頭を掻き、もう一度部屋を見回す。ひと呼吸置き呼びかけるように話しかけた。
「いるんだろ?」
男の声は姿は見えないが誰かいることを確信している調子だった。
男は昨日病院で見た弟の死体を脳裏に浮かべた。10年経ってはいたが昔の面影はあった。弟は驚いたように目を見開いていた。開いた口の中の大きな傷が目につく。男はそれが何を意味するか知っていた。それは寄生が失敗した印だった。

部屋の空気が男の前で凝縮するのが分かった。白いモヤに変わる。
モヤは人の形を作ろうとしているように見えた。男は苦笑いした。
「いいよ。そのままで」
モヤはガラスをこすり合わせたような鳴き声を上げた。弟に寄生しようとしたのはこいつだろう。男は鞄の中から手のひらサイズの蓋つきガラス瓶を取り出した。
「失敗したんだな」
瓶の蓋をあける。モヤは瓶の中に吸い込まれた。そのまま蓋を閉める。
男は瓶を顔の高さに持ち上げ入ったモヤを見つめた。男の目の端に青い光が見えた。

モヤはなぜ人間に寄生するのだろう。どこからきたのか。答えは出ていなかった。モヤは口から入り人の体に寄生する。人は寄生されることで身体能力の10%程がアップする。モヤが寄生することによるマイナス要素は今のところ見つかっていない。男の弟のように失敗することもあるが0.01%以下だ。だいいちマイナス要因があっても発表できないだろう。既に人口の過半数は寄生されているのだ。見分け方は簡単だ。寄生者は左目の白目に青い光点ができる。
3年前まだ男の目に青い点はなかった。当時、男と友人との話題は、寄生された者をどうやって隔離するかだった。今はどうやって寄生者を増やすかが話題の中心だ。現金なものだ。

男は家に着いた。玄関を上がり上着を脱ぎながら妻にモヤを持って帰ったことを告げた。妻は食卓の上にモヤの入った瓶を置いた。瓶と、リビングでゲームに夢中の息子を交互に見た。
「良かった。手に入れてくれて。だって子どものうちの方が抵抗反応が少ないらしいのよ。」
妻の左目の青い点が光を増したように見えた。男は目を伏せた。
「しかし、本当にこれでいいのだろうか」
男と妻の間では何度も話し合い結論は出たはずだった。妻の唇が笑みの形に歪む。
「息子のクラス、寄生されてないの生徒40人で5人だけですって。かわいそうじゃない?」
男は黙り込んだ。口はへの字に結ばれている。
妻は瓶を手に持った。うっとりとした目を瓶に向ける。蓋に手をかけ、ゆっくりと回した。

(キャプロア出版刊週刊キャプロア出版第10号「秘密」編収録)
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