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【職場改善note有料マガジン】No.0007・・・誰が悪いのかを考えるよりも先に、目の前に広がる空気をどうやって換気するかを考えるべきではないかね?

 同じ環境に長い年月住み続けると、住めば都と言われるとおり、移ってきた当初感じていた違和感も、だんだんと慣れていき、親しみまで感じられるようになっていく。 また、風習や常識というものも、いつしか「ここではこれが風習であり、常識なのだ」と思い込むようになっていく。 人が一つところで自分の居場所を保とうとするのは至極当然。 そのために、本心では求めていない馴れ合いの人間関係であっても、自分を押し殺してその場の空気に染まりに行く。

 場の空気とは、そこにいるほとんどすべての人たちの本心や本音を間接的に、そして強力に抑え込む力を持っている。 縦社会である日本においては、黒も鶴の一声で白になるし、下の人間たちはその不本意な事実を知っていながら黙って従わなければならないという恐ろしい強制力が蔓延している。 ハッキリ言うけれども、ボクはね、そういう濁った空気の中で器用に渡り歩いている人間のことを心から尊敬することができない。 しかし、そういう生き方を望む本人の意思は、それはそれとして認める。 その上で、相反する少数派という立ち位置から「論理」をもって対峙する。

 物事の本質というのはそれぞれに一つしか存在しない。 いいかい。 ここからは心して読んでほしい。 もう一度言うと、物事の本質というのはそれぞれに一つしか存在しないのだが、人間は自分が居場所としている環境のアレコレといういろんな事情や状況の変化によって、その本質を都合の良いようにすり替えるだけでなく、あくまでもそれが本質であるのだと正当化までしてしまう。 こういう人間を相手にする時は、どんなに正論を振りかざしたところで言葉という言葉が伝わらないのだということを感じさせられてしまう。 そして、この日本という国においてはこの長い歴史の中で全国のあちこちで「正しいことを主張した人間こそ強大な力によって排除される」ということが繰り返されてきた。

 どんなに抗っても、多数派が行使する強大な力に屈することになり、その結果、命まで落とすことになった人たちだって少なくはない。 目に見えないその力の威力がどれほどかを、そうした数々の前例が多くの人たちに知らしめているのである。 どんなにおかしな場の空気でも、自分独りが正論を述べることには誰もが恐怖を感じるものなのである。 組織の体制が古ければ古いほど、本音で戦おうとする熱意ある人間でも萎縮するくらいに、空気というのは恐ろしいほどに強大なのである。

 ただし、如何に空気がそれほどに恐ろしいものであっても、唯一対抗できる種類の人間がいる。 それが「強靭な孤独力を持つ者」だ。 

※人、という字は、え~、人と人とが、お互い、え~支えあってできているわけではありません!! 一人の人間が、両足を踏ん張って大地に立っている姿の象形文字です! 人は一人で生まれ一人で生きていき一人で死んでいきます。 中学時代の友人や人間関係はこの先の人生でほとんど役には立ちましぇん! それどころか、くだらない友情と地元愛で縛り付け、自由な人生を阻害する腐った鎖でしかありましぇん!(古美門研介「リーガルハイ」より)

 一人の人間が持つ力というのは、本当に小さく非力なものだ。 だからこそ、この社会では「地位」とか「名誉」とかいうものを欲する人間たちがいて、それらを手に入れた人間の後ろにはその恩恵を受けようと多くの人たちがイエスマンとして付いていく。 逆らおうものならどんな目に遭わされるかわからないからだ。 これはお金の力など当に超えた状態を指すわけだが、だからこそ社会はブラック寄りのグレーなのである。 国家ですら純白ではない。 ならば、個人や会社組織もそうであるわけがないのである。 ましてや、司法でさえ権力に屈して不本意な判決が下されたことだってある。 冤罪により何年も何十年も牢獄に収監され続けた人だって何人もいる。 真実があやふやになるほど長きに亘って引っ張られ、最終的には証拠不十分で無罪放免になるわけだが、60代70代という年齢になって刑務所の外に出た時、彼らはどう思ったことだろう。

 場の空気に流されて今を生きている人たちというのは、リアルに自分自身がそれほどに予期せぬ事態に陥ることなど想定すらしていない。 仮に、今あなたが働いている会社があと5年も経たないうちに倒産するかもしれないという状況にあるとして、それでもあなたは大丈夫だと確信をもって働き続けることができるだろうか。 ずっとぬるま湯に浸かってきたために、水温が何度かを考えずに時間を過ごすようになってしまうと、ある日突然、自分たちが浸かってきた風呂の温度が100度に達して沸騰したとしても、そう簡単に事態を把握することは敵わず、多くの人たちがパニックに陥るのだ。 会社だけではない。 この日本だっていつ財政破綻してもおかしくないくらいに財政赤字は膨らみ続けている。 にもかかわらず、今年度の補正予算は100兆円を超えて採決された。 これのどこがおかしくないと言えるのだろうか。

 ちなみに、現在の日本の財政赤字は1000兆円を優に超えている。 平成という時代に、ボクたちが住んでいる日本という国の水温は加速的に上昇してきている。 そういう現実の中で生きていて、なぜ目先の未来を楽観視できるのか、ボクには到底理解できない。 だからと言って、金を追う気にはなれないし、世界恐慌がやってくるというのに金を貯めてどうする?という疑問すら湧いている。 世界中の人々が貧しい時に金を持っていても贅沢という贅沢を体感したからといって、きっと人間の欲は一向に満たされることはないのだろうと思う。 

 目を覚ませと訴えかけてもなかなか通じないのが現代社会ではないだろうか。 今年度より、月の残業最大45時間という義務が課せられ、これまでのように目一杯に残業手当を稼ぐことはできなくなった。 このことを嘆いている人たちは多いだろうけれど、今こそ本当の意味で働き方を改めるフェーズなのだと認識すべきではないだろうか。 本音で仕事をし、エンドユーザーに不安を与えず、喜んでもらえるような働き方ができたら、きっと仕事人生がどんなに辛いものであっても後悔することはないとボクは思う。

 これからもっと大変になる。 現役を引退していく労働者がどんどん増えていく。 若者たちの成長を待たずに、だ。 この状況が続けば、製品供給はおろか、品質保持も難しくなっていく。 不良品流出が続けば、その処理に追われ続けることになり、労働者たちは疲弊していく。 人工知能の発達による自動化社会は、なんとなくではあるが、パラレルワールドの次元の話のような気がする。 少なくとも、あと15年は過渡期が続く。 晩酌を楽しんでいる場合ではない。

 時間を自分に投じるんだ。 場の空気ばかり気にしていては、時間なんてあっという間に過ぎて行くし、人生はあっという間に終わってしまう。 それでいいというのならこんな文章なんか読んでいないはずだろう? あなたがここまで読み進めているということは、あなたの心の内で、あなた自身が「このままではいけない」と思っているから読んでいるのではないだろうか? 「あなたは自分自身を磨くためにプライベートでライフワークにしていることは何かありますか?」と質問されてその場にいる人間たちが沈黙する、そんな調子ではせっかくの土曜日に7時間もの時間を集会に費やす意味がない。 好きにすればいい。 その程度の時間的価値で良いと言うのであればね。 ただ、ボクまで一緒にしないでいただきたいのだ。 彼らの時間的価値とボクの時間的価値は違うと断言する。

 あなたを縛りに縛ろうとする腐った鎖は、あなたが自分の意思で断ち切らない限り、この先の人生もずっと縛られ続けることになり、きっとこの世を去る時に後悔することになる。 「もっと自由に生きればよかった」と。 ここでも、自分にとっての「自由」という言葉への定義を自ら考えなければならない。 孤独力というのは、自分の頭で考えて行動する力に等しい。 周りの人たちの様子をうかがってそれに倣ったり、上司の顔色を窺ったりしていたのでは、自分の持つ力など活かす機会はいつまで経ってもやってくるわけはないのだ。

 是非、あなたには「言葉の持つ力」を真に理解していただきたい。 そのための最良の方法としてオススメするならば、ボクはあなたに【習慣的読書】を推奨したい。 言葉の持つ力を真に理解することができれば、それをどのように活かせばいいかを考えるようになるし、何よりも試したくなる。 自分の持つ言葉の力をね。 誰のためにその力を活かすのか、毎日毎日考えながら生きたって足りないくらい、言葉というのは深く広い。

 その力を会得することができたならば、孤独力と掛け合わせて、違和感のある場の空気を澄んだ空気へと入れ替えることだってできるはずだとボクは信じている。 欲に走るのは良くないことだと気付けば、自ずと日々自分が選択する行動も変わってくる。 現代人が今もっとも必要とすべきは、一つでも多くの気付きである。 未だかつて気付いたことのないことを、少しでも多く知ること。 他者にイライラしているその瞬間も無駄でしかないと気付ければ、人との接し方も、人が言うことやることに対する認識の在り方も自ら変えていくことができる。 炎上騒動を面白がったり参加したりしている場合ではないのに、現代のネットユーザーは事ある毎に騒ぎを助長させるようなマネを好き好んでやろうとする。

 どういう資質を持つ人間が強いかを考えてみたんだ。 もはや「損得を考えずに本音で戦おうとする人間」しかいないな、と。 目先の利益を追えば、大して得することはできず、総じて損をする結果に至りやすい。 自分を満たそうと欲に走ったが故に結局満たされたのはほんの一瞬で、マイナスに終わるということは多いような気がする。 ところが、損得なしに考え行動できる人間というのは、孤独力にも長けていて、周りの人たちの一挙手一投足に一切ブレることがない。 ボクはそういう人間を何人かそばに置きたいと思っている。 頭数が揃っていても弱い者たちの集まりでは、結局ダークな力に屈することになる。 あなたは多数派か、それとも少数派か、よく考え、どちら側に立つべきかを真剣に考えるべきだ。 保身の気持ちは邪魔だなと、今は心底そう思う。

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