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自分の一貫性

「悟りを生きる」スコット・キロビー著を読みながら、「自分感」「私感」を考察しているところですが、こういう本を読み始めるずっと前から、

自分の連続性・自分の一貫性


について疑問に思うことがありました。

40年なり50年なり、ずっと「私」は同じ人物として生きてきたと思っているけれど、夜眠りについた後、意識がリセットされていたりしないのかな?ゲームのリセットボタンを押すみたいにさ。

起きて寝るまでは、「私の一日」として私の一貫性に確信があるけれど、寝て翌朝起きたとき、前日の私と果たしてどこまで同じなのだろう?

もしかして、40年分の人生ストーリーも含んだ「この一日」だけが現実で、それ以外は過去も未来も存在しないのかもしれない。

「起きて寝る」を意識の1セット(1日)と仮定して、その意味での昨日の私=別のセットの私 は石田ゆり子だったかもしれない。
リセットされているから覚えていないだけでね。

なんてことを、40代の頃、犬のお散歩しながら考えていた時期がありました。

石田ゆり子なんて別の人格(願望含む)まで話を飛躍させてしまうと非現実的に聞こえるけれど、同じ「この自分」で40年なり50年なりやってきたとしても、昨日の自分と今日の自分のマッチ率ってどの程度か・・・

肉体だけで考えても、100%合致していないのは明白。
髪の毛もいくらか抜けているし、爪も伸びているし、ひっかき傷も前日より治癒に向かっている。

精神や思考だって、一体何%が昨日の私と一致しているのだろう?

そう考えると、「私がいる感」「自分感」「私感」「私の連続性」が曖昧になる。
そこまで盲目的に信じられる概念でもない、って気がしてくる。

実はこういうのに頼らなくてもわかることなのかもしれないね。
まあ私は好きなので読み続けますが♪


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