見出し画像

◆実力主義、自己責任など、如何なる思想もそれが通用する環境で生まれたもの

 なんとなくうまくいってしまった人、何やってもうまくいかない人、能力的には大差ない人々が、行く先々で不遇に見舞われたり、予期せぬ幸運に恵まれたりする。今はそういう時代なのではなかろうか。

 ハッキリ言って、昭和の高度成長期の波に乗って生きてこれた人たちは、自身の努力のたまもの、実力であると、自身の経験や実績を揚々と語る傾向にあるけれども、氷河期世代なんかはリーマンショックや災害、政府の迷走、非正規雇用制度などの問題に直面し、ずっと景気低迷の中を生きることを強いられ続けている。

 その上で、実力がどうのとか自己責任だとかいう昭和的精神論で語られていい気分がする人はいないんじゃないのかというのが、時代の変化や社会の置かれている実態を踏まえた上での私の率直な感想である。

 時代のせいにしても問題は解決しないのは確かだけれども、個人ではどうしようもない現代ならではのあらゆる影響を受けていることを考えれば、実力主義だったり自己責任だったりといった論理は、実態を無視した暴論であると言わざるを得ない。

 妥協や諦めも踏まえた上で、如何に無理せず生きていくかを考えることのほうがよっぽど理に適った考え方であると言える。時代の変化によってその部分は上書きしていくべきことであって、いつまでも普遍的な論理だと錯覚したまま精神論を語るべきではない。かつてはできたことも今となっては無理になっていることがあるわけだから、たまたま成功した人たちを参考にしてマネすべきではない。

 仮想通貨取引所の破綻で億単位の資金を喪失した人たちが大勢いるようだけれども、株式投資の歴史で起きたことは暗号資産の取引でも起こるのだと想定すべきことだったところを、民間企業も一緒になって仮想通貨を発行したりよくわかったもいないNFTに手を出す個人が急増して、とうとう大惨事が起きてしまった。消えた7兆円は戻ってくることはない。

 人が集まるところには必ず何かしらの問題が潜在する。それは、リアルの社会でも仮想空間でも同じ。大衆が同じ方向に歩みを進めている光景を見て自分もそっちに追随しようとすれば、そこは常にレッドオーシャン。常に競争を強いられる。

 競争は世の常で、勝った者が負けた者たちの上に立ち、身に余る力を手にすることがあっても文句は言えない????その考え方で転落人生を歩んでいる人たちが一体どれだけいることか。いい加減、そういう勘違いしている人たちが社会を動かすことを辞めさせないといけない。

 人間が御しきれる力には限度がある。そのことをよくわかりもせず、肩書にこだわり、年収にこだわり、資格の数にこだわり、あたかも自分が有能な人間になったように錯覚している人間たちは、身を以って経験する失敗でしか錯覚であったことに気付くことがない。

 正しい選択ばかりしようとするからそうなるんだ。

◆人が「正しいと思った選択」は、無意識のうちにそのように錯覚させられている場合が多いのだと疑う必要がある。


いただいたサポートは、今後のnoteライフ向上のために活用させていただきます!