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あの日から、1年。

1年前の今日も、よく晴れて空気が澄んでいた。珍しく早朝に電話してきた主治医。嫌な予感は的中し、その日に最後のインフォームド・コンセントを受け取り、延命措置の意向を聞かれた。その日起こった全てにことがドラマを見ているようだった。

時折「乗り越えてすごいね」とか「自分だったら耐えられない」と言われる。それは正しくもあり、間違ってもいると思う。側から見たら気丈に見えるかもしれないけれど、私は乗り越えたわけでも耐えられているわけでもない。亡くなった当初から変わらない。私はおもちが死んだという変えようはない事実は受け入れられた一方で、まだ悪い夢を見ているような感覚でいる。朝起きて、お供えした花の水を替えて手を合わせるたびに、本当にこんなに残酷なことが自分の身に起こったことなのか、正直なところあまり理解ができていない。だから見る人によっては飄々と生きているように見えるのかもしれない。

おもちを亡くしたあと、全てにおいて無気力になった。やりたかったことも、生き死にを前にすると全て陳腐に思えた。
そんな状態の私を動かしたのは、同じ思いをする人を1人でも減らしたいという思いだった。壮絶な最期だったからこそ、同じような悲しみを味わって欲しくない。予防できる方法があるからこそ、正しい情報を元に子どもを守る行動をしてほしい。その思いからツイートした。


このツイートが予想を超えて拡散されることとなり、色んな意見を目にした。あのとき私は妊娠ごく初期だったため、私の妊娠を知っていた友人はツイートが燃え盛っているなか返信している私をみて肝を冷やしていた。
私にとっては顔も知らない人が何を考え、何を言おうが、さほど気にならなかった。それがどんな内容だとしても。私の辛さなど、おもちが経験した苦しみや死を前にしたら、些細なことでしかなかった。

おもちが亡くなって以降、私たち家族が経験したような不幸を繰り返さない方法をずっと考えていた。今のところ知って予防してもらうしかないと思っていて、そのためには世間の関心を集る必要があった。亡くなった子どもについてツイートすることを不快に思った人もいるかもしれないけど、それでも予防を促すことで守れる命があるのならと思い呟き続けた。

一年経って喪があけて、世間の様相も変わってきた。今後はおもちに関する投稿は少なくなると思う。SNSに投稿することが、全てではない。これからもおもちとの思い出を胸に、大切に生きていく。

病気の子どもを育てていた親として、そして子どもを亡くした親として、私には何ができるだろうと日々自問自答している。そのうちの一つとして病気の子どもを持つ家族のキャリア支援ができないかと考えている。
私も含め、誰しも望んで病児の親になったわけではない。ある日突然病気であることが発覚し、何の準備もできていないまま病気の子どもと向き合うよう求められる。そして子どものケアをするよう強いられ、その大半は母親に求められる。おもちの病気が発覚したとき、私の心はついていかなかった。
特に悩んだのは病気の子どもを持ちつつ自分のキャリアをどう形成していくかだった。心理的なサポートは私は専門外だけれども、キャリアコンサルタントの勉強をしているからこそ、病気の子どもを持つご家族と一緒にキャリア形成を考えていけるのではないかと考えている。
これについてはまだ構想段階だし、そもそも資格取れてないし(今週末試験予定)、実際どのようなことが求められているか分からないので手探りになると思うけど、私に出来ることを提供できたらと思う。是非当事者の方や近くに病気の子どもを抱える方がいらっしゃれば、色々教えて欲しい。


いつも考えがまとまらず長文になりがちだけど、ここまで読んでくださり有難うございます。この1年、沢山の温かいメッセージに心を救われました。
人は誰しも毎日死に近付いていて、でも表面化していないから気付いてない。私は子どもを亡くして、より一層死を意識するようになりました。
今生きているこの瞬間はおもちが生きられなかった時間で、これからあとどれくらい残されているか分からないけど、自分なりに精一杯生きていこうと思っています。それが私にできる供養であるし、自分の生に意味を為すことだと思っているから。
今後とも、関わり合いを持っていただけると嬉しいです。有難うございます。

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