思考

夜と朝で考えることが違う。
明確に言えば大きな一本の幹は変わらないが、そこから生る枝葉が違う。

きっとコレって何か原因があるだろうと思い、インターネットで調べた。
信憑性の高い情報はなかなか得ることができないが、総じて「夜は自制心が失われる」という原因が書かれていた。

たしかにそうだ。
夜Amazonのカートに入れたモノ(コレは必要だ!と直感で入れているモノ)を、そのまま決済せずに寝る。
そうすると翌朝Amazonのカートに入っているものを見て「あぁコレは要らないな」となる。
コレはただの例であって、自分の中の事を考えるときもそうだ。
夜と朝で考えが違う。良くも悪くも朝は現実的で夜は理想的だ。

朝は朝でネガティブだ。特に出社する朝は支度が面倒だとか電車に乗るのが憂鬱だとかマイナスの考えばかり浮かんで仕方がない。
そう考えると夜はポジティブだ。髭を貯えるのもアリだなとか電車に乗って旅行にでも行こうかとか。


「自制心が失われる」ということはどういうことなのか。悪いことなのだろうか。
自制心は読んで字の如く、「自分を制する心(力)」であろう。
自分の感情や欲、そういったものを制する力は社会生活において必要不可欠なものだろう。
ただ、自分の芯としてはどうだろう。本当の感情や欲は自制心によって抑え込まれている。
夜自制心が失われるのであれば、夜考えていることが本心なのだろうか。
朝考えているのは取り繕われた心なのだろうか。


実際、考え方が異なる原因を調べようと思ってメモを取ったのが寝る前だった。
いつでも画が描けるようにと開いていたクロッキーに暗闇の中メガネも掛けず殴り書きした。
その時自分の中で「原因はこうだ」という考えはあっただろう。
翌朝この記事を書いている。自分が何を言いたかったのか何を求めているのかわからない。

自制心の働く朝の考えは外向けの考え。社会的生活を送るための考え。
自制心が失われる夜の考えは自分の内側の考え。本心だ。


そうなると難しいのが、自分の生き方を考えるときだ。
社会的生活を送るためには朝に考える必要がありそうだ。
自分に嘘をつかないためには夜に考える必要がある。

朝考えていることのほうが健康的で精神面も安定する。ただ楽しくはない。事務的だ。
夜考えることは長くは続かない。ただ楽しい。欲望を満たすからだ。


こうやって考えを文字にしていくと、自分の考えがぐるぐると廻って何を考えているかわからなくなる。
ただ、私の根幹として「清貧」と「ミニマリズム」が有ることに変わりはない。