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傷つかない人がここにいます
以下の記事を拝読して、思ったことを記述します。
※記事の批判ではありません。まずこの点をご理解の上、読み進めていただくようお願い申し上げます。
※記事を読んだうえで、湧いた個人的な思いを記述しています。
私は現在、ほじょ犬候補生のパピーウォーカーをしている。
今回で2度目だ。
最初のパピーウォーカーは、上の写真の右側にいる兄ラブだった。
ちっちゃな頃にお預かりして1年間一緒に過ごした後、協会に送り出した。
お別れした直後は寂しくて、協会の近くに何度か行った。お散歩や訓練で外に出てきたときに偶然会えることを期待して。結果的には一度も「偶然の再会」を果たすことはできなかったが、安全な場所で元気に過ごしていることがわかっていたので、寂しくても辛いとは思わなかった。
そして1年半後、キャリアチェンジ犬として再び我が家に戻って来て今に至る。
そもそも、なぜパピーウォーカーをしたのか?をお話しすると、「先代の愛犬を亡くした」ことがきっかけだ。
彼女は14歳と7ヶ月でお空に還っていってしまった。
最期は皮膚(特に粘膜)に腫瘍ができ、青年期は21Kgあった体重が、15Kgになるまでやせ細って亡くなってしまった。
あれから6年経つが、思い出すたびに今も涙がこみあげてくる。文章だからこうして書くことができているが、声に出してお話しすることは到底できない。涙声になって語ることができなくなってしまうから。
病気で弱っていく彼女を介護しながら、少しずつお別れの心の準備をしていたはずなのに、いざその時を迎えると心が引き裂かれた。
後悔ばかりが怒涛のように押し寄せる。
私は身近な人との死別経験がないため(祖父母は私の記憶がない幼少期、または大人になって実家を出た後、心身ともに距離が遠くなった後に亡くなった)、日常生活のリアルな存在との「死別」は彼女が初めてだった。
死別がこんなにも辛いのか、と人生で初めて知った。
この時こそ、私の心は大きく傷ついた。
でも、私は犬のいない暮らしに馴染むことができなかった。
朝のお食事、定時のお散歩、気持ちの良い時間にフラっとお出かけ、夕方のお食事・・・
自分の生活にあったルーチンがごっそりと欠落した毎日は、彼女を亡くしたという心の傷をより一層浮き彫りにした。
「愛犬のいない毎日には耐えられない」
「でも死んでお別れなんてもう無理」
パピーウォーカーの情報を検索し、パピーウォーカー待機者リストに載せてもらったのは自然の流れだった。
先代の愛犬の死別から2か月後、盲導犬協会から連絡が入った。
「新たに産まれた子のパピーウォーカーをお願いできますでしょうか。」
それから2か月後、先代の愛犬との死別から4か月後に黒くてフワフワ、コロコロのパピーが我が家にやって来た。それが今の兄ラブ(キャリアチェンジ犬として出戻った)だ。
パピーとの暮らしは毎日がドタバタで、引き裂かれた心の傷をのぞき込んでいる時間もないままに過ぎていく。
「気がまぎれる」という表現は適切ではないけれど、平たくいうとそういうことだ。悲しみに沈んでいる時間が圧倒的に減った。
こういう経緯でパピーウォーカーを引き受けているので、パピーとのお別れは寂しいけれど辛くはない。
学校だって会社だって、いつかは終わりがくる。どんなに大好きな友達がいたとしても、時期がくれば卒業して別々の道に進む。それは寂しいけれど、悲しいことでも辛いことでもない。
パピーウォーカーをしていると、必ず聞かれる。
「1年でお別れなんて辛くないですか?」と。
これまでに数えきれないほど聞かれた。
毎回いちいち長々と語ることもできないので、「そうですね~」で軽く会話を終わらせることも多いけれど、本心は「生きてお別れするのは辛くない。」
むしろパピーの輝かしい未来を願って前向きな気持ちにもなる。
寂しいけれど、辛くはありません。
以上、パピーウォーカーをしている一個人の経験と思いをツラツラと書いてみました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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