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◆社会とは「光と闇の調和」で保たれている

悪事を働いた者を断罪し、
追放し、
社会から排除することこそが社会のためだとする、
行き過ぎた正義は、
更なる、
多種多様な悪を生み出すことに繋がる。

そのことを正しく認識できていれば、
現代に至るまでの社会構造の経緯にも理解が至る。

悪は裁かれるべきである。
しかし社会は、
一つ一つの悪から学び、
それらを抑制したり予防したりするために活かす必要がある。

社会におけるあらゆる悪は、
社会が生み出したものであるため、
いくら悪事を働いた者を排除し続けたとしても、
決してこの社会から悪が消え去ることはない。

犯罪の種類も時代の変化と共に増えていき、
悪事を働くほうが巧妙化すれば、
これを規制するほうも最先端の技術やスキルへと進化する。

必要悪という言葉があるように、
悪の存在あってこそ防げている災難も少なからずある。
ところが、全ての悪を極端に断罪し排除すれば、
社会は悪を規制するための情報を失うこととなり、
そのまま社会は堕落の一途を辿ることになる。

美しいものは常に、
光と闇の調和によってそのように見えるのである。

自分のことを清廉潔白な善人だと信じて疑わない者ほど、
悪から学ぼうとしない偽善者であり、
環境次第で容易に闇へ堕ちていく。

自分の中にも悪は宿っているということを、
如何に自覚しておくか。
そもそもそれが大事なことであって、
一方的に悪事を働いた者たちを叩いて吊し上げる行為は、
非常に滑稽に映る。

自分の中に宿る悪と向き合うことで、
これを表出させないための意識を保ち、
行動を慎むことが可能となる。

引き金となるのは常に己の感情である。
意識で感情を制御するのだ。
そして、世の中のあらゆる出来事から、
世の中のあらゆる人たちから、
可能な限りのことを学び得るのだ。

人生はずっと勉強だと言われる所以は、
ここにこそあるのだろう。

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