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【noteヘッダーデザイン室】忖度(そんたく)って漢字検定何級の漢字だ?

 調べてみたら、忖度は「漢字検定1級」の漢字らしい。もちろん、あくまでもこれは日本語漢字の難易度と使用頻度などから各級に振り分けられたものだが、日常生活において、社会人生活において、個人にとって難易度も使用頻度も関係なく、必要に応じて最適な言語を選択し表現できる「語彙力」や「文字力」や「表現力」、総じて「言語力」は長けていれば長けているにこしたことはないと言えるかもしれない。

 今回、ボクが「忖度」を拾ったのは、主に今年のニュースで多く使用された単語の1つと見受けられ、それと同時に、口頭言語として使用する方々が増えているということを感じ取ったのがきっかけ。

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 職場で上司の文句ばかり言ってる人の行為に当てはまるのがこの「忖度」であることが意味から容易に察せられる。下っ端であることを自覚していながら、上司に対する不満や文句を延々と垂れ流す人というのは、上司が今現在立っているポジションにおいて抱えている問題・課題や感じる重圧に対して、微塵にも配慮することがなく、悪いことにこうした姿勢が上司を見下す言動に繋がり、自ら立場を悪化させ続けてしまい、出世の道を自ら絶ってしまっていることにすら気付いていない。

 ボクもね、前の職場でそのことについてどうにか正しい認識を持ってもらうように声をかけてきたけれども、本質的に考え方は変わっていなくて、上司が他の誰かに入れ代わるのを待つスタンスに落ち着いてしまった。しかし、次に新しく上司になった人がどんな上司であるかに関係なく、おそらく再び三度、上司の不足を補うための動きをしようと考えるのではなく、前の上司に対して吐き捨ててきた言葉を、新しい上司にも似たような見方をしてしまい、結局のところ、「忖度」という言葉の意味を知らない、もしくは理解していない状態でエンドレスループする日々がずっと続くことになる。

 ボクは一度だけれども、管理職のポジションで部下やアルバイトたちを指導教育する立場で仕事をしたことがあるため、その当時の自身の不足をどう補えばよいかといったことに焦りを感じ、よく「リーダーシップ」に関する本を買っては読んだことがある。どんな立場であれ、周りの人たちへの配慮と、最適な言動や行動とは何かを瞬時に気付けるような人というのは、立場が変わってもリーダーシップの本質をよく理解しているため、自身の考えがどんなに正しいと思っていても、他者の意見を批判することはせず、とりあえず耳を傾け一通り相手の意見を聞いてから、その後の接し方をうまく変えていくことができる。

 だからといって、何でもかんでもオブラートに包んで言うのではなく、相手の意見の良い部分と悪い部分の双方を丁寧に認め、悪い部分に対してはそれをバックアップするような言葉としてこちらの意見を添えることができなければ、本来のリーダーシップの理想とはかけはなれてしまうのではないかと思うようになった。大方、一方的に偏った物言いをする人の表現は、ボキャブラリーが少ないため、感情論が先行していることが窺える。こうして感じ取ることも「忖度」と言えるかもしれない。相手が感情的になっているのだとしたら、それに対して便乗するのではなく、あくまでも冷静に、「うんうん、そうか、なるほどね。」と相槌を打ちながら聞く耳を傾けていることを非言語の部分において示すのが良い。

 こちらが意見を言ったあとに、相手が「まぁ、考え方は人それぞれなんじゃない?」と言ってきた場合には、「相手は返す言葉がないこと」をひた隠しにしてそのように言い逃げしているのだということがわかるため、これをストレートに指摘してはならない。返す言葉がないと察することができたのであれば、別の話題を用意するのもいいかもしれないし、例え話をしてみるのもいいかもしれない。話術に長けている人たちは、この「例え話」がウマい。

 ボクがよく使う例え話は、「パソコンの仕組み」や「自動車の仕組み」、または「家電製品全般の用途」などを例えに話すことが多い。パソコンも自動車も家電製品も、全て「部品の集合体」であり、それぞれの部品が「役割を果たすこと」で、人が便利に使うことのできるツール。部品のどこかに異常が生じれば、故障ということで廃却して新しく買うか修理するか、という選択をすることになる。修理できるならできるに超したことはないけれども、捨てて新しく買い替えたほうが楽だったり、むしろそのほうが安く済んだりすることもある。

 パソコンで言うと、OS、CPU、ハードディスクメモリ、マザーボードなどを筆頭に、モニター、キーボード、マウス、PCにインストールされている様々なアプリケーションソフト、未だインストールしていないネット上に溢れる有用なアプリケーションソフト、これらすべてを職場の人間関係であったり、法人営業や個人営業だったり、企業間の取引だったりにも応用して例えることが可能であり、「最適化」という観点から言えば、ビジネスやコストカット、または人材育成などにも例えて表現することができる。ボクの常套句の一つ。

 OSは問題なくてもCPUに問題があればパソコン自体が起動しない、ハードディスクメモリの容量がパンパンになっていると、過熱の原因となりパソコン全体の動作が重くなったり、アプリケーションソフト起動に異常を来したりといった問題が生じるため、容量を確保するために不要なデータは定期的に削除したり、キャッシュを削除したりすることで動作が回復する、というようなこと。謂わば、赤字を黒字にするには無駄をカットすれば黒字転換の見込みが出てくるというようなことをそのように例えるのだ。

 上司に対する文句が誰のものであっても、職場、上下関係、人間関係、リーダーシップ、などなど、どこの職場にも共通する項目と、どこの職場でもありそうな出来事や実体験などを踏まえ、現状相手が愚痴っていることがどういうことなのかを聞いた上で、いくつもの提案が浮かぶようだと、そのうちから最適な提案を選んで提言してみることができるようになる。第一に、相手が愚痴っていることが相手だけの問題ではないということを話すと良いかもしれない。自分もそうだし、他の会社で働いていた時も、似たようなことで相談してきたことがあった、という時に、どういうふうに捉えるのがいいのかなど、切々と語り合うと、いつの間にか相手の気分も晴れていたなんてことはよくある。

 でも、決して相手を傷付けまいとするオブラートオンリーの言葉ではなく、「自分だったらこういうふうに考えるよ」「自分だったらそういう時はこういう行動を選択するよ」など、いくつものヒントをポンポンと示すと、あとは勝手に相手がそのうちのどれかを選んで次試してみようとするのかしないのか、相手次第。相談や愚痴を聞く側は、とにかくその場の相手の落ちたモチベーションをいくらかでも上げてやりさえすればいい。

 相談してきた人が完全に無力な人間だと決めつけるのはお門違いで、相手の話を聞いている間に、「相手にできること」「相手にできないこと」を引っ張り出してやって、相手にできることは褒めてやればいいし、相手にできないことであれば誰を頼ればいいか、そして、何をどうしたいかを簡潔に相談することを何人かに相談してみるなど、いろいろと勧めてあげればいい。あとは本人次第だから、アクションを起こし、何かしら進展したら、あとで相手からどうなったかを話しに来る。相談を聴く側はそれを待つだけでいい。

 下手に加担すると良いことがない。ただ相手を甘やかせたり、逆に相手から見下されたりすることだって起こり得る。「アイツに話しても良くならない」とね。もしくは、相談した相手の現在を見て判断することはよくある。「説得力がない」とね。そういう捉え方しかできない人は、誰に相談しても相手の言葉はスッと入ってこない気がする。相談するにしても、聞いてくれる人の心情を忖度するようならば、そもそも相談する意味がない。逆ギレなど以ての外。

 転々としてきて、ボクは本当に多くの人たちと言葉を交わしてきて、仕事を通して、多くを学んできたように思う。それでもまだまだ、自分に不足していることをすべて補えているとは到底思えていなくて、もっと学ばないといけないって思ってる。完璧ではないからこそ、ね。これは自他共にそうであることが大前提だという考え方であれば、他者の悪い部分を責め立てたり批判したりすることには言うほど意味があるわけではないし、それをするならちゃんと自分の言葉で代替案を提示できるようでなければ、批判する資格はないって思う。人としてね。

 忖度と寛容は、通じるところが多いなと今回思って書いてみた。

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