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続ける、

数週間前から、3行日記を書くことを始めた。

365頁あるノートの1頁は18行なので、1頁に6年分書く事ができる。1日3行なら、大変な作業ではない。続けるためにはハードルを下げた方がよいと思った。

たとえば、毎日ウォーキングを5km続けようと思っても、2日で挫折してウォーキングが嫌になるよりは、毎日1km歩く事を何年も続けた方が心身の健康にも良い気がする。それと同じでハードルを上げ過ぎてしまうと、大抵それを続けることは難しい。一時的な挑戦という意味ではハードルは高い方が良いけど、長く続けるためには低めが良いと思う。

毎日書く3行は、幸せを感じたこと、嬉しかったこと、感謝したこと、この3つを書くことに決めていた。

なぜなら、数ヶ月前、わたしは心に時間ができたら「わたしは幸せだ、感謝している、わたしはツイテいる。」と癖のように心の中でつぶやくようになっていて、その時は確かに、その時の自分の環境に対してそう思っていたからだし、多少そうではないと思った時も、そう思う事で自分の感じている世界がそういう風になると思っていた。そしてそれを続けていくうちに、もっとそういう風になっていくというのを実感したからなのだ。

これを毎日、毎日、何年も続けたら、わたしの人生はもっと幸せな方向へ向かっていくに違いない、そう確信し、わたしは毎日幸せだと思った事、嬉しかった事、感謝した事を書き残していこうと決めた。

思考は現実化されてしまうのだ。

自分が見ている世界は、自分の意識が作り出しているものに過ぎない。だから同じ景色でも、他人が見ているものと自分が見ているものは、同じではない。

逆に、愚痴や不満や、悪口、陰口、嫉妬、嘘しかない毎日を想像して欲しい。わたしは想像するだけで怖いけど、陰の波動によってそういう世界に変わってしまうのは明らかだ。

たまにそういう人と遭遇してしまうと、相手に違和感を持つ事ができる。違和感という感覚は自分を守るためにとても大事。

たまに、落ち込むことも、嫌な思いをすることもあるけど、その時は、大切な人に聞いてもらうか、瞑想をしてそれを意識から遠ざけることにしている。やったことはないけど、紙に書いて破って捨てるというのもアリだと思う。とにかく、消す。消した後、「わたしは幸せだ。大丈夫。」と強く思う。

6年後のわたしの世界が楽しみだ。

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