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突然に居なくなるということ

やっと12年経ちました。仏教系の学校に通ったせいか、仏教の式典にはそれなりに意味があると思うのですが、今年は彼が亡くなって13回忌に当たります。突然死でした。

やっとこうやって文字に出来ました。最初は絶対来ないと思っていた穏やかに気持ちが薄れていく、時間が癒してくれるというのも受け入れられるようになりました。でも、まだ悲しいし、辛くても歩かなくちゃいけない中で色々と疲れてしまって通院もかかせません。

ぐちゃぐちゃな気持ちが初めて言葉として理解できたのはあるメロドラマでヒロインが突然恋人を失って、自分の周りは色も時間もなくなったのに、世界は何もなかったように動いていくんだ、それが悲しいというセリフでした。

命より大切な息子が自分の父親を亡くしても耐えていること、大好きな親兄弟がいる事が私を支えてくれました。でも、そういう支えがあっても自分の辛さやしんどさはゼロにはなりません。喪失感は埋めきる事など出来ないし、最近は中年後期に入ってきたせいでその気持ちと一生付き合っていけばいいと考えるようになりました。

一度は熱烈に愛し合い、笑い、子供を作り、喧嘩もし、どうしても埋められない溝が出来て別れ、それでも息子を育てるパートナーとして時々連絡を取る仲だったのに、もう顔はぼんやりしてきています。写真は残っているのだけど、まだ見れません。10年後には変わるかな。

夢にもたまに出てきます。夢の彼はいつも生きてます。優しくて楽しい彼です。だから夢から醒めると泣きました。最近は涙が出ない哀しみだけの泣き方です。

大嫌いになる前に消えちゃいました。

もうすぐ彼の誕生日でその後命日です。

なんかすぐ忘れそうになるから、1つだけとあるパスワードに使ってます(笑)そんな供養の仕方どうよ?だけど、無神論者なのでそんなもんです。

いま、私の切なる願いはこの世とのお別れは年功序列で。何故なら逆縁ほどつらいことはないから。父、母、私、息子の順で。仏教では愛別離苦というけれど、順番通りでも充分苦しいので、それでお願いします、神様、仏様(無神論者の癖に神頼み)




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