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悪意と不誠実の罠について


メタルギアソリッド ピースウォーカーより。

画像に綴られている言葉はいつも大切にしている。


注意※この記事に書かれている思想・信条、及び意見や問題提起はあくまで筆者個人のものであり、言葉を引用したゲームやその製作陣の意志とは関係ありません!!


でも現実を見ると、「殴り合う手を止める」のは容易な事じゃないと思い知らされる。仮にこちらに拳を止める準備があったとしても、互いが「悪意、不誠実、疑心」を捨てない限り実現しない。それらを証明するのは困難だから、威嚇段階で解決するために国際的な絶対ルール作りが今まさに必要なんだ。ウクライナの穀物輸出もそうだし、普段から世界中が互いの交易によって生活が成り立っていて、各々得意な分野と苦手な分野を補い合って文化的な暮らしを保っていた。
しかし一部の国の身勝手で私利私欲ばかりの行動がその流れを寸断し、そのしわ寄せは真っ先に紛争当事国と不安定な後進国に来る。今までの交易で大なり小なりトラブルはあったものの、エネルギーと食糧の面で世界中の多くの人が夏/冬を生きて越えられるかどうか不安を抱える事態にまで発展している。
それは先進国とて例外ではない。全ての国が何かしらの貿易で繋がっているし、どの国もあまねくすべてを自給自足で完結出来ない。長い時間を経て世界中がお互いを必要とし、交易で支え合う世の中。小競り合いはあっても、相手を潰したり騙して優位に立とうとするのであればそれは人の道理に反する。悪意と不誠実によってもたらされた交易は受けるべきではない。受けた瞬間から己も悪意と不誠実の罠に引き込まれるからだ。

そしてその罠は立場の弱い国や貧困を抱えた国を標的にする。飢えや抵抗出来ない立場の人達を相手に「出所の怪しい生きる糧」と引き換えに金を吸い上げる。相手の弱さに漬け込み金をむしり取る行為は非常に浅はかで最低で、信用失墜に値する。「国家の品位」はもはやマイナス印象で固定されかねない。

「悪意と不誠実の罠」は別に国家間の紛争だけじゃない。身近に存在する。巷で騒がれてる某カルト宗教も「悪意と不誠実の罠」の権化じゃないか?救いを求めたつもりなのに信者は意志なき傀儡として都合よく使われる。そもそも宗教とは今を生きる者の幸せと安寧の為にあるはず。思想であり金とは無縁。
誰も証明出来ない「来世」に期待するよりも今の苦しみ・悩みとどう向き合うのか、人類普遍の苦悩を抱える全ての人々は「今」を生きている。その人の心身が満たされてなければ、他人に優しくする事や人としての「誠実さ」は発揮されず、軸を持って生きることは難しい。人の弱さに漬け込み利用するのではなく、「人の弱さを受け止め、支えて、見守る」これが本来の宗教の目的だと私は思う。宗教はいくつもある心の支えの1つに過ぎず、頼り過ぎはそれ以外の事象に盲目となる。

これがいかに危険か?立ち止まって考えてみてほしい。

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