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◆ピンクムーン

 画法なんて独学さ。右手に握るマウスが勝手に描くのさ。背景は、一面黒のシートの下に、複数の色を使って塗りつぶしたシートがあって、黒のシートに無数の穴を開ける画法。

 月も薄いピンクの円の下に濃い紫と薄い紫で塗った状態で、薄いピンクの円に細かい無数の穴を開ける画法。

 何言ってるかわからないよね。普通は一枚のキャンパスに上から塗り重ねていくんだけれども、パソコンでは何枚ものシートにそれぞれ手を加えて、最終的には1枚の画像に見えるというもので、部分的に追加修正が可能だったり、シートの並び替えができたりするので、かつてエクセルで描いていた画像とはまるで異なる画法になっている。

 特に、アートに関しては、学び得た知識で描くというのが一般的なのかもしれないけれども、それでは個性は発揮されないと思っていて、ただひたすら自分の感性のままにそうと思う描き方を繰り返していって、長い年月をかけて磨き上げていく、そういう描き方が個人的には好きだ。

 我ながら、これまで散々描いてきた月の中で最も納得のいくものが描けたような気がする。こんな月見たことないよって言われるような月を、また次回描きたい。

 月とはこういうものだ、そういう先入観をぶち壊す意味はないのかもしれないけれども、描き方に限らず、物事に対する先入観というのは、壊してみないとかつて気付きもしなかったことには気付けなかったりするし、これでよかったんだって思えるような瞬間にもなかなか巡り合えない。

 誰かの考えに共感するのは決して悪いことではない。でも、それにばかり頼りっきりになり、自分で考えた気になってしまうことが一番よくない。ほかの人がどんな考え方をしていようと、「自分はどう考えているか」「自分はどう感じたか」ということをしっかり自分の言葉で表現できるということが大事なんだと思う。

 そのためには、先入観がすごく邪魔になる。どうして自分がそう思い込んでいたのかということに対して微塵にも疑問に思わないのが普通なのかもしれないけれども、角度を変えて、自分に刷り込まれた先入観を疑問視してみたり壊してみたりすれば、いろんな意味で価値観の上書きも可能になるんじゃないかなと。

 個人的には、知識や力やお金に魂を売ることのできる人としての感覚が理解できなくてね。私からすれば社会は強い先入観を刷り込まれた人たちで回ってきていて、これまでずっと何かにつけ曖昧に、のらりくらりと処理されてきている、そういう社会のように見えるんだ。

 かと思えば、耳障りの良い精神論やポジティブワードを使いたがる人たちがいて、さもそうであるべきだみたいな大義を掲げる人たちがやたらと多く、その分だけ意見や思想の対立が後を絶たない。そういう社会にはもう心底辟易としている。

 人の人生に「べき論」を持ち込むことこそ価値観の押し付けや先入観の刷り込みになってしまっているんじゃないのかね?

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