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【#欲を断つ】かなり勘違いしていたと気付かされる欲に対する認識

 「欲求」について考えることが増えたのは、今このご時世も大いに関係があるのだろうということは一つの要因だろうと思う。

 昔、若い頃には当たり前のように食していたマクドナルドも、もう何年食べていないだろうかというほどで、よく食べていた照り焼きマックバーガー、マクドナルドで飲んでいたコーラ、それだけではなく、店内に入った時に感じる匂いや特徴的な機械音なども、今や記憶の片隅にしか残っていない。

 不思議なもので、例えばマクドナルドで言うと、車を走らせていて小腹が空いている時にあのロゴを見てしまうと食べたくなる、そういう反射的な欲求がグッと強まる。それが習慣化してしまうと、ほとんど無意識に近いレベルでその現象には逆らえなくなってしまう。これを依存と言うのだろう。

 もちろん、マクドナルドだけではなく、他の飲食店もそうだし、社会構造のあらゆる場面で、人の行動そのものが本人のその時々の意思とは無関係に誘導されてしまう作りや仕組みが見て取れる。

 これも初めて知った時は目からウロコだったんだけれども、コンビニ店の店内の陳列棚の向き、陳列されている商品やコピー機、ATM、トイレなどの配置など、それら全ては、店の売上に直結するような仕組みが施されているのだとか。

 よく言われるのは、日本人男性の平均身長、日本人女性の平均身長を基準に、店内に入ってきた客が無意識に視界に入れる高さに売れ筋の商品を陳列していて、類似商品であっても、客の進行方向に合わせてどの商品が左から並んでいるかといったところも実は計算されていたりする。

 最も驚かされたのは、コンビニに入店してから退店するまでの客が歩く経路がほぼ同じという統計は、コンビニを利用する人ならではのものであるため、その経路にどの商品を陳列しておくか、どんな掲示物を掲示しておくか、などといったことも計算されていたりする。

 消費行動というのは、自分の意思で実行しているかのように思えるが、現代ではほぼ誘導されているに等しい。客層ももちろん要素の一つではあるものの、1年、2年、5年と売上実績が積み上がっていくと、それが更なる商品取揃えトレンドに反映されるため、コンビニは「売れる商品しか仕入れない」という特徴が強い。

 ローソンならローソンの、ファミリーマートならファミリーマートの、セブンイレブンならセブンイレブンの、同業他社との差別化を図るための工夫はあるにしても、コンビニそのものの構造というのは似通った統計値から計算されて作られている。

 やっていることはほとんど同じ。売り上げに差が出る要因は、土地柄、立地、その程度の事だろうと思う。

 物事の本質や仕組み、構造に目を向けると、大変興味深くはあるものの、知れば知るほどゲンナリしてしまうようなことも少なくない。冒頭に示したマクドナルドの例はまさにそれで、まず食べ過ぎれば肥満体形になるし、味覚がバカになるし、身体に良いことはないのに、依存性が高いが故に一度ハマるとなかなか抜け出せないという性質もある。

 では、本来食べなくても生きていけるマックのハンバーガーを食べ続けてきた習慣を、どうやってキレイさっぱり断ち切れるのか。何かこれといって効果的な手段でもあるのだろうか。

 手段で言うと、特に正解があるわけではないと思う。ただね、「なければないで、その生活に慣れていく」というのが人間の生活習慣の根幹ではないかとボクは思うのね?

 例えばだけど、これまで車であちこち出かけることが当たり前の生活だったために、いろんな大手飲食チェーンで食事をすることが多かったとしても、ある時から引っ越しをして車も手放したとかいう変化が起こり、自宅周辺にはほとんど飲食店などない不便な地域だとすると、イヤでも生活習慣は変化せざるを得ないわけよ。

 習慣が変わる時というのは、住む環境が変わる時、自身の健康状態が著しく変化する時、事故に巻き込まれた時、あとは経済的な事情から生活水準がガタ落ちする時、この4つくらいではないかな。

 そこでよ、その4つ目の「経済的な事情から生活水準がガタ落ちする時」が一番問題だと思うんだよね。これはもう誰にとっても起こり得る現実だと言っても過言ではない。

 今まで毎月7万とか8万を食費に費やしていた独身の人の生活が、ある月から食費が半減した場合、かなりの苦痛を伴うと思うんだよね。どれだけのものをガマンしなければならなくなるのかを考えるだけでも相当ストレスなはず。

 でも、元々月々3万5千円の食費で生活している人が、ちょっと節約しなきゃいけないってことで2万8千円に抑えた生活に切り替えたとしても、大して苦痛にはならないのよね~って話。

 なんかさ、羽振りがよさそうに見えて生活水準も一般的な水準よりも高いような人を見て羨ましいなんて思う人たちの思考回路がどうかはわからないよ?そう思う人がいたっておかしくないんだから。

 でも、いざ、生活水準がこれまでの半分、もしくは4分の1とかに落ち込んだとしたら、そこには我慢しかない。慣れるまでにも相当時間がかかる。

 それでも、低い生活水準に慣れてしまえば、ちょっとしたことでも幸福感を感じられるようになる。

 昔さ、親からよく言われたよ。「お前たちにはお金で不自由させたことも貧乏な思いをさせたこともない。」と誇らしげに何度も同じようなことを言われた。当時は、その意味がよくわかってなかったし、なんならそれがあたかも良いことのようにさえ聞こえた。

 でも、実際は違ったんだということに気付かされたわけ。別に裕福な生活ができることが誰にとってもプラスに作用するわけではないってことに気付いたんだよね。

 お酒だってそうじゃん。毎日飲みたいだけ飲んでたら、本当のお酒の価値も美味しさも麻痺していくでしょ。おまけに、人によっては、これまで飲んでいた量では酔えなくなってしまったり。

 ほいじゃーさ、「欲求」ってなんなのよ??って改めて考えるとさ、何も満たし続けるだけが全てじゃないし、そういう生活習慣が自分にとっての幸福とも限らなくて、やっぱりちゃんと向き合わないといけないものなんだよね。

 毎日お酒を飲んでる人よりも、週1程度しか飲まない人の方が、同じお酒でも幸福度が全然違うんじゃないかな。

 欲求とは、「習慣的に満たし続けると幸福度が下がり続ける性質を持つもので、一定期間、日数を置いて周期的に満たすほうが幸福度が何倍も高まるもの」と個人的には定義したい。

 人間の感覚は、習慣的行動によって麻痺する。習慣って良いことのようで実は良いことばかりでもないことって結構あるんだよね。ジョギングもそうさ。毎朝10キロ走ってます的な人って、自ら寿命を縮めてるようなものだからね。健康のためと言いつつちょっとずつ自殺してるような習慣。

 30歳過ぎたら走らないほうがいいよ?人間は誰でも生涯の総心拍数は大体決まってるんだから。

 トレンドって言葉あるけどさ、昔からずっと疑問なんだよね。なんで人気だから自分もってなるのかなーって。スイーツやらファッションやらなんやら、いろいろあるけれども、トレンドの養分でいることが幸せだと思ってるのならそれは良いと思う。だって幸せなんだから。

 でもさ、自分の意思とは無関係に、友達に合わせたり、雑誌モデルの格好をマネしてみたりして、流行りの最先端を生きてますみたいなのって、少なくともボク自身はまるで興味がないわけ。むしろそういうのとは縁がない。

 トレンド、人気、流行り、限定、お得とかいろいろあるけれども、それらをいちいち自分と結び付けてそうと思い込むのは自分の意思ではないからね??

 こうするといいよ。人気「だから何?」、流行り「だから何?」、限定「だから何?」、お得「だから何?」って、クエスチョンを1回入れてみると、自分とはそう大して関係性がないものだなって思える時もあるから。そう思えたら、お金や時間を無駄にすることも減るから。

 これはあくまでも個人的な解釈だけど、何かしらそういう工夫をしてみないことには、手持ちのお金はどんどん吸い上げられていくよ??

 で、いつそういうことに気付くべきかってことについては、これはもう個人が人生を生きてみないことにはわからないよね。だからね、間違っても、生活水準が高いことや社会的ステータスが高いことを自分のアイデンティティに組み込んではいけないんだよってことくらいは、小さい頃から学んでおきたいことだよね。

 絶対違うから。質素な生活している人たちのほうが、ちょっとしたことで一般的な人たちよりも何倍も嬉しく思ったり美味しく感じたりしてるはずだから。

 今やバリューセットが1000円近くなってるマクドナルドだって、年1くらいで食べに行ったらめちゃくちゃ幸せになれるんじゃない??おまけに、1年で1回だけマクドナルドを食べるとしたらどのシーズンのどのメニューを食べたいか論争も面白いよね(笑)ボクは断然グラコロ派だから冬のシーズンだけどね?

 自分の欲求を他の誰かに、社会的な構造に支配されていたり操られていたりするって考えたら、なんかイヤじゃん。あー自分の意思じゃなかったのに習慣的に食べてしまってたなーなんてものがあることに気付いた途端、ボクならゲンナリする。えー、要らんかったじゃんこれ・・・って。

 食いたいだけ食う、飲みたいだけ飲む、今じゃ当たり前の食文化だよね。食べ放題いくら!飲み放題いくら!って。これが未だに売り文句にされてることには心底疑問。

 そもそもボクなんか3980円の焼き肉食べ放題があったとしても絶対に元取れないから。つまりはこういう判断のことね。それよりは、多少割高になっても滅多にないそういう時くらいは食べたいものを食べるほうがいい。

 価値は質か量か時と場合によって異なるけれども、食べたり飲んだりすることに関しては断然質だね。早い旨い安いの牛丼も悪くはないよ。なんかすき家の牛丼を2年以上食べてるユーチューバーが居たりするけれども、牛丼の価値の求め方がだいぶズレちゃってるよね。これもごくたまに食うから美味しいんじゃん。

 欲求の満たし方を工夫すれば、人生の幸福度は爆上がりします。低い生活水準で過ごしてみて気付かされることがたくさんあってすごく勉強になる。次いつ焼き肉食べるかなー。どこで食べるかなー。家でやるのもいいなー。なんてことをいろいろ考える。バカみたいだけど、なんかいいなぁーって思う。

 手に入れたいモノもそう。実際には全然使ってない、手に入れることが目的だったモノってどれだけある?手に入れちゃったら満足してしまう人って周りにいるでしょ。「持っている」ということへの優越感を満たすためだけに手に入れる人。アレもボクには縁のない価値観。

 高い家に住んで、高い車を乗り回している家庭ほど空き巣や窃盗団に狙われやすいというのもあるじゃん。金持ちそうに見える家こそ狙われる。だったら逆を言えばいいじゃん。お金はあっても質素に見える生活環境にしとけばいいじゃん。なのに、ママ友同士のマウントもあったりするから、ほんと大変よね、人付き合いって(笑)

 世間体はクソです!!(笑)自分の意思で選択して、自分の意思で行動して、自分の意思で生きて周囲から下に見られるんだったらそれはそれでいいじゃん。見下したいヤツは必ずいるんだから。それで周りが満足するんだったらマウントさせてやりな。くだらんことに付き合わされることこそ時間の無駄。

 人生の楽しみ方は、他人を参考にしている以上、絶対に見付けられないし、幸福度もずっと上がることが無い。ボクは今のところそう思っている。これでも昔よりはだいぶ価値観は変化してきたかなって思う。今となっては欲が無さすぎて逆に困っているほど。

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