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【#孤高の書】其の九:人間観察

 線は一次元、面は二次元、立体は三次元。これが基本的な次元の意味。ただ、ドラえもんの四次元ポケットがあるように、五次元、六次元、無限次元が存在する可能性もゼロではないらしい。

 では、一次元から三次元を人間観察に置き換えて考えてみることにしよう。あくまでも仮定の話だが、なるほど納得できる内容に仕上げたつもりだ。

【客観次元】
【線】一次元/容姿、見た目
【面】二次元/言動、行動、態度、仕草etc...
【立体】三次元/内面、性格、人格、心情、信念etc...

 これら三種の次元に、もう一つ、普段見過ごされやすい次元が存在する。

 すぐに気付いた方もいるだろうが、「答えはCMのあとすぐ!」笑。

 「第一印象が一番大事」そう信じている人たちは少なくない。清潔感はもちろんのこと、見た目で「格好良い」「格好悪い」「美しい」「醜い」「かわいい」「かわいくない」「強そう」「弱そう」などとまず認識しがち。これが一次元。

 人が言ったこと、人がやったこと、人が見せる態度や仕草、これらのこと、つまり二次元の要素を「事実」や「証拠」として位置づけ、その人の内面、所謂三次元の要素を推察したり、錯覚や誤解をしたりして、「相手がどんな人なのか」について思惑を巡らせる。

 そうすることにより、一人の人間に対する認識という客観次元が、脳内で空間を押し広げていく。そしてどこかのタイミングで、もしくは何かをきっかけに、「この人はこういう人だけれども、こういうところもあって・・・」などと評論家を気取って知った気になって勝手に批評する。

 しかしここで、「どこかのタイミングで」とか「何かをきっかけに」といった部分が妙に尾を引く。気になる。どういうことだ(・∀・)あはっ??

 人間観察が好きになったのは、24歳の頃にセブンで二年アルバイトをしたのが理由。ずっと深夜の時間帯シフトで働いていて、毎日毎日、来店客が何を買い、レジでどんな言葉を発し、どんな態度で会計を済ませ、どんなふうに歩いて店を出ていくのか、そういうことを観察する面白さに気付かされた。

 これまで接してきた人間たちのうち、話す度に愚痴しか言わない人間、話す度にウソしか言わない人間、話す度にツンケンした態度で煽ってくる人間、初対面でさえ小馬鹿にしてくる人間、いろんな人間を見てきた。

 皮肉なことに、人間観察の面白さに気付かされて以来、勘が鋭くなってしまってね、わかってしまうようになってしまったのよ。これはこれでメリットはあるんだけれども、少なくとも自分に良い顔をして近寄ってきた人間の思惑や企み、どういうつもりで話題を振ってきたのか、何かしらの意図があったり試そうとしていたりするのがわかるというデメリットのほうが多い。

 群れて過ごすのが苦手だという性格のせいなのか、基本的に相手が何を話していても、何をしていても、どんな表情や態度を見せていても、全てひっくるめて疑うことは欠かさなくなった。

 あの手この手を使って、こちらから情報を吸い上げようと企み、聴いたことを歪曲させて噂として流す、噂が大好きな人間というのもたくさん見てきた。そうと察すればこちらも聞かれたことにクソ真面目には答えない。

 年がら年中、他人のことに「意識」を囚われている人の話には適当に相槌を打ってさもちゃんと聴いているかのように相手が満足するまでしゃべらせて聞き流す。

 あまり引き延ばすのも悪いので、ここで「?次元」の答えを。学校や会社、その他プライベートでの人間関係というのは、とにかく人と接する回数で構築されていく。そうしていくうちに、関係性が他人から知り合い、友達、仲間、恋人といった具合に変化していく。

 時には、かつてとても仲の良い親友と呼べるほどの間柄だった関係性が、とある出来事をきっかけに「裏切り」もしくは「裏切られ」たことにより絶縁関係となることも往々にしてある。「?次元」の答えはこれだ。

 単純に「人と接する回数」、人間観察をするにはこの「ゼロ次元」が絶対必要条件。これが無くては観察することはできないのだからね。それ故に、コンビニのアルバイトは打って付けの観察場所ってことになるんだよ。良い経験ができた。

一次元「見た目」だけでは人は測れないし、
※二次元「発言や行動や態度」を見聞きしたという事実があったとしても真実や本意とも限らないし、
※三次元「内面や性格や心情」を正しく分析するにも、
※零次元「その人と接する回数」が少なければ話にならないということ。

 特定の人物と親しく、仲良く、心を通わせるためには零次元である接点の回数をどれだけ増やせるかにかかっている。

 批判されたり、暴言を吐かれたりしただけで、「そういう相手は性格の悪い人間だ」と決め付けてしまうと、人間関係においては想像以上に損をすることにもなりかねない。

 特に、三次元については二度や三度話したことがある程度では測ることはできない。大前提として、人の悪い部分や不足というのは誰にでも簡単に目に付きやすく、錯覚や誤解をしてしまいやすい。相手の良い部分を見つけようと思ったら、どうしたって零次元の接点をより多く持つことが必要なんだ。

 ただ、あまりにもしつこいと嫌われるので要注意。ボクの場合は、相手が自分と心を通わせる気などサラサラないのだとわかった瞬間から、露骨に冷淡に、時に冷酷になれる。相手が何を言おうと何をしようと一切相手の期待には応えてやらない。

 三次元がある程度空間拡張を完了させた時に、今度は自分が相手と心を通わせたいか否かを判断する。渾身の疑念、結果その疑念が晴れたのであれば、きっと良い関係性が築けることだろうと、ボクはそう思っている。

 果たして、人生で何人と心を通わせることができるのだろうか。ボクは大して仲良くもないほとんど他人という関係性でしかない相手のために自分を装って取り繕って近づこうなどとは微塵にも考えていない。何より、誰に対しても好い顔をしているヤツというのは腹黒いってのが相場だ。

 アニメ「Dr.STONE」で石化から復活した司が千空を「千空、キミは素晴らしい男だ。オレの復活直後もそうだ。咄嗟に冷静な現状伝達。キミよりキレる男を見たことがない。尊敬するよ、心から。」と褒めた時、千空が司にこう言った。「目の前で男を褒める男は、下心だらけの腹黒狸って百億年前から決まってんだ。何が言いてぇ。」と。

 これは確かにそうだなと思った。そこでボクは、これを利用することを考えた。普段からウソしか言わない、目的のハッキリしない男に対しては、とりあえず褒めておこう、と。こっちに腹黒い意図はなくても、相手はこっちのことを腹黒狸だと思ってくれるだろう?結局ボクも腹黒狸のようなものだ。相手が距離を置くように誘導するにはこれに限る。

 ベタ褒めすれば、相手からしたら意味がわからないこともあるだろうし、何をそんな知った気になっているんだ?と思ってもらえるだろう。相手に疑念を植え付けて距離を置かせるには、とにかく褒めること。仮にそれで喜んでしまうような人ならば、何の意図も悪意もなく接しているのだとわかる。

 ボクがやたらと相手を褒めたら「話しかけてくんな」っていうサインだ。あくまでもこれはリアルでのこと。そういう時にボクがよく言うセリフは「えー!すごいじゃーん!どうやったの?」(笑)というのも、決して馬鹿にしているわけではなく、とにかく相手にしゃべらせて満足してもらいたいがためのセリフね。興味がなくてもこのセリフさえ言えば自然と相手はしゃべり出すからね。早く満足してあっちに行ってくれとは言えないからね~。

 ただ、そのセリフを言うに至るまでには、零次元+一次元~三次元のステップを必ず踏んでいる。時間をかけ、回数を重ねて相手のことを知っていくこと。まぁ、悪い部分についてある程度分析が済んだら、今度は相手の良いところも見つけてあげ・・・なぁぁぁぁぁぁぁい!(・∀・)あはっ♬

 ボクにそんな暇はないのだよ。フハ!フハハハハハハハハ!!(・∀・)

 相手の良いところを見つけてみたいと思った時に限る!!(笑)そしてボクは、他人に合わせない。その必要が生じた時だけだ。他人に優しくない腹黒狸、それがにゃむだ(・∀・)エヘッ♬

【次回予告】其の十:嫌われるために勇気なんて必要ない

お楽しみに!(・∀・)ノ

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