フランス革命 2

画像1 バスチーユ陥落の日は革命の勝利の日だ。しかし国王も民衆の意向を組んで色々な事をしようとしたが時は既に遅し。熱狂的になった民衆はバスチーユを権力の象徴として(大きな牢獄ですが)破壊した。そうなるまでには色々な、実に様々な事があった。ひとりがやったというより本当に様々な事があったのが当時の風俗画や記録で残っているので分かる。風俗画は見たままの事実を描いたり、想像で描いた物が一緒に載っていた。*本の折れ線は私がやった痕です。重要だと思うページに栞が良いのですが自分の本はこのようにしてしまいます。すみません…
画像2 国王を馬鹿にしている風刺画。貴族や権力者を小馬鹿にする絵はこの頃に始まったのでしょうか?
画像3 マリー・アントワネットは誰もXしたりしていないのに悪女として描かれている絵が多い。需要が多かったのだろうか、ポルノ風淫乱あばずれのような絵もあるがここにはこの頁だけを置きます。政略結婚で他国からひとりで嫁入りした女性で、道徳に欠けた面はあっただろうがそれは貴族達にも当たり前にあったし他の階級にもあっただろう。彼女が言ったという「パンが無ければケーキを食べれば良いのよ」という話はフィクションの小説で書かれた台詞でしかも違う貴族が言った台詞らしい。ここでそれを細かく出す労力が今無いので知りたい方は調べて下さい

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