見出し画像

将来の夢は、何ですか。と言われたら困るなぁ

 さっそく、「将来の夢」で検索してみたところ、職業の話ばかりが出てきます。不思議ですね。
 もしかしたら、今でも学校では「将来の夢を書こう」と言いつつ、仕事の話を書くようなことがあるのでしょうか。
 いやいや、そんなことないですよ、生徒は「自転車で日本一周」って書いてますよ!ということだとしても、高校生や大学生になっても変わらずにいられるんでしょうか。

 この「将来の夢」という言葉、よくよく見れば仕事の事だなんて一言も言ってないわけですよ。もちろん立派な仕事をすることも夢のうちの一つだけど、自転車で日本一周したいとか、大きな風船に自分をくくりつけて世界一周したいとか、大量にフカヒレを食べたいとか、日本中のハナムグリを採取したいとか、ビッグボスという概念になりたい(優勝したい訳ではない)とか、私は貝になりたいとか、いろんな将来の夢をたくさん妄想することも素敵だと思います。

 だってさー、みんな仕事のためだけに生きてるわけじゃないじゃない。大人はみんなそれを知っているのに、将来の夢=仕事、なんて誘導していたらずるいし、将来の夢で仕事選びのことだけを考えていたら閉塞感を感じてしまうなぁ。
 大人は、美味しいもの食べてる瞬間とか、休みの日に行くところを考えてうっとりしている瞬間とか、満員電車に乗ったときに半自動的にスマホを取り出してる瞬間とか、そういう一つ一つの生活の時間をどうにか面白げに成り立たせることが大事だと知っているし、仕事はその中の一部分でしかない訳ですよ。

 充実した仕事があるということは何よりで、そう思えることはラッキーだし、仕事に楽しみを見出せることはとても素敵なこと。だけど、それ「だけ」がメインなはずは無く。

 夢を叶えることと楽しく生活できることはイコールでは無い。仕事だって内容だけじゃなくて、環境だったり周りの人の影響もかなりでかい訳で、そういう「仕事環境」が合わないと、せっかく夢を叶えて希望の仕事に就けたのに…これじゃない感すごい!みたいになる事だってある。そう考えると、「将来の夢」が希望どころか下手すれば呪いの言葉にだってなり得る。下手すればだけど。

 将来の夢としての仕事を追う事は全く悪くない。それが出来るという環境があることは素晴らしい。でも、それ「だけ」が価値であるようなミスリードはあってはならない。将来の夢はもっと幅を広げてたくさん考えれば良いし、仕事が全てだと捉える必要も無い。生活の上での夢があったほうが楽しい。

 仕事以外も含めた夢を、大きい夢も小さい夢も。そして今の生活や趣味を大切に。それが結果的に仕事にも活きるんじゃないかって思います。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?