見出し画像

◆この世の真理「誰も答えを持たない」そういう世界に生きるのが私たち人間だ。だから、争いは繰り返される。

 今、ロシアのプーチン大統領への批判・非難の声が世界各国から殺到している。スペース✕のイーロン・マスク氏はプーチン大統領を挑発し、アメリカ合衆国大統領のバイデン氏はプーチン大統領を真の悪党と吐き捨て、更なる制裁を課そうとしている。

 NATOはポーランド・ウクライナの国境付近でロシア軍空爆に備えた地対空ミサイルの配備を進めている。

 あくまでも私個人の見解ではあるけれども、ウクライナからポーランドへ避難する250万人超のウクライナ人を見過ごして、仮にロシア軍がウクライナを占拠してこの戦争が終結するだろうか、と思えてならない。

 第二次世界大戦時のドイツとソ連の侵攻状況から見て、ロシア軍はかつての領土を奪還しようとしているのではないか、と。そうであるならば、ポーランドがNATOとロシア軍の戦場と化す可能性も浮上したって不思議はない。

 もうそこまで行くと、本格的に第三次世界大戦であると世界中の国々が認識するに違いない。今のところ、中国は目立った動きを見せていないが、いつまでもそのままであるとは限らず、国益を何よりも優先する習近平大統領が、何をきっかけに動き出すかは現在のところ不明であり、囁かれているのは台湾有事。

 戦争が起こっているその最中で繰り返される停戦協議に、目立った進展は見られない。それもそのはず、誰も話し合いでプーチン大統領を止めることはできないからで、誰一人としてこの戦争を止める答えを持たないからだ。

 戦争とは全く別のところで、プーチン大統領の思惑には一切触れることのない停戦協議に一体何の意味があるのかと思えてならない。そうしている間にもウクライナの首都キエフでは多くの死傷者が連日のように出ている。

 怪我人を助けるために戦地に残る医療従事者も、戦況を伝えるために残っている海外メディアの人も犠牲になっている。

 戦争で払い続ける犠牲で、ロシア、ウクライナ、諸外国は何を得ることになるのだろうか。

 かつては経済大国だった日本は、高齢化がいよいよピークを迎えると同時に少子化も加速し、経済力を年々失いつつある。隣国である中国も、あと10年もすれば爆発的高齢化が待っている。

 どうやら、次に世界のトップに躍り出るのは平均年齢が若く、人口増加を続けるアフリカとインドが中国を超えていくらしいけれども、なぜ世界は過去から、他国から学ぼうとしないのか、私は不思議でならない。

 結局のところ、豊かになる国あらば、貧困に苦しむ国あり。これは、会社規模でも個人規模でも全く同じことが言えて、21世紀の現代でもなお、人々は富や幸福に対する認識を誤っている気がしてならない。

 およそ80年から100年の人生で手に入れられる富や幸福とは、他を差し置いてでも手に入れるべきものなのだろうか。

 生きていくために、元より弱肉強食であるこの世界では、争うことがさも当たり前のことだとされてきた。これはどの国の歴史を振り返っても、先祖代々繰り返されてきた。

 現代でも起きてしまう大小様々な紛争。仮に、国際社会が一定の認識の下、他国と争うことを辞め、世界に平和が訪れたとしても、その平和はそう長くは続かないのかもしれない。

 歴史が紡いできたもののうち、戦争の傷跡は何十年経とうと根深く遺り続け、人はそれらを風化させまいと毎年のように追悼式を開く。そして、失ったものに対して想いを巡らせる。

 「これ以上、何もいらない」

 私の姪っ子が中学生の時に、私の父と電話で話していた時にそう言ったらしいことを何度も思い返す。

 そう、少なくとも、高度経済成長を経験したこの日本では成長を終え、新しい産業が生まれにくく、グローバル社会に取り残されつつある。今から30年前から、日本は先進国ではなく、後進国化が続いている。

 これまでに日本が抱えてきたあらゆる問題は、謂わば必然的に発生してきたものが多い。少子高齢化問題も、年金問題も、教育の問題も、大学の存在意義も、男女差別問題も、晩婚化問題も、生命保険問題も、住宅ローン問題も、いじめ問題も、障がい者差別問題も、トランスジェンダー問題も、宗教問題も、何もかもが社会の変化と同時発生的に人々の思想を刺激してきたと言える。

 これらの問題は解決すべきだという考え方に囚われてしまっている人たちがほとんどだろうと思うが、誰もがそれぞれの問題に対する明確な解決手段を持たない。それが今の日本。

 先日の報道で、高齢者への5000円の特別給付に関する岸田総理の会見が流れていたが、これはもう明らかに直近に控える参院選のための布石だろうと世論が気付いている。

 高齢化が進むこの日本では、人口分布の過半数を占める60歳以上の高齢者が投票力を持っているため、若者が占拠で投票したところでこれを覆す方法はない。だから、若者は選挙に行かないのである。それでも社会保険料は若い世代から巻き上げられ、集めた税金が社会福祉に投下される。

 老人の、老人による、老人のための政治が、若い世代を苦しめることになる、そういう希望なき未来しか見えなくなっている。そうとわかっていても、これといった正解がない。誰も答えを導き出せずにいる。

 それでも、目先の生活のために、毎月安い給料をもらいに行くために会社にしがみつくというのは思考停止だろうと言わざるを得ない。世界のどこかで戦争が起こるだけで製造業は極めて大きい打撃を被ることになる。

 これほど世界情勢が乱れれば、一個人ではどう頑張っても抗いようがない。日本のジリ貧状態はまだまだ続く。

 法律が絶対である法治国家では、これに頼るしかないと思ってしまいがちだが、中には法律の持つ特性を悪用する者がいたり、法律の持つ力を過剰行使する者がいたりする。また、法律とは、社会の変化の後追いでしか整備されず、常に事後処理用の決まり事に過ぎない。

 当然これは国際法にも同じことが言える。事が浮き彫りにならない限り何の意味もない飾りに過ぎない。だから戦争は起こるし、余計な犠牲を払い続けることになる。

 仮想通貨が国際的な共通貨幣になったとしたら、もはやこれを規制するのは国単位では不可能になるだろうし、いずれ、国という概念がなくなり、誰もが自由にどこでも住めるようになるかもしれない。ブロックチェーンが与える国際社会への影響はこれから益々強大になっていくだろうと思う。

 そうなると、企業組織もその在り方が変化するだろうね。一企業が人々の生活に必要なもののほとんどを自動的に提供し続けるシステムへ。

 そのシステムを人々がシェアする、シェリングエコノミー化。なんとなく、企業の「国化」と予見してしまいそうな変化をしている。金回りがうまく循環する仕組みを持つ企業プラットフォームが、国が徴収する税金よりも有効かつ多くの民を生かせる、そんな仕組みになっていきそうな気がする。

 今は、弁護士や役所職員や教師の不要論が浮上してきているけれども、行く行くは「国会議員不要論」なんてのも浮上してきたって不思議はないかもしれない。

 企業と企業が手を組めば一定区画の地域に住む人々の生活を安定的に運用できるようになれば、県や市の自治体もその一部に組み込まれるようになり、自治体が主導で町おこしをする必要もなくなるかもしれない。

 そういうことがもし可能になっていくのであれば、税制も改変せざるを得なくなるに違いない。

 言い方は悪いけれども、団塊世代、団塊ジュニア世代は、後世に明るい未来を残しはしなかった。チャッカリと年金をもらっている60歳以上の爺さん婆さんが税金を貪っている。

 土地や建物や自動車などのあらゆる財産も高齢者がほとんど独占し、若者は車離れ。この前88歳の老人がゴミ置き場に突っ込んでいたみたいだけど、こういうことがこれからも起こるだろうね。シェアリングエコノミー下では「私有する」という概念が消え去る。

 もうね、自分の物にしたいという家や車なんてものが幸せの代名詞だったのは昭和の話なんだよね。30年の住宅ローンを組んで一軒家を購入した人たちが自然災害などで家を失った時のための火災保険やら地震保険なんてものも、上手に足元を見た仕組みだよね。

 保険って本当は良い仕組みだと思うんだけれども、保険料を払い続けた若い世代がその恩恵に与かるかというと、これからはより一層難しくなるだろうね。

 昭和が生み出した幸福の幻想は、脆くも崩れ去り、人々は自分たちがぬるま湯に浸かっていたことにようやく気付き始めた。なんとなく生きていられた昭和や平成と違って、令和は一層難易度が上がったよね。

 未だに「昔はこうだった」とかいう語り口で正当化しといて現代に生きる若者たちを批判するようなことを言う爺さん婆さんの考え方は、きっともう変わることはないだろう。

 それよりは、少しでも現状に対する理解ができ、未来に繋がるヒントを持つ年配者の話に耳を傾けていたいよね。

 議論ばかりしていても実効性も即効性もない。今、人々が要求しているのはその二つだろうね。シンプルかつ早い措置ができるリーダーシップのある人がこの国の舵をきるべき。政府があえて仕組みを難しく複雑にして曖昧な説明しかしないのは操りたいからだろう。

 1981年以降に生まれた人たちは、今もこれからも大変な時代を生きることになる。最悪、生きる価値も問うことになるかもしれない。そうなったら、その現実を素直に受け止めればいいと思う。

 他者から奪ってまで生きる価値は元々ない。それが、他者から奪ってしか生きられなくなったのだとすれば、その時初めて人は生きる価値を喪失することになるだろうと思う。動物ではないからね。

 人同士の争いとはいつの時代も醜い。人が争う時というのは、互いにそれぞれの正義があるからこそ争うのだ。国家の法律だろうと国際法だろうと、国や企業や宗教や個人が掲げる正義まではコントロールできはしない。だから、戦争はなくならない。

 戦争をなくすのであれば、やっぱり、互いが争わずに済む仕組みを設けるべき。富の循環、物の共有、人の往来の自由化など。境があるから争いはなくならないんだ。

 愛国心の強いアメリカは、なぜ人種の坩堝なのに愛国心が強いんだろうね?パトリオットミサイルなんてのもあるくらいだ。パトリオティズムなんていう映画もあるくらいだ。

 国のプライドや国旗を傷付けられたからなんだというのか。日本も危うくアメリカに被れて法改正しそうになったけど、バカすぎるでしょ(笑)

 かつては日本も戦時中「お国のために」と命を捧げた民が大勢いた。そのことを軽視したり侮辱したりする気はさらさらない。時代がそうであったということは事実だからね。

 国境という境がある時代を終わらせないといけない。未来の姿は、そうであってほしい。申し訳ないけど、オリンピックはそれを阻害するものでしかない。宗教思想と何ら変わりがない。

 平和を願うのにスポーツで各国の代表選手を競わせる意味ってなんだ?結局既得権益を貪りたい者たちが順番にポストに就いているだけでしょうが(笑)

 国家関係なく、純粋にスポーツ大会すればいい。チームもすでに国家間でトレードしたり契約したりしてるんだから、国境関係ないよね。

 歴史は歴史としてちゃんと理解する必要はあるけれども、未来がその延長線上になければならない理由は一つもない。おそらく、国境を廃止できるのはIT技術。移動技術が加速すれば、国とか関係なく、これまで誰も見たことのない世界が始まるかもしれないね。

 見たことのない物事について思考を巡らせると、ホント、生まれたタイミングが悪いなぁって思う。もちろん、空想の中の未来は、現行の法律なんか古すぎて役に立たない。

 争ってる場合じゃない。新しい世界を作るほうが先だ。

いただいたサポートは、今後のnoteライフ向上のために活用させていただきます!