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【新しい時代】歪んだ認識を正さないことには変化に適応できず遅れを取る

暗記が目的の学習は、それを活かす術に非ず。

ただ苦痛を与えるためだけのペナルティーは、何も生まない。

ミス・失敗・ルール違反をした者を集団の中に吊るし上げ、晒し、本人を辱める行為は、他の教訓になり得るはずの機会を無駄にする。

集団で一人の人間を袋叩きにするような光景は、当事者である集団も、それを見過ごす傍観者も同罪であり、与える精神的身体的苦痛が憎悪を生む。

自分たちの立場を守らんとして、ルールや規則を盾にあたかも正論のようなことを言い張るのは、誰にとっても正義ではなく、ただの屁理屈に過ぎない。時に正義とは、少なからず一部の人間たちを苦しめるものである。

変化を嫌うルールこそ、集団組織を腐らせるものでしかない。現状にマッチしないルールをルールだからと変えようとしないのは、純粋な怠慢である。

金のために働くのは当たり前だという認識で働けば、仕事人生に花が咲くことは一生ない。給料以上の仕事をしようと思ったら、これまで誰もやったことのないことを率先してやらない限り正当な給料とは言い難い。仮にそれが間違っていたり、すでに誰かが動いていることだとしても、行動することそのものに大いなる価値がある。

会社組織における上下関係は、上の者が下の者を「支配」していいということではない。会社が基本的に掲げる利益追求と社会貢献活動を円滑に進めていくために設けられているのがポストであり、肩書が付いたからといって偉いわけではない。試されるのは「肩書が付いてから」だ。

どんなハラスメントも、個人的感情を抑制することのできない人間の甘さから起こること。ただし、事を起こしてしまった当事者の1度の失敗に対し、人格否定をしたり全てを奪って追放したりしていいことと同義ではない。追放を繰り返すから同じことがまた起こる。そういう組織で人は育たない。

加害者と被害者は、どちらにも事後の適切な在り方というものがある。加害者は謝罪とそれを証明するための償いをすべきだし、被害者は加害者に対して許すべき時が来たら許すべき。償うことができなければ、許されるべきではないが、償いを受けてなお一向に許そうとしないのは、自分と周りの関係者をずっと不幸にする。

支配と服従の時代は当の昔に終わっている。恐怖政治的に罵声を浴びせたり、従う者の権利を奪ったり行動範囲を制限したりすれば、支配したがる人間の品格が疑われることになる。それでも付き従う人間は、単に保身に走っているに過ぎない。

※今回述べたことが正しいとは言わないけれども、ちょっと柔軟な見方をするとこうなる、というお話。

※補足・・・正義についてですが、例えば集団Aと集団Bが対立しているとして、集団Aが唱える正義と集団Bが唱える正義が対立するのは当たり前、ということです。集団Aが唱える正義が集団Bにとっての正義ではないのなら、果たしてそれは正義と言えるのか?ということです。自分よがりの正義は、必ず誰かを苦しめるとはそういう意味です。ですから、正義なんて簡単に振り回すものではないってことなんですよね。正しいと思い込むことは、それだけでリスクを伴うということです。

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