清志郎さんという神clip

清志郎さんという神

軽々しくこういう言葉を発するのはよくないかもしれないが、忌野清志郎(以下すべて敬称略)は私にとって神だ。

1982年、田舎の中学生の私はTVを見て「何だこの人は」と思った。
坂本龍一とのユニットで「い・け・な・いルージュマジック」を歌う彼は、独特の声で派手なメイクと原色の衣装、髪は立ち、歌いながら垂直にジャンプする。坂本龍一と濃厚なキスを繰り返す。放送禁止用語を叫び、口内で噛んでいるガムをTVカメラに向かって吐く。

歌詞の内容も攻撃的で乱暴な表現とびっくりするほど純朴な言葉とが並ぶ。
そのうちわかった。
この人が悪態をつくのは自分の純粋さを隠すためなんだ。

コミュ障で内気で視野狭窄で「マンガは高野文子と大島弓子、音楽はYMOとRCサクセションと矢野顕子と戸川純(それ以外はクソ)」だった中二病の私はクラス内に友達がいなかった。当然だ。自分だってそんな奴は面倒くさいので敬遠しそうだよ。

高校生の時に「トランジスタ・ラジオ」を知った。

苦手な科目の授業中、当時所属していた児童文学班の部室に逃げ込み内側から鍵をかけて漫画雑誌の「花とゆめ」を読みふけっていた自分にとって、「授業をサボって屋上でタバコを吸いながらラジオを聞いている」歌詞の中の男の子は「自分と同じような人が世の中にいるんだ」と救われた気がした。

2009年5月2日に逝去した彼の葬儀は一週間後「青山ロックンロール・ショー」と題され青山葬儀所で行われた。
「一般の人も参列OK」という情報だったが「自分のような中途半端なファンが行っていいものか」と当日まで悩んだ。しかしとりあえず勇気を出して葬儀当日の13時頃、青山葬儀所最寄り駅の乃木坂駅まで行った。地上に上がるとファンと思われる自分と同年代の人たちがどんどん集っていた。

警備員さんの誘導で、小さな駐車場のような場所に集められ、参列の順番待ちをした。青山葬儀所周辺をぐるっと回り会場に入れたのは18時30分頃で、結局5時間半並んだ。お天気のいい日で、緑がまぶしかった。
葬儀所内では「ファンからの贈りもの」が流れ、彼の描いたキャラクターのヒトハタウサギの大きなバルーンが夜風になびいていた。参列者はファンの人たちでいっぱいで、活気があるお葬式だった。そうか。ここに集まった大勢の人たちは、みんな清志郎が好きなんだな。
当時42歳の私は翌日背中から腰が鉄板の様に固まり、体の節々が痛くて動かせなったが、でも行ってよかったと思った。

彼が宇宙船クロヌマユミコ号で彼岸へ行ってしまってから10年になる。
清志郎は自主的にもうテレビに出ることはないけれど、彼のはにかんだ笑顔は動画や写真にたくさん残っているので、いつでも見られる。
お正月に赤いコールテンのズボンをはくと少し足取りが軽くなり、気持ちが行き詰った時に「多摩蘭坂」や「JUMP」を聞くと元気が出る。
そして何よりも彼が歌う「デイドリーム・ビリーバー」を毎日のようにセブンイレブンのCMで聞くことができる。

彼はいつでも日常にちりばめられていて、私を元気にしてくれるのだ。

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