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◆あらゆる力・技術・知識・道具・言葉を、人は適切に扱えていると言えるだろうか

 地球上の生命でもっとも高い知能を持つとされている人間は、今もなお複雑な社会の中であらゆる問題に日々直面している。

 太古の昔、人類史上初めて生まれた刃物は石造り。それから時代を経て鉄製の刃物が用途に合わせて作られるようになり、現代でも生活や製造に必要不可欠なもの。

 ハサミと頭は使いよう、そんな言葉もあるけれども、ルールがあっても、マナーがどうであるかを認識していても、人間はダメだと言われていることでもやってしまうことがある。

 感情や私利私欲のためだけの願望・野望というものを切り離さない限り、何を扱うでも適切には扱えない。刃物も油断すれば自身がケガをするし、言葉も無意識に相手を傷付けたり、技術も悪用できたりする。

 自分でも心底つまらないことに気付いてしまったなとは思うんだけれども、自分の利益のためだけにあらゆるものを悪用して他者を傷付けたり、他者から奪ったりしてまで生きる価値が人の人生にあるのかと問われたら、私はこれを否定する。

 人間は、常に試されているのかもしれないね。自分たちで生み出したものを、自分たちの幸せな人生のために適正に扱えるのか否かを。

 例えば、飲食店やコンビニなどにあるコンセントを想像してごらん。たまに見かけるでしょう。断りもなくスマホの充電のために電気を搾取する人。これこそまさに典型例と言える。充電器はあってもコンセントがないと充電はできない。でも、コンセントを見つけると充電したくなるのだろうけれども、本人はそれがやってはいけないことだと自覚している。それでもやる。

 では、そういう人を減らすためにルールやマナーを喚起する?意味はないよね。破る人は破るんだから。私たちが生活している社会というのは、ルールを破る人たちも含めて回っているってことなんだよね。当然ながら、国の景気が悪化すれば、モラルハザードはあちこちで起こるようになる。

 どんなに社会が便利になろうとも、悪さをする人たちは必ず存在する。バレなければいい、そういう認識でいる人は、万引きだって平気でやる。そういう人たちに狙われたスーパーやコンビニはあっという間に経営難に追い込まれて閉店を余儀なくされる。

 刃物から何を連想するかでその人の人間性はおおよそ現れる。美味しい料理を作るための包丁、紙や紐を切るためのハサミ、草刈りのための刃、手術に使用するためのメス、髭剃り、枝打ちのための鉈、果物ナイフ、挙げればキリがないけれども、どれも凶器にだってなり得る。

 車だってそうだ。運転する人の人格によってはいつでも凶器と化す。それほどに、私たちは危うい環境で生きていることを、事、この日本では忘れてしまいかねないくらい平和だとも言えなくはない。

 自分を保てなくなるくらいに辛い思いをしているのであれば、すぐにでもそこから逃げないといけない。冷静さを欠いた人間は、何をするかわからない。でもそれに例外はないということもまた自覚しておく必要がある。

 人は、自分の死を畏れていると思い込みがちだけれども、それはおそらく違う。人がもっとも畏れているのは、自分が自分ではなくなる瞬間なのだろうと思う。

 それは、難病に侵されて寝たきりになるとか、認知症になって意思疎通ができなくなるとか、そういうことも含め、強い怒りや深い悲しみによって自己喪失に陥ることもあるだろうし、いろんなものを我慢して目標を目指して挑戦する中で事故に遭い夢を絶たれたり、結果が伴わなくて挫折したり、中には、失恋により自己喪失に陥る人もいるだろう。

 望めば望むほど思い通りにならないことが多く、「あんなことさえなければ・・・」と対外的な事象により夢が潰えたりするケースもあろう。それが社会の大前提にある。

 多くを望み過ぎず、ほどほどに諦めるべきは諦めて、足元の日常生活だけは崩壊しないように、普段から質素に生活することに慣れておく必要はあるのかもしれない。そうでなければ、年がら年中何かのせいにして恨みつらみばかりが積もり積もっていきそうだと私は考えている。

 上手に生きようとするのではなく、周りの変化も、自分の変化もちゃんと捉えながら、その都度行動選択をしていくことが大事なんだろうと思う。それを邪魔するのはいつも感情だったり欲望・願望だったりするわけだけれども、そこに魂を売っても良いことはないと思っていて間違いはないだろう。

 酒も吞み過ぎれば身体を壊すし、タバコも吸い過ぎれば肺を壊すし、甘いものを食べ過ぎれば糖尿病になるし、痛み止めの薬も飲み過ぎれば効かなくなるしで、度を過ぎれば何でも良いことはない。

 私はね、エアコンなんか使わないほうがいいと思っている人間なんだけど、エアコンがないと熱中症のリスクが高まるはウソだと思ってるからなんだよ。

 人間の身体の体温調節は、外気に順応するようになっている。それを冷房や暖房で室内温度を設定するものだから、外気との温度差は当然広がるわけで、寒いところから暑いところに、暑いところから寒いところに行けば、その温度差に身体の体温調節が追い付かなくてぶっ倒れるのが熱中症だったり急性心筋梗塞だったりに繋がるんだろうなって。

 エアコンで人はどんどん軟弱になっている。暑い時は汗をかき、水分塩分を取りつつ、水風呂や氷枕なんかで身体を冷やす工夫をしつつ、なるべく外気に触れ続けるほうが熱中症対策になると思うけれども、国や医療関係が発信している熱中症対策は完全に真逆だと思う。

 もちろん、高齢者ともなれば話は別だけれども、若いうちは安易にエアコンに慣れた生活をするべきではないんじゃないかなって思う。小学生や中学生が部活中に熱中症で倒れて救急車に搬送されるってのは、ある意味、教育に齟齬が生じてるからではないかね。これは根性論で言っているのではなく、至極当たり前のこととして言っている。

 体温調節がイカレるくらいエアコンに浸るのは自殺行為に等しい。派手に間違った文化が広まってるなぁと思いながら、今年の夏もエアコンなしで工夫しながら生活している。

 災害なんかで電力供給がストップしたらエアコンなんか使えないし、ましてや扇風機だって使えないわけだから、暑い時期にそんなことになったらイヤでも外気に晒されるわけじゃん。とんでもない向こう見ずなギャンブルだなーって思うけどね。健康とは何ぞやってことは自分の頭で考えたり調べたりしたほうがいい気がする。きっと正解はないんだろうからね。

 便利なものだからといって使い過ぎれば、人本来の機能が狂う。人工知能だってそうでしょ。頼りっきりになれば自分の頭で考えられなくなる一方で、あたかも自分が賢くなったような錯覚さえ起こしかねない。

 便利なものほど扱い方には注意してほどほどにしておかないといけないって私は思っている。言ってみれば、この30年で随分と人の生活は便利になったと言いたいところだけれども、どうも複雑で面倒にもなってるよなぁっていうのが実態じゃないかな。

 刃物の絵を見て「怖い」って思う人は、過去に怖い思いをしたのかもしれないけれども、なんとなくそう思う人はテレビやアニメの見過ぎかな?刃物=怖いってのはあまりにも極端だけれども、実際そういう人も一定数いる。

 たぶん、そういうところなんだろうね。人があらゆるものの扱い方を間違える要因は。原発だってそう。安全性に問題がないなら稼働すべきだし、それによる電気代の値下げができるんだから。地震津波による災害のことばかり不安視してたら何もできない。

 原発反対してる割にエアコンはガンガン使うってそりゃー虫が良すぎるってことにならないかね。ホント、社会には多くの矛盾が渦巻いてるよね。おもちろい(・∀・)

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