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わかる人にわかってもらえればいいというのはもはや不親切なのかな。

かわいこちゃん大好きおじさんおばさん49歳です。

久々に田舎では絶滅したと思われていたギャルを見かけました。春の訪れを感じます。

ハイブランドのバッグを持って、校則ギリギリアウトくらいにカラーリングされたサラサラロングヘア。彼氏に見えるけれどたぶん彼氏じゃない男子の隣で爆笑しているギャル。
ギャルかわいい。

ギャル=かわいい の刷り込みが完璧になされている初老。
そのかわいさに手を合わせそうになります。

そもそもギャルはかわいいポイントがわかりやすい。

それも沢山ある。

少し短いスカート。
サラサラの髪。
弓形に描かれた眉毛。
つけまつげ。又はマツエク。
不釣り合いなのになんかおしゃれに見えるハイブランドバッグ。
そのハイブランドバッグにぶら下がる謎のぬいぐるみ。

セルフブランディングがしっかり出来てる。
どこを切り取ってもかわいい。
ぽっちゃりしていてもやせていてもどちらもかわいい。

見た目8割っていうのは、かわいさ美しさよりも会話の糸口が多いか少ないかではないか。と思う。

初対面で話すことが見つからない時に話のきっかけとなるわかりやすい糸口をどれだけ表面にぶら下げていられるか。

ギャルはたくさん糸口をぶら下げている。
たくさん糸口をぶら下げているギャルはフレンドリーなコが多い気もする。(女子校あがりの個人の感想)

初老。岡村ちゃん(岡村靖幸)のTシャツでは糸口が弱い。ニッチすぎるしあまりにもシャイすぎる。せめてサカナクション…

いまの世の中わかる人にわかってもらえればいいという美学はもはや不親切に値するのかもしれない。

というか、わかりずらいものは存在しないこと同義なのではとさえ思う。

わかる人にわかってもらえればいいという美学は一周まわって20年後か30年後にまた流行るかもしれない。

30年後
ワタクシのnoteがはやることを願って書いている。

っていうかギャルという言葉自体死語では。


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