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あいさつはすてき

あいさつをするという基本的なことを教わらないまま都会の大学生になってしまった。

「よいお年を!」なんて始めて言われた時には、心底驚いた。
いやもちろん、言葉としては知っていた。それまで読んだ本の中にも、観たドラマの中にもその言葉はあった。
しかし、実際に、現実で聞いたことはなく、ましてや言ったことなどなかった。
言う人にも出会ったことがなかった。

「よいお年を!」に本当にとまどって、返す言葉が出てこなかった。
本当にこんなこと言う人がいるんだ、と驚いた。

次は年明けに、「あけまして〜」もあるのではないかと予測し、準備した。
ところが、新年のあいさつは長い。
「新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
長い。
会う人会う人に言っていると、なんだか間が悪い。
結局、「おめでとう。」しか言えなかった。

ところで実家はいわゆる本家というもので、法事だなんだとよく人が来ていた。近所の人たちもしょっ中お茶やお酒を飲みに来ている家だった。

私は、総領娘で、跡継ぎはお前だと言われ続けていた。にもかかわらず、あいさつをするようには言われなかったのだ。

人はたしかに多勢集ってきたけれど、その場に顔を出すことは禁じられていたのだ。大人の話に首を突っ込むなということなのか。
こういうところも、父の考え方のわからないところだ。
あれ程跡継ぎというなら、あちこちひっぱり回すものではないのか。わからない。

日中の子守りは曽祖父母にまかされていたが、近所の家を一緒に訪れるなどということもなかった。
おそらく曽祖母には尋ねる友だちなどいなかったと思われる。

そういう環境で育ったので、同年代の他人と接することになったのは保育園にはいってからだ。
関わり方がまったくわからず、いつも制服のボタンを糸が切れるまでくるくる回していた。そんな変な子に近づいて来る子もおらず、まったく何をして過していたのやら。

社会人になってもあいかわらずあいさつべたで、きっと印象悪かったことだろう。「こんにちは」も私はうまくいえなかった。
だから、一場面一場面、こんなときにはこういうあいさつ。こんな言葉。と学んできた。

あいさつひとつで世界はあっという間に簡単になること、早く知りたかったよ。



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