一番すきな景色はどこか教えて。

私の住んでいるマンションの駐車場出入り口の道に、花が置いてある。車道と歩道の境目に柵があって、 そこに花束が設置されている。一つではなく、いくつか飾ってある。それはもう、何年も前からいつも置いてある。その花に意識が向いたのは、1年ぐらい前なのだが、そういえば、ここにずっと花が置いてあるなと気づいた。最初見たときは、あ〜、誰かがここで亡くなったんだなとぼんやりと思った。

その花が気になったので、家族にその話をしてみると、ずっと前から置いてあるとのこと。生花ではなく、造花だということを教えてもらった。きっと、子供がその近くで交通事故で亡くなったのだろう。 そして、それを忘れないために月命日には、毎回、新しい造花をそこに置いて、その子を弔っているの だ。そんな想像が頭の中で膨らんだ。

それにしても、きっと事故はずっと前のことなのに、いつまで続けるんだろう。それをみるたびに、そ こで死んだであろう誰かのことを思ってしまう。もうやめてほしいけど、誰がやっていることなのか分からないので、お願いすることもできない。同じところに長く住むとはそういうことだ。何も思い出は ない場所に意味がやどる。

この街にやってきて、長く生きてきたんだということを実感する。なんでもない道に、いろんな思い出が出来た。きっとこれからも家の前を通るたびに同じことを思うだろう。


最近、一番すきな景色はどこかという雑談をした。いろんなところを旅して美しい景色を見てきた。で も、もう一度行きたいかと聞かれると、どこもそれほどでもないという気がする。すきな景色って思い出がセットになっている気がする。誰と行ったか、どうやって行ったか、たどり着くまでにどんな出会いがあって、何を思ったのか。それをひっくるめてすきな景色になるのかもしれない。

まあ結局、近所の景色がすきだな。ほとんど毎日見てる景色が、毎日見てることによって、愛着が湧いてきたし、四季折々の表情があって飽きない。
私は犬を飼っていた。そう、もう亡くなって数年経つ。犬のことは大好きだったけど、あんまり散歩に連れて行かなかった。近所の景色の中に、犬は出てこない。一人でいる時のことしか思い出させない。

だから、あの道に置かれた誰かが飾ってくれた花をみるたびに、私は私の犬のことを思い出すね。 散歩にあまり連れて行かなくてごめんね。それでも大好きだったよ。君がいないと私は寂しいよ。長生きしてくれてありがとう。

そして、知らない誰か、花を置いてくれてありがとう。

#キナリ杯

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