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【#孤高の書】其の十:嫌われるために勇気なんて必要ない

 無作為に選ばれた生命体が人としてこの世に生を受けたその瞬間から、誰もがあの世に逝くまでずっと、地球上に潜在・存在する星の数ほどの危険や苦悩に耐え続けることを強制される。

 弱肉強食という自然の摂理なんて、自然に対する認識を人間が誤認しているに過ぎない。強さとは何か。弱さとは何か。一体何と比較して、一体誰と比較してそのように判断するのだろうか。

 「自分は強い」とか「自分は弱い」などと、誰もが自分のことをそのどちらかに分類されるとでも思っているのだろうか。そんなバカなことはない。お前も、そこのお前も、どこかで生きているお前たちも、みんな弱いじゃないか。

 自然を相手にしてもなお「自分は自然よりも強い」などと思っているのなら、それはとんでもない勘違い野郎で、うっかり命を落とすほどの死に急ぎ野郎でしかない。

 本当に強いのであれば、武器も要らないし、力も要らないし、自身の弱さをひた隠しにして言葉や態度による威圧も必要なく、ただ黙ってそこに居るだけで周囲の人間たちがみんな片膝を付いて頭を垂れているに違いない。これを【威厳(いげん)】という。

 これは、アニメ「ワンピース」の【覇王色の覇気】と近い性質がある。覇気の意味は「意志の力」とされている。

 人から嫌われることは怖いか。

 どうして怖いと思う?

 怖い理由があるのか?

 どこに行っても周囲の人間たちから嫌われるのが常だという人は、そもそも人から嫌われるなんて当たり前のことだと理解している。また、そういう人は、「どうして嫌われるのか」を具体的に理解しているし、それ故に、嫌われること自体に悩み苦しむことがない。

 さらに、人から嫌われることが当たり前だと理解している人は、嫌われるために勇気が必要だなんて思ってすらいない。

 承認欲求はあるくせに、自分の意思を殺して周りに染まろうとする矛盾に、どれだけの人たちが気付いているのだろうか。これを前提としている以上、その承認欲求が真に満たされることはあり得ない気がするが、それでいいとでも思っているのだろうか。

 他と異なろうとすればするほど簡単に嫌われることができる。中には、意識的に他と異なろうとしなくても、自然と嫌われる人もいる。見た目で人を嫌うような人間は、簡単に炙り出すことができる。掌に載せた一粒の大豆をデコピン👌(ピシッ‼)で弾き飛ばすくらい簡単に遠ざけることができる。

 嫌われることを怖れるのは、その反面、期待しているからでもあるのではないかね。「(周りに合わせてさえいれば)嫌われることはないだろう」という期待が。

 その期待ってさ、全世界の人口の何パーセントの人たちに対する期待なの?(・∀・)え?

 10%?20%?いやいや、0.1%にすら満たない、小数点以下にゼロが何個あるかもわからないくらい超極少の人たちではないのかね?(・∀・)ん?

 超狭い環境でしかないのだよ、周囲に対してそういう無意味な期待をしている場所というのは。リアルなんてそんなもんだ。その狭い環境で、自分の意思を軸に発言・行動することで周囲の人間たちから嫌われたとしても、自分を嫌う人間の数なんて数えるだけ無駄というもの。

 人から嫌われることなんて大した問題ではないのだよ。問題視すべきは、「嫌われた後」。そして、試されるのも「嫌われた後」。この意味がわかるかな。

 嫌われて困惑したり悩んだりするよりも、嫌われた後どうするかを考えることのほうが重要で、そこから行動指針が決まってくる。嫌われてすぐに好かれるように努力したところで効果はないでしょう。「あー、この人たちからは嫌われてるなぁ」と認識したら、それでも縋るのはおかしな話で、すっぱりと考えるのを辞めることが重要な気がする。

 考えたって状況は変わらない。であれば、自分の意思を軸にどうするかを考えて行動するほうがよっぽど自分のためになるでしょう??誰のための人生かって、周囲の人間たちのためのものではなく、自分のための人生でしょう??

 一番に自分を大切にできない人間は、他の誰も大切にはできない。周囲に対して「自分は特別な人間だ」とアピールすることよりも、他人の目に触れないところで全力で自分を大切にすることに価値がある。

 波紋は、水面に水滴やモノが落下して起こる現象。落ちたところを起点に、360度全方向に円形の波がそれぞれ同じスピードで広がっていく。

 波紋の中心には自分が立っている。自分が起こす波紋により、周囲にどのような影響を及ぼすかを考える必要はある。何も、むやみに人から嫌われるように行動することをを美化して言っているのではないし正当化するつもりもない。

 ただ、全ての人間たちから好かれることには何の価値もないということを言いたい。価値があるとすれば、嫌われてなお関わっていける人間関係に進展することだろうと思う。どうすればそういう結果に至るのか、そこに正解はないだろう。しかし時に、偶然出くわした人物が、その進展を可能にすることがある。出会いとは時に極めて可能性の薄いことでも奇跡を起こすことがある。

 自ら起こした波紋により、どんなに周囲の人たちから嫌われても、偶然にでも心の通う人物と出会うことが出来さえすれば、それまでにどれだけ人から嫌われようとも関係がないことにきっと誰もが気付かされる。

 人は、変わるもの。

 考え方も価値観も変わるもの。

 ずっと同じでいいはずがないし、変化して当然なのに、人から好かれるように努力することに一生懸命になりすぎてしまうと、いつか年を重ねてから後悔することになるんだ。

 「もっと、自分のために時間を過ごすべきだった」と。

 自分のような人間を好いてくれる人というのはどういうわけか必ず存在する。そういう人との出会いの瞬間というのは、やはり「生きていて良かった」と、そう思えるもの。

 自分が起こす波紋が、そう思えるほどの出会いを引き寄せるものであれば、自分の意思で考え行動することの意義深さも日を追うごとに深まっていくことだろう。

【次回予告】其の十一:【必見】テカ型習得法

 「テカ型って何よw」と思ったでしょう?実はこの「テカ」は、「#孤高の書」にとても関係があるのだ!気になる人は、是非次回もアクセス!アクセス!(・∀・)ノあはっ♬

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